雪女
氷の化身
男を誑かす妖怪
百鬼の一匹
そして
僕の……
チャイムの音が響き渡る
本日最後の授業が終わった教室は、帰り支度を始める生徒達でごった返していた
部活へと急ぐ者、帰りに寄り道して行こうと友達と共に教室を出る者
そんな賑やかな教室の片隅で、珍しくリクオは帰り支度もせずに席に残っていた
しかも、ぶすっとした表情で机の上に頬杖をついている
学校中で『良い奴』として通っているリクオとしては非常に珍しい姿だ
常にニコニコと笑顔を絶やさず雑用を引き受けてくれるいつもの彼とは違い、他人を寄せ付けない不機嫌オーラを身に纏った彼がそこに居た
今日は何やら虫の居所が悪いらしい
そのあまりにも珍しい『奴良リクオ』の態度に、他の生徒達は遠巻きに彼を気遣いながら教室を出て行く
最後の生徒の足音が遠ざかって行く教室の中では未だ同じ姿勢をしたままのリクオだけが残った
今日は清十字団の集まりは無い
カナはモデルのバイトがあるからと先に帰った
巻や鳥居は最近できた女の子向けのショップに行くと言って授業が終わると同時に消えていた
清継は生徒会の会議らしい
島は試合が近いのでサッカー部に顔を出している
リクオを取り巻く生徒達は全て出払ってしまっていた
その為リクオが不機嫌な顔でひとり机に向かっていても声をかけてくる者はいなかった
誰も居ない教室
窓の外では夕焼け色に染まった空を二羽のカラスが仲良く並んで飛んでいくのが見えた
そんな景色をぼんやりと眺めながらリクオは溜息を吐く
つまらない
リクオは胸中で呟くとまた溜息を吐いた
何と無しに見下ろした窓の外に見慣れた後姿を見つけリクオの顔が曇った
あれは……
つらら
己の側近を見間違う筈も無い
その見慣れた後姿は、足早に校舎の裏に消えて行く
その後姿を追っていたリクオの眉間に更に深い皺ができた
つまらないものを見てしまったと今度は机に突っ伏した
何やってるんだよあいつ……
眉間に深い皺を刻んだまま深い溜息を吐いたリクオは、その姿のまま先程の不機嫌の原因の娘に向かって愚痴を零した
早く帰って来い、と胸中で祈りながら
ぱたぱたぱたぱた
遠くから急いでこちらに向かって来る足音が聞こえてきた
リクオは机にうつぶせたまま、薄っすらと瞼を開けると小さく息を吐いた
ああ、終わったんだな
その足音にリクオは胸中で呟くとゆっくりと身を起こし
机の横に掛けておいたカバンを取ると席を立った
それと同時に
ガラリ
教室のドアが勢い良く開いた
「リクオ様!!」
勢い良く開け放たれたドアから、血相を変えたつららが慌てて入って来た
「こんな所に居たんですか?探しましたよもう!」
「終わったの?」
リクオを見つけるなり膨れっ面をしながら声をかけてきたつららに、リクオは無視するように素っ気無い態度で逆に質問してきた
「え?あ、はい一応終わりました」
主の質問につららは一瞬たじろいだが、直ぐ立ち直ると素直に頷いてきた
「一応?」
その返答にリクオはまた眉間に皺を寄せながら聞いてきた
「何、また会うの?」
不機嫌な顔を更に歪めて問う
いつになく不機嫌な主につららは無意識の内に一歩下がった
今日のリクオ様は何か……
たらりと背中に冷や汗が流れる
一歩身を引きながら眉間に皺を寄せると主を見上げた
「い、いえ……まさか」
鋭い視線を向けてくるリクオに、つららは知らず肩を震わせながら必死に首を振っていた
明らかに目の前の主はご機嫌斜めだ
自分は何か失態を犯してしまったのだろうかと、つららは頭を下げながら胸中で頭を捻った
主の言動を見るからにどうやら先程まで自分が手を焼いていた用事が原因らしい
主を差し置いてあんな用事に行ったから、リクオ様は怒っていらっしゃるのね
つららは見当違いな考えに小さく溜息を落とした
昼休み前に顔も見たことも無い知らない生徒に放課後会って話がしたいと呼び止められた
つららはすぐさま断ろうとしたのだが、その相手は言いたい事だけ言うと逃げるようにどこかへ走って行ってしまった
結局その場で断ることが出来なかったつららは、渋々相手の指定する場所へ放課後向かったのだが
案の定、今回も告白の呼び出しだった
リクオに矛先が向かないように丁重にお断りし、急いでリクオの元に向かったつもりだったのだが……
迎えに来るのが遅すぎたみたいです……
既に薄暗くなりかけた空をちらりと見上げながらつららは肩を落とした
「ふ〜ん、どうだか?」
どこか棘のある探るような問いかけにつららは、はっと気づき目の前の主を見上げた
「そ、そんな……ちゃんと断ってきました」
「ふう〜ん僕の側近なのに、その主を置き去りにしてまで会いに行ってたのに?」
信じ難いね、と目で訴えてくるリクオにつららは困り果てた
どうやったら信じてもらえるのでしょうか?
じっと見つめる主の瞳は怒りに燃えていた
自分に向けられるその視線に耐えられなくなり視線を逸らしたその時――
「無理やり呼び出して来たんだろう?そんなの無視して良かったんだよ」
どこか拗ねたようないじけた様な主の声が聞こえて来た
「で、でも……」
「呼べば来てくれるって変な噂が広まったら困るのはお前だよ?」
尚も何か言おうとしたつららは、次に発せられたリクオの言葉に息を飲んだ
そこまで考えていなかった
リクオに変な矛先が行かないようにと、ただそれだけしか考えていなかった
リクオの言う通り、この先も呼び出されることが増えるかもしれない
そう思った途端つららは恥ずかしくなった
「す、すみません」
そこまで考えてくれていたリクオに、つららは謝る術しか持ち合わせていなかった
勝手な自分の思い込みで主に更に迷惑をかけてしまうかもしれないと、つららは己の浅はかな考えに唇を噛んだ
そして誠心誠意心を込めて「申し訳ありません」と再度頭を下げた
そんなつららにリクオは――
「ダメ、許さない」
首を縦には振らなかった
「そ、そんな」
つららはいよいよ以って困り果てた
本当にどうしたら……
つららが頭を悩ませていると、リクオがまた口を開いた
「つらら、罰が必要だね?」
リクオはそう言うと、一歩つららへと近づいていった
「え?」
その言葉に反射的につららは後退る
「お前は口で言っても分らないから」
「あ、あの……」
一歩、一歩、つららとの距離を縮めていく
「つらら、覚悟は良い?」
「り、リクオ様!?」
リクオの言葉に震え上がるつららの両肩をがしりと掴むと、リクオは至近距離まで顔を近づけてくる
「おしおきだよ」
そして耳元で囁くと
かぷり
リクオはいきなりつららの首筋に噛み付いてきた
「へ?」
突然のリクオの行動につららの目が点になる
そして
ちゅっ
小さな音が聴こえたかと思ったらリクオが徐に首から離れていった
じんわりと痛む左の首筋
甘い痺れを生むそこを指先で触れる
怪我はしていないようだった
歯の痕も傷も無く血すら流れていないのにちりちりと痛む首筋
何をされたのかと首を傾げていたつららは
次の瞬間
真っ赤に染まった
ぼっと、音が出る程の勢いで顔を真っ赤に染めたつららは急に狼狽えだし
「なんですかこれは〜〜〜??」とリクオに向かって叫んでいた
リクオに詰め寄るつららの姿が教室の窓に映る
暗くなった景色のお陰で鏡の役割を果たすその窓には
真っ赤に染まった顔と首筋に紅い痕をつけたつららの姿が写っていた
「あ、明日から学校行けないじゃないですか〜〜!!」
「マフラーで隠せばいいじゃないか?」
「そ、そんな・・・・ていうか何でこんな事するんですか〜?」
「だからおしおきだって」
詰め寄る側近にそう答えるリクオの表情はどこか楽しそうだった
悪い虫がつかないおまじない
だってお前は僕の……
了
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