「は?」
夕餉の支度で忙しいこの時間
女達で溢れ返る台所の中から、忙しく調理する音に混じって素っ頓狂な声が聞こえてきた

その素っ頓狂な声の主はつららで、瞳は大きく見開かれ口は先ほど出た声のままあんぐりと空いており、大根のかつら剥きをした格好のまま隣の女をまじまじと見つめていた

「だ〜か〜ら〜、リクオ様とどこまでいったのよ」

呆然と見上げてくるつららに経験豊富な隣の女は呆れたような口調でそう言ってきた
「ど、どこって……」
「ちょっと〜、意味わからないなんて言わないわよね?」
つららの反応に痺れを切らせた女は、ジト目でつららを睨んでくる
その視線につららは「うっ」と冷や汗を流した
この場合のセオリーとして、「どこまでいったか?」という質問は「相手とどこまで進んだのか」を聞いているのであろう
もちろん恋人同士としての進み具合である
相手の意図を理解したつららは素直に真っ赤になった
「ど、どどどこって……ちょっとそこまで」
「えへ」と可愛らしく首を傾げてとぼけるつららに、隣の女は更に目を細めてきた

「殴るわよ」

「ご、ごめんなさい〜」
拳を握り締めながらぼそりと呟かれた言葉に、つららは青褪め肩を竦めて後退った
「ほんとにどこまで進んだのよ、まさかまだ手を繋いだだけ〜じゃないんでしょ?」
ずずいっと好奇心旺盛な瞳をキラキラさせて迫ってくる女に、つららは身を縮めて冷や汗を流す
「うううう、そんなに迫らないでよ毛倡妓〜〜」
「とぼけないで白状しなさい」
煮物の味付けを器用にこなしながら、肩でつららをぐいぐいと押してくる毛倡妓はどこか楽しそうだ
完全に玩具にされているつららは、しかし百戦錬磨の元花魁に敵うはずも無くされるがままになっていた
最近、めでたくもリクオと恋仲になれたつららは、時折こうして仲の良い女仲間にリクオとの恋の進展を聞かれることがあった
聞かれる事は嫌ではなかった
むしろリクオの恋人として周りから認められているのだと安心できるので聞かれる事は嫌ではなかった
なかったのだが……

ど、どう答えればいいのかしら……

つららは内心でどう答えればいいのか悩んでいた
相手の期待を裏切りたくはないし、まして嘘など吐きたくもない
しかし……





「それではリクオ様失礼します」
「あ、首無ちょっといいかな?」
主の部屋を退室しようとしていた首無に、リクオが声をかけてきた
「はい、他に御用でしょうか?」
どうしたのかと首無がリクオの言葉を待っていると、リクオは辺りをきょろきょろと見回しコホンと咳払いをすると、ちょいちょいと首無に手招きしてきた
その動作に首無は、なにか他聞をはばかる大事な話なのかと神妙な面持ちで近づいて行く
そして、リクオが辺りを気にしながら耳打ちしてきた内容に首無は目を瞠った

「は?」

数秒沈黙が落ちる
「い、今なんと?」
おっしゃいましたか、と目を点にさせて首無はリクオの顔を見た
その表情は真剣そのもので、先ほど耳打ちされた内容が主にとってどれほど重要な事かが窺い知れた
知れたのだが……

「うん、その……どうやったらつららとAまでいけるかなって……」

視線を逸らし手をもじもじさせて言う主はなかなかに珍しい
しかもAとは英語のABCの事ではなく、恋愛のいろはのことであろう
妖怪界のホスト、常州の女たらし、視線だけで孕ませる
などの異名を欲しいがままにするこの美青年妖怪にとって主の言葉は意外だった

自分よりもおモテになるはずなのに……

夜の姿ならず最近では昼の姿でも外を歩けば十中八九女が寄ってくるようになったこの主を、首無は不思議そうな顔でまじまじと見つめた
「首無?」
じっと見つめてくる下僕が険しい顔をしている事に気づいたリクオは何かおかしな事でも聞いてしまったのかと首をかしげた
主の言葉にはっと我に返る首無

いやいや、リクオ様はモテるといってもまだ人間では子供……きっと恋愛のいろはについてまだ勉強が足りないだ

首無はそう納得すると、相手を安心させる為ににっこりと微笑んだ
最近恋人同士になった主と妹分の仲を密かに応援していた首無は、懐からそっとあるものを取り出して主へと差し出してきた
それは一冊の雑誌だった

「リクオ様、これがあれば恋人との仲もぐっと親密になります!」

にっこりと天使の微笑みをのせてそう言ってきた首無に、リクオが「ありがとう」と正真正銘の天使の微笑みで笑い返す
そして雑誌を受け取った格好のままの二人の周りにキラキラとした光が舞う
リクオと首無
お互い恋に悩める男同士の固い友情が結ばれた瞬間だった



この後リクオとつらら、二人の恋の行方がどうなったのかはわからない
しかしだた一つわかる事と言えば
首無がリクオに手渡した雑誌にはこう書いてあった



『SM大全集』



と……



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