それはある日の午後
羽衣狐との戦いが終わり、つかの間の平和が訪れた奴良家でそれは起きた
「へ?」
つららは突然起こった出来事に、ただ只目を丸くして固まる他無かった


時は遡ること十数分前――
いつものように、つららは洗濯籠を抱えて廊下を歩いていた
すると、これまた偶然にも主であるリクオが、ふらりと廊下を歩いてやって来た
「リクオ様、どうされました?」
つららは主の姿を認めると嬉しそうに駆け寄っていった
その姿は本当に嬉しそうで、見ているこちらも微笑んでしまいそうなほどの笑顔だった
「うん、宿題が終っちゃったんですること無くて、庭でも眺めようかなぁ〜て思ってね」
リクオは駆け寄ってくるつららにそう言いながら、自身の頭に手を置きはにかんだ

今日は日曜日
もちろん学校は休みである
ついでに言えば、珍しく清十字団の集まりも無い
しかも、シマでのいざこざも起こったという知らせも来ていない
まさに、久方ぶりのほのぼのとした平和な日であった

朝から特に用事も無かったリクオは、早めに宿題に取り掛かったのだが
結局宿題もあっという間に終わってしまい、早々にやる事が無くなってしまったリクオは、手持ち無沙汰を紛らわす為、庭でも眺めようかと部屋から出てきた所だった

そんなリクオの言葉につららはふふ、と笑うと
「そうですか、私もこれから洗濯物を干す所です。終わりましたらお部屋にお茶でもお持ちいたしましょうか?」
と聞いてきた
「う〜ん・・・いや、このまま庭でも眺めてるよ」
「そうですか、じゃあ私は失礼して洗濯物を干してきますね」
つららはリクオにそう言うと、頭を下げながらその場を後にする
去って行くつららの後ろ姿を見送りながら、リクオはふと思いついた

そうだ、せっかくだから・・・・

くすり と柔らかく笑うと、つららの後を静かに付いて行った


「わっか〜、わっか〜♪」
軽快な高い声が庭に響く
つららはふんふん♪と楽しそうに鼻歌を歌いながら洗濯物を干していた
「くすくすくす」
「へ?」
殆どの洗濯物を干し終わった頃、背後から微かな笑い声が聴こえてきた
その声に、つららは驚いて振り返る
「ひ、ひえぇぇぇぇぇ!リクオ様、いつからそこに?」
振り返った先に思いも寄らない人物が居て、思わず叫んでしまった
「ん?つららが洗濯物を干し始めた時からだよ」
リクオはそう言うと、悪戯が成功した子供のような笑顔を向けてきた
その言葉に、つららの頬はみるみる内に真っ赤に染まっていく
どこかで庭を眺めていると思っていたリクオが、あろう事か自分が洗濯物を干している姿を見ていたことに驚きつららは慌てた
しかも・・・・
「な、なぜ此処に?ていうか、さっきの歌・・・・」
「うん聴いてたよ」
爽やかに頷くリクオ
先程の歌を聴かれていたと理解したつららは、驚きと羞恥で顔を真っ赤にしながら叫んだ
「わ、わ、忘れてください〜〜!!」
「あはは、もう聴いちゃったし」
「うわ〜ん恥ずかしいです〜〜!!」
つららは恥ずかしいと手足をバタバタさせて暴れだした
その拍子に

ガタン

振り上げたつららの腕が運悪く物干し竿に当たってしまった
途端ぐらりと物干し竿は揺れ、その支えごとつららめがけて倒れてきてしまった
「きゃっ!」
「危ない!」
つららとリクオ、二人の声が重なる
続いてガシャンガシャ〜ンと盛大な金属音が響いた

「つらら、大丈夫?」
盛大な音が鳴り止み暫くすると、衝撃に耐えるように固く目を閉じていたつららの耳に心配そうな声が聞こえてきた
恐る恐る目を開くと、目の前にはリクオの顔
思わず視線を逸らすと、リクオの腕や体がやけに近くに見えた
そこではた、と気づく己の現状――

つららの体はリクオの腕の中に収まっていた

「うわ、わ、若!」
つららは驚いて身を引こうとしたのだが、そのせいでぐらりと体制が崩れる
「おっと危ない」
リクオはそう言うと、つららの背に回していた腕に力を込めて引き寄せた
つららが身を引こうとしたことでバランスを崩してしまったようだ
辛うじてつららの体を支えることに成功したリクオは、ほっと息を吐く
「もう、せっかく助けたのに転んだら意味無いじゃないか」
そう言ってくすりと苦笑を零した
「え?え?」
混乱する頭で先程のことを思い出す

私、物干し竿を倒してしまって、それでリクオ様に助けていただいたの・・・ね

ようやく事の成り行きを理解すると、つららは体の緊張を解いた
「うう、すみません」
「いいんだよ、これくらい」
何故かしょんぼりと項垂れながら謝るつららに、どうしたのかと首を傾げながらもリクオは大丈夫だよと優しく微笑んだ
しかし、つららは下げた頭を上げる処か、いじいじと人差し指同士をくっつけはじめてしまった
「ううう、でも、でも、いつもこんなドジばっかりで・・・京都でも人質に取られてリクオ様にご迷惑をおかけしてしまったし・・・・ほんとにすみません」
そう言って、くすんと鼻を鳴らした
そのつららの言葉に、リクオは慌てて頭を振る
「そんな・・・迷惑だって思ってないよ、僕の方こそごめんな、怖い目に合わせて」
「な、何をおっしゃいます!リクオ様は悪くありません!!悪いのは土蜘蛛です」
がばっと顔を上げて真剣な表情で言うつららに、「ありがとう」とリクオは笑顔を向けた
「でも・・・あの時助けたのって、夜の僕なんだけどね」
妖怪だったから助けられたんだよね、とリクオはそう言うと寂しそうな、悲しそうなどちらとも取れる表情をして目を逸らしてしまった
「リクオ様?」
そんなリクオに、つららはどうしたのかと心配そうに顔を覗き込む
リクオは覗き込んでくるつららに、ちらりと視線を寄越すと
「人間の時の僕は、この位のことしか出来ないから・・・」
妬けちゃうなぁ、と恥ずかしい本音は胸中だけで吐露すると、つららの顔をじっと見つめた
「リクオ様?」
そのリクオの視線につららは首を傾げる
「つらら、ちょっとだけ・・・いい?」
リクオはそう言うと、つららをそっと抱き寄せた
「へ?」
つららは突然起こった出来事に、ただ只目を丸くして固まる他無かった


と言うのが、ほんの十数分前の出来事であり
そして今に至る――

「り、リリリリリクオ様?」
つららは顔から湯気を噴き出しながら、悲鳴のような声を上げた
しかしその声に反するかのように、リクオは更につららの体をきつく抱き締める
しかも、つららの頭を片手で抱え己の胸元に押し付けている
温かい温もりと眼前に迫るリクオの体に、つららは軽いパニックに陥ってしまった

何が?こ、これは一体どんな夢の続きかしら?

以前、京都で夜のリクオに助けて貰った時に、確かこんな風に抱き寄せられていた事があった
ただし、あの時は敵の攻撃を交わすのに必死で、優しいも甘いもあったものでは無かったのだが
しかし記憶にも新しいその体制は、つららを混乱させるには十分で・・・・
夢なのではないかと、顔を真っ赤にさせて慌てふためいていた
しかし、そんなつららを他所に、リクオはその体制のまま微動だにしなかった
リクオは密着した体からつららの匂いや、冷たい体温が感じられてなんだかホッとしていた
もう少し、あともう少しだけ、とつららの体に擦り寄る
鼻腔をくすぐるつららの甘い匂いを思い切り吸い込みながら、ほぅと息を吐いた

あの時、京都でつららを助けられたのは、自分が妖怪の姿だったから
人間だったならば、もしかしたら失っていたかもしれないこの体――

鈴のように響く声

絹糸のような艶やかな髪

月を模ったような輝く瞳

そして



純粋無垢なこの魂

一歩間違えればこうやってこの腕に抱くことさえも、出来なくなっていたかもしれない
そう思うと体の底から震えが起きた
最近のリクオは、いつもこんな事ばかりを考えてしまっていた

もしあの時・・・・

そう思うと人間であるひ弱な自分がもどかしく
そして妖怪であった事にほっとした
しかしその反面、つららに最も近い己の部分に嫉妬してしまう自分が居た

完全な妖怪だったなら
もっともっと強い人間だったなら

あんな怖い目にも合わせなかったし、それに攫われることも無かったかもしれない
弱い自分が、ただ只呪わしい



妖怪の夜の自分が羨ましい・・・だった
これはヤキモチだ
つららと共有できる唯一の自身に対しての
しかもそれが別の意識を持っているとすれば尚更
同じ事を考え、同じ感情を持ち、もっとも深い部分で一つに繋がっている筈の自分達
だが、姿も、表現の仕方も、昼と夜とでは大分異なるとなると、まだまだ子供である自分としては思わず背伸びをしてみたくなるもの
故に、夜の自分に対抗心が芽生えた
夜と同じ事をしてみたくなった

昼の自分でも、あの時のようにこの腕の中でつららを守りたい

そして、抱きしめていたい

ささやかな願いであった
しかし、それは人間の自分にとっては大それた願いなのかもしれない
夜の自分は、人間の自分では数分と抱いている事すら出来ないこの体に、容易く触れることが出来る
そして命までをも守れる
リクオは冷たくなって悲鳴を上げ始めた己の体に舌打ちした
最後にぎゅっと力強くつららの体を抱きしめると、名残惜しそうにその体を解放してやる
「リクオ様?」
拷問のような甘い抱擁からやっと解放されたつららは、赤い顔のまま恐る恐る主の顔を見上げた
恥ずかしさのせいか、瞳が少し潤んでいる
その可愛らしい仕草にリクオは理性がぐらりと揺らいだが、そこは何とかもたせてつららに向かってにこりと笑みを向けた
「今はまだこの位で我慢しとかないと・・・」
無いものねだりしてもしょうがないしね、と一人納得した顔でリクオは頷くと
「それじゃあ」
「あ、リクオ様!」
つららの呼び止める声を無視し、くるりと踵を返すとスタスタと去って行ってしまった
そして、その場に残されたつららはというと――
今のは何だったのかしら・・・と、主の取った言動もその意味も全くもって理解できないまま、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた


つららがリクオの行動に頭を悩ませている頃――
自室に戻ったリクオはふいに声を掛けられた
『おい』
「ん?ああ君か」
リクオは脳内で響くもう一人の自分――夜の自分――の声に気だるそうに返事をした
『何だ今のは?』
「何って?」
リクオは夜の自分の声に首を傾げた
『しらばっくれるなよ』
「ああ、さっきの事?いいじゃない君ばっかりなんてズルイよ、最初に約束したのは僕なんだから」
リクオは当然とばかりに夜の自分に言った
『ふん、まあせいぜい精進するこった。今のお前じゃ守れないからな』
リクオは夜の辛辣な言葉に、胸の奥がちくりと痛んだが、平静を装うとにやりと口角を上げて言ってやった
「ああ、もちろん君に独り占めなんてさせないからね」
『ふ・・・言うねぇ』
「当たり前だろう?君は僕なんだから」
『ああそうだな、お前は俺なんだからな』
「いつか・・・」
リクオはそこまで呟くと徐に口を閉ざした
その先は言わずとも相手はわかっているから・・・・

僕は君で
俺はお前

ひとつの心を共有する二人の想いは同じ
いつか・・・・
いつか僕だけでも彼女を守れるように・・・・

『僕がつららを守るんだい』

青く晴れ渡る空を見上げながら、遠い昔に誓った言葉を思い出す

僕はもっともっと強くならなきゃね

ある晴れた日の固い決意であった



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