ああ・・・朝だわ

私は重い瞼をゆっくり上げて襖の隙間から漏れる朝日の眩しさに目を細めながらぼんやりとそんな事を思った
ここ最近寝つきが悪くしかも眠りも浅いため寝不足気味だ
別に怖い夢を見たわけではない
むしろその逆で・・・・
毎晩見る夢のせいで私はここ最近まともに眠れなかった
重い体を引き摺るようにして布団からようやく起き上がると、寝不足で頭痛を訴える頭を押さえながら溜息を吐いた
「本当にどうしちゃったのかしら」
ぽつりと零れた言葉は弱々しく
漏れた溜息は酷く重苦しかった



「はぁ」
小さく吐かれた溜息の音に、前を歩いていたリクオは敏感にも気づき、ちらりと視線だけを向けると小首をかしげた

今日のつららは何か変だ

数歩後ろを歩く元気印の側近が、今日はいつにも増して気落ちしている
何か悩みでもあるのだろうかとリクオは少し気になったが、側近の気持ちを尊重する主としては彼女が直接話してくれるまで待ってやりたい
そう心の中で思いつつ、リクオは気づかれないようにこっそりとつららの様子を伺っていた

そんな『主の鏡』のようなリクオの思いとは裏腹に、つららはまたしても小さく溜息を零していた

はぁ・・・・

最近眠れない
眠れなくなったのはあの時から
そう、京都で羽衣狐との戦いが終わってからだ
帰ってきたばかりの時はその興奮と安堵で気づかなかった
しかし血生臭い戦場から、平和な世界へと戻った自身の心は少しずつ平静を取り戻し
数日たったある朝
私は久しぶりに見た夢に驚き
そしてその時思った感情に正直焦った
そして戸惑った

側近としてあるまじき事
下僕としてなんとも恐れ多い事

私は
私は・・・・
リクオ様を

好き

ううん
それよりももっと深い

何か

つららはそこまで考えてふと目の前のリクオを見た
その瞬間、自分ではコントロールできない感情に見る間に頬が熱くなっていく
つららは赤くなった頬を隠すように、トレードマークのマフラーに深く顔を埋めて視線を落とした
リクオ様を好きという想いは昔からあった
しかし、最近の私のこの想いは少し違う

私って・・・・

つららは自身の胸に燻り出した熱いものを吐き出すように、また小さく溜息を吐いた



また・・・・

つららは双眼鏡を食入るように覗き込みながら内心で舌打ちしていた
今つららが覗いているのは移動教室の先の理科実験室
その双眼鏡の先では主であるリクオが授業に勤しんでいる最中だった
何かの実験をしているのか、リクオと同じ班になった家長カナがあろうことかリクオと一緒に仲睦まじく共同作業をしていた
「ああ、あんなに近づいて!」
つららは両手に持っていた双眼鏡を力一杯握り締める
その途端、双眼鏡から哀れな悲鳴がみしりと響いてきた
「おいおいおい雪女、そんなに強く握ったら壊れるだろーが」
同じく隣で双眼鏡片手にリクオの様子を伺っていた青田坊が呆れた声で注意を促した
「え?」
青田坊に指摘され、つららは素っ頓狂な声を上げて顔を上げる
手の中の双眼鏡はくっきりとつららの細い指の痕が付いていた
「あ、あら・・・私ったらおほほほほ」
つららは今の今まで気づかなかった様子で、口元に手を当てると笑って誤魔化そうとした
そんなつららをジト目で見ていた青田坊は
ぽつり
「女の嫉妬はこえーなぁ」
と溜息と共に小さな声で呟いていた



むぅ・・・・

つららはまたしても不機嫌だった
その理由は言わずもがな
目の前の光景にあった
仲良く並んで歩く幼馴染達
他愛無い話に相槌を打ち、時に一緒に笑い合う姿は見ていて微笑ましいものがある
しかしつららの心は暗雲渦巻く嵐の前のようにどんよりと重かった

なんか、前にも増して・・・・

二人は急接近しているのではないか?
つららの頭にふとそんな疑念が過ぎった
そんな筈は無いのに、と頭のどこかが訴えてはいるのだが
目の前の二人を見ているとどうしても疑ってしまう

まさか二人はもう・・・・

つららは耐えられない思考に思わず頭を振った
「どうしたの及川さん」
すると前の方から心配そうな声が聞こえてきた
慌てて顔を上げると、首をかしげてこちらの様子を伺っているカナと目が合った
「あ、いいえ別になにも・・・おほほほほ」
つららは本日二度目の誤魔化し笑いを目の前のカナに披露した
「そう・・・ならいいんだけど」
そう言いながらつららを見るカナの視線はどこか探るようだった

人間にまで気づかれるなんて・・・・まさか?

つららははっとして、カナの隣の人物に視線を移した
すると案の定、リクオもこちらに訝しげな視線を向けていた

はうっ!

まずいとつららは冷や汗を流した
今一番気にかけてもらいたくない相手がこちらをじっと見ている
「どうしたのつらら?」なんて聞かれた日にはどう答えていいかさっぱりわからない
自分自身、持て余すこの感情を正確にリクオに伝えるには今の自分では困難だ

伝えるには伝えられるのだ
だが・・・・

恥ずかしくて言えません

つららはリクオが聞いてこないようにと心の中で祈った
ぎゅっと目を瞑っていると、リクオが声を掛けてきた
きた!と思ったつららは次の瞬間拍子抜けする
「どうしたのつらら、置いて行っちゃうよ?」
リクオのあまりにも自然な言葉に、身構えていたつららは一瞬呆気に取られる
「ほら、つらら早くしないと真っ暗になっちゃうよ」
そう言ってつららの手を取るといつもの笑顔を向けてくれた
驚いて見上げると既に辺りは薄暗くなりかけており、そしていつの間にか家長カナは居なかった
よく見ると、ちょうどそこは家長との分かれ道
先にカナは帰ってしまったようだ
つららは何故だかほっと安堵する
「ほら、つらら」
「あ、はい」
焦れたリクオが催促すると、つららは慌てて返事をして歩き出した
一人で身構えていた自分がなんだか恥ずかい
つららはマフラーにこっそり顔を埋めるとリクオに引かれるまま歩き続ける
手に伝わるあたたかい温もりにほんのりと頬を染めながら

ああ、こんな事で沈んでいた気持ちが軽くなるなんて

我ながら現金だと思いつつ、つららは繋がれた手を見つめながら家路へと急いだ



う・・・・

つららはいよいよもって自分が重症だと認めざる負えなくなった
目の前には毛倡妓
そしてその先にはリクオ
この珍しい組み合わせの二人に、つららの心中は穏やかではなかった

毛倡妓にまで嫉妬するなんて!

つららは愕然とした
別に二人は恋仲ではない
まして仲の良い友達でもない
単なる主と側近
しかも毛倡妓にはその気なんてこれっぽっちもない
彼女の心の中にはいつだって彼がいるのだから
そんなことは十分承知しているのに二人を見た途端、何故か胸の中がざわついてしまった
沸々と湧き上がる苛立ちにつららは抗えない
これ以上見ていたくなくて、くるりと踵を返すと足早にその場を去った

「あれ?今のつらら?」
「え?」
つららが背を向けて走って行く背後では運悪く気づいた二人の主従が不思議そうに首を傾げていた



ばかばかばか・・・私のバカ!

なんでこんな事になってしまったんだろう?

なんでこんな気持ちになってしまったんだろう?

つららは廊下を走りながら胸中で何度も繰り返していた
自室へと逃げ込むと内側から入り口を己の冷気で塞いだ
今は誰にも会いたくなかった
乱れた呼吸を静かに整えていると、先程の自分の行為を今さらながらに恥ずかしく思えてきた

何をやってるのだろう・・・・

あんな光景は日常茶飯事だったのに

きっと毛倡妓のことだから今夜の夕食の希望とかを聞いていたに違いない
同じ側近仲間として信頼を寄せる彼女は自分よりも気の利くできた女性だ
しかも昔、花魁をしていたこともあって色気も十二分にある
同じ女である自分から見ても、毛倡妓は大人の女性としてかなり魅力的な存在だった

はっ!私また嫉妬してる〜〜〜〜

嫉妬のドツボに嵌っていた自分に気づきつららは胸中で絶叫した
つららはもう情けないやら恥ずかしいやらでその場に蹲り、しくしくとすすり泣き始めた

本当に本当に情けない

自分は側近なのに何を普通の小娘のようなことをしているのだろうと
自身の不甲斐なさを嘆いた
これもみんなあんな夢を見るようになってからだ
そうあの夢

京都で何度もリクオに助けられたときの夢

なんども触れた熱い体
力強い腕
逞しい胸板

思い出しただけで顔が熱くなっていく
つららの最近の寝不足の原因はコレだった
毎朝、刺激的な夢を見るせいで絶叫と共に飛び起き、煩い心臓を落ち着かせるのに苦労していた
しかも前にも増してリクオのことが気になってしまう
しかもそれに比例してこの心は厄介な感情まで引き出してくれた

強い独占欲

今のに比べれば以前の嫉妬など可愛いものだ
昔は幼馴染のカナや知らない女にだけ向けられていたソレが今は仲間の側近達にまで向かってしまう
そんな厄介な感情につららは堪らないと溜息を零した

こんな事で悩んでる場合じゃないのに

自分はもっともっと修行して強くなってリクオ様をお守りしなくてはならないのに
つららは涙でぐしょぐしょになった顔を上げるときりっと眉を吊り上げた

こうなったら!!

つららの黄金螺旋の瞳には強い決意の光があった



「暫くの間お暇を頂きます!」
「ええ?つららちょっと待って」

夜の蚊帳が降り始めた日没時
奴良家の奥座敷で主と側近のやり取りが響いていた
リクオは突然話があるとやって来たつららの言葉に素っ頓狂な声を上げていた
それもその筈、部屋に来るなり突然三つ指ついて頭を下げてきたかと思ったら、実家に帰って修行して来るというのだ
しかも先程の言葉通り直ぐには帰って来ないつもりらしい
お暇を貰うという事は一週間やそこらでは帰ってくる気がないということ
下手をすれば一ヶ月、いやそれ以上かもしれない
キッと面を上げたつららの真剣な視線に、それが冗談では無いことを悟ってリクオは何故か喉の渇きを覚えてごくりと唾を飲み込んだ
「それではリクオ様、つららは更に強くなって戻って参ります、あ、洗濯物や護衛は毛倡妓や首無に頼んでおいたので心配要りません」
つららは眉をりりしく吊り上げながらそう言うと
巨大な風呂敷包みをよっこらせと肩に背負い、直ぐにでも出立しそうな勢いで立ち上がった
それを見て慌てたのはリクオの方で
「ちょ、ちょっと待ってよなんで急にそんな事になったの?」
せめて理由を言ってよ、と慌てて説明を求めるリクオにつららはびくりと面白い位に反応し見る間に顔を赤くさせていく
その様子をたまたま居合わせていた側近達は

はは〜ん

と何かに感づいた
特に青田坊などは思い当たる節が2、3あったらしく、にやりとしたり顔をしている
それを見た他の側近達も顔を見合わせてポンと手を打ち合っていた

なるほどそういう事か



そこで側近達は良い機会だとお互い目で合図を送り合い、知らぬふりを決め込む事にした
「それではリクオ様、お達者で!」
「つ、つらら〜〜〜」
そんな側近達のお節介の企み・・・・もとい優しさのお陰で、つららはリクオの制止の声を振り切り一目散へと朧車に乗り込んであっという間に遠くの彼方へ飛んで行ってしまった
門の所まで追いかけて行ったリクオはというと――

ポカンと、そりゃもうポカンと間抜け過ぎる哀れな表情で止めようと伸ばした腕をそのままに、放心していた

「ちとやり過ぎたか?」
「いやいやいや、そろそろはっきりして貰わないと」
「うむ、拙者たちも気が気ではないからな」
「でもちょっと可哀相じゃないリクオ様」
ボソボソボソボソ
静かに見守ろうと決めた側近達は、その哀れな主の姿にいささか同情をしていた
ここ最近の雪女の態度は誰から見ても明白であった
どこからどう見ても

恋煩い

しかもかなり重症な
相手は紛れもなく我らが主
「ていうか、京都であんだけはっきり態度に出てたのになぁ」
「リクオ様もやっと男になったと喜んでいたのに」
「ああ」
「まさかまだだったとは・・・・」
「でも雪女も鈍感過ぎやしないか?」
「ん〜でも雪女だし」
「だよな・・・・」
「ここはリクオ様に一肌脱いでもらおう」
「そうね」
「そうだわ」
リクオ直属の側近達はキランとお互い瞳を輝かせると、直ぐ横で放心状態のリクオにそっと向き直った

「リクオ様いいのですか?」
固まったリクオの肩を側近代表として首無が叩く
すると今の今まで魂の抜けかけていたリクオが我に返った
「このままで良いのですか?」
「首無・・・・」
「修行と言っておりましたけど、まさか一ヶ月やそこらで帰ってこれるとは思っていませんよね?」
「え・・・・」
「あの雪女のこと、実家でどんなドジをやらかすか・・・・下手をすれば一年や二年は帰ってこられないんじゃないですかねぇ」
首無の言葉に毛倡妓が妖艶な笑みを張り付かせて応戦した
「そ、そんな・・・・」
「止めるなら今しか無いですぞ?」
そこへ黒田坊も参戦する
「そうですぞ、雪女はああ見えて頑固ですからな」
「黒に青・・・・」
「ん〜、一応朧車用意しといたけど」
乗る?と暢気な声で河童が指差した先には奴良組一の速さを誇る本家御用達の朧車が用意してあった
「みんな・・・・」
「行ってきなさいリクオ様」
「急いでください」
「うんありがとうみんな」
リクオは側近達にこれ以上ないほどの笑顔を向けると朧車に飛び乗った
あっという間に空の彼方に飛んで行く朧車を見上げながら側近達はこう呟いていた

「まったく世話が焼ける」



その後
実家に戻ったつららをリクオは二週間もかけて説得し宥め、めでたく本家に連れて帰ってきた
そしてその一部始終を遠巻きに眺めていた本家の妖怪達はみな一様に首を傾げていた

二週間もの間リクオはどうやってつららを説得したのか?

と・・・・
しかし帰ってきたつららを見た一部の側近達は納得する
本家に帰ってきた時のつららの顔がほんのり赤かったことが全てを物語っていたから

そして
お節介な心優しい側近達は

にやり

全てを悟ってほくそ笑んでいたとか



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