私共の仕事は幸せを運ぶ事でございます
お代?
いえいえ、その様なものはお気になさらずに
私共にとってお客様に喜んで頂ける
それこそが何よりの報酬なのでございます
「リクオ様、朝食の用意ができました」
すらりと襖を開けて入ってきたのは愛しい女
数ヶ月前に己の妻となった女は慣れた足取りで部屋へと入ってくる
そして手に持ってきたのは二つのお膳
二段に積み重ねた膳を器用に運び込み、部屋の卓上にいつものように並べていく
合い向かい
お互いの顔を見ながら、これまたいつものように手を合わせて合掌した
「いただきます」
「いただきます」
リクオとつらら
二人は夫婦になってから毎日のようにこうやって一緒に食事をするようになった
いつものように大広間でみんなと一緒に食事をするのでも構わなかったのだが
何故か周りの者たちが「暫くの間は夫婦水入らずで!」と気を使ってくれたのだ
そのお陰で日がな一日中二人きりで居られることが多くなった
この日もまたいつもと同じように二人仲良く朝ごはんを食べていた
はずだった・・・・
ドスン
バサバサバサバサーーー
「ぶっ!?」
「何ですか今の音は?」
突然聞こえてきた奇妙な衝撃音に、リクオは飲みかけていた味噌汁を盛大に噴出し
つららは「敵襲!?」と叫びながらしゃもじを握り締めて立ち上がった
今にも庭へと駆け出して行きそうな妻をリクオは咽ながら慌てて止めると、代わりにスパンと勢い良く襖を開けて叫んだ
「誰だ!」
しかし、そこには誰も居なかった
勢い良く開け放たれた部屋の外
枝垂桜の枝葉が揺れる見慣れた庭には人っ子ひとり、いや妖怪一匹すらいなかった
リクオが気のせいだったのかな?と首を傾げていると、何かがふわりと風に乗って落ちてきた
「これは?」
くるりと回転しながら手の平に乗ったそれにリクオは首を傾げる
そこには――
一枚の真っ白い羽毛が乗っていた
くるり
くるり
リクオは居間の畳の上で寝そべりながら手にしたそれを見つめていた
「あら、まだ持っていらしたのですか?」
そこへ、洗濯籠を抱えたつららが丁度通りかかる次いでと声をかけてきた
「ああ、これ何の羽かなって」
真っ白なその羽毛をくるくると指先で回していたリクオは、廊下から顔を覗かせてこちらを伺う妻に呟くように言った
朝食のとき、奇妙な衝撃音の後に手元に落ちてきた羽
あの時これ以外にも同じような羽が庭にも落ちていた
しかもあの枝垂桜の木の根元に何枚も
たぶん衝撃音の犯人はこの羽の持ち主だろうと、屋敷中の妖怪たちに聞いて回ってみたのだが
結局誰もこの羽の持ち主を知らないと首を横に振っていた
ますます不思議に思ったリクオは、先程からこの羽の事が気になってしょうがなかった
「あれって、凄い勢いで木にぶつかった音だったよね・・・・大丈夫だったのかな?」
昼のリクオらしいといえばらしいその言葉につららは堪らず噴出す
「なんだよ?」
「いえ、すみません・・・リクオ様はお優しいんですね」
そう言って、くすくすと笑う愛妻にリクオはむすっと不貞腐れた顔を向けた
「だってただの鳥だったらきっと無事じゃないだろ?それに妖怪だったら何か急用だったかも知れないし・・・・」
言い訳のような照れ隠しのようなその言葉に、つららはまたしても噴出してしまった
そんな妻の態度に、夫は恨めしそうな拗ねたような視線を向けながら頬を膨らませ始めた
「す、すみません」
いよいよ愛する夫がへそを曲げそうになってきたので、つららは慌てて謝った
だがしかし、今の今まで笑っていたものをそうそう抑える事はできずその声は震えている
その為、リクオの機嫌はますます悪化していってしまった
「え、ええと・・・別にリクオ様の事が可笑しくて笑っているわけではありませんよ」
震える声でそう言う妻にリクオはジト目を向ける
「じゃあ何?」
完全にへその曲がった男の声がぶっきら棒に響いてきた
「そ、その・・・嬉しくて、つい」
そんな夫に眉根を下げながら、つららは薄っすらと頬を染めて説明しだした
「昔からお優しかったリクオ様でしたけれど、こうやって夫婦になった今でも変わらずお優しいなって、その・・・嬉しくて」
裾で口元を隠す彼女特有の癖をぼんやりと見ながら、愛する妻の言葉にリクオもまた頬を赤くしていった
そして
「そ、そうなんだ」
「・・・・はい」
二人お互い顔を赤くさせて視線を逸らす
まだまだ新婚ほやほやな二人は、時々こうやって何気ない言葉にドキドキし合い無意識の内に所構わず熱々振りを披露する
そんな照れ合う二人の周りでは気を利かせた小妖怪達がコソコソと物陰に隠れるのであった
「おう、二人で何いつまでもいちゃいちゃしてんだい?」
そこへこの空気を壊すべく、しわがれた威勢の良い声が聞こえて来た
「お、おじいちゃん!」
「ぬ、ぬらりひょん様!」
昼間っからお熱いねぇ〜、と冷やかしてくる祖父にリクオもつららも一瞬で我に返る
がばっと音が聞こえてきそうな程の勢いで離れた二人は、顔を真っ赤にさせてわたわたと慌てた
「お?こいつは・・・・」
そんな初々しい新婚夫婦を面白そうに眺めていたぬらりひょんは、リクオが手にしていたものを見るなり顎に手を当て覗き込んできた
「へ?おじいちゃん、これ何だか知ってるの?」
突然己の手の中にあった羽を見るなり真剣な顔をした祖父に、リクオは恐る恐る尋ねる
「ん〜・・・」
「おじいちゃん?」
唸ったきり羽を見つめたまま微動だにしない祖父に、リクオは怪訝そうな視線を向けた
「ぬ、ぬらりひょん様?」
それまで真っ赤になって俯いていたつららも、突然真剣な表情をして羽を見つめ始めたぬらりひょんに不安を覚えたのか、心配そうな顔でこちらを見ている
「これは・・・・」
ぽつり、と搾り出すような声でぬらりひょんが呟いた
その言葉に二人はごくりと唾を飲み込む
「これは・・・・」
「「これは?」」
ぬらリひょんの言葉に二人はずいっと顔を近づけていく
そして、ぬらりひょんはゆっくりと口を開いてこう言ってきた
「知らん」
ズベッ
二人は盛大に滑った
畳の上に派手に倒れる二人を他所に、ぬらりひょんは「気のせいじゃった」とかかかと笑いながら言ってきた
「もう、紛らわしいことしないでよね!」
噛み付かんばかりの勢いでリクオが憤慨する
それをひらりと交わしながらぬらりひょんは
「いや〜すまんすまん、年じゃからの〜」
とひょひょひょ、と悪ぶれた様子も無くそう言うと煙管をぷかりと吹かしながら廊下の向こうへさっさと歩いて行ってしまった
「まったくもう、おじいちゃんは!」
リクオは人騒がせな己の祖父にぷんぷんと怒りを露わにする
「まあまあ、リクオ様」
そんな夫を妻がやんわりと慰めるのであった
リクオ達がいた居間から少し離れた廊下――
「ほう、あいつもアレが来る年頃になったかい」
先程の珍騒動をやらかした元凶が、煙管を咥えながら一人ほくそ笑んでいた
祖父のお茶目な冗談から立ち直ったリクオは今は自室に居た
正確に言えば妻と二人きり
夕食も風呂も済ませ後は寝るだけ
既に布団は部屋の中央に引かれていた
「つらら」
リクオはそっと妻の肩へ手を置くと蕩けるような甘い声で名を呼ぶ
「・・・・はい」
つららもまた頬を染め口元を袖で隠しながら潤んだ瞳で夫を見上げた
二つの影が重なりゆっくりと倒れていく
そして
ゴンッ
ボト...
記憶に新しい衝撃音が鼓膜にはっきりと聞こえて来た
続いて何かが落ちたような音も
「・・・・・・」
「・・・・・・」
ごそごそごそ
「り、リクオ様!」
「あ〜無視無視」
暫くの間お互い顔を見合わせていたのだが、何を思ったのかリクオはそのまま続けようとした
それを慌てて止めようとする妻にリクオは事も無げなことを呟いてきた
「だ、ダメですって!誰か外にいるみたいですから」
帯に手をかけてきた夫の手をわしっと捕まえると、つららは精一杯の力を込めて否定してきた
そんな冷たい妻にリクオは「ちぇっ」と残念そうに舌打ちすると渋々ながら手を引っ込める
そして「仕方ないな」とぶつくさ言いながらリクオは立ち上がり朝と同じようにスパンと襖を開けた
しかしそこにはまたしても今朝と同じように誰の姿も見られなかった
「つらら、気のせいだよ」
リクオはくるりと首だけを回して妻にそう嘯く
そして襖を閉めようとしたその時――
「もし・・・もし・・・」
庭の奥の方から、か細い声が聞こえて来た
「「え?」」
夫婦揃って庭の方へと視線を戻す
雲に隠れてしまった月のお陰で庭は暗くて良く見えなかった
しかしその庭の中央――
枝垂桜の巨大な幹の辺りに黒い影がぼんやりと浮かび上がっていた
「だ、誰?」
リクオはごくりと喉を鳴らしながらその影に声をかける
「奴良リクオ様と雪女つらら様ですね?」
その影は、ごそりと身じろぎするとそう言葉を返してきた
背後で自分とは別の唾を飲み込む音が聴こえてくる
そろりと近づいてきた妻が縋るように夫の腕を掴んでいた
名を呼ばれた夫婦は食入るように目の前の影を見つめる
「奴良リクオ様と雪女つらら様ですね?」
黙って見つめてくる二人に影はまた同じ質問をしてきた
「は、はい・・・」
「そ、そうですけど」
二人は慌ててこくこくと頷く
その様子に庭の影はほっと安堵の溜息を吐いた
「あ〜良かった、やっと辿り着きました」
溜息と共に嬉しそうな安心したと言わんばかりの声が聞こえて来る
その瞬間
ざあぁぁ、と風が吹いた
月を隠していた雲がその風に煽られて散っていく
雲が消えると同時に真っ暗な庭が月明かりに照らし出された
白く煌く羽毛
長い嘴
大きな翼
そして
巨大な籠?
目の前に突然現れた影の正体にリクオとつららは目を瞠った
その正体は
真っ白な鳥
羽の先と尾の先が黒いその鳥はリクオの腰位まで背丈がある
どこからどう見ても鳥であるそいつは、何故かカラカラと嬉しそうに笑いながらこちらに歩いて来ていた
「いや〜道中長かった・・・いやはやここまで辿り着くのに結構手間取ってしまいました」
申し訳ありません、とその大きな鳥は首から提げた巨大な籠を「よっこらしょ」と廊下に置きながら機関銃の如き早口でそう言ってきた
「は、はあ・・・・」
リクオは突然現れしかも当たり前のようにこちらにやって来た鳥を訝しげに見ながら頷く
「あ、申し遅れました私こういう者です」
目の前の巨大な鳥はそう言いながら一枚の名刺を差し出してきた
『あなたの赤ちゃんお届けします コウノトリ』
名刺にはそう書いてあり、リクオとつららは目を点にしながらその名刺を受け取った
そして重大な事実に気づきはっと我に返る
「こ、コウノトリって・・・赤ちゃん届けますって・・・まさか!?」
「はい、そのまさかです〜♪」
ピンポン、ピンポ〜ン♪と大正解!と羽で大きな丸を作りながらコウノトリと名乗った鳥は嬉しそうに答えてきた
コウノトリといえば、結婚した夫婦の元へ赤ちゃんを連れて来てくれるという幸福の鳥として昔から御伽噺などで語られている鳥のことで・・・・
その鳥が今リクオ達の目の前にいるというのだ
「え、いや・・・その・・・・コウノトリって空想上の生き物なんじゃ?」
リクオは恐る恐るといった風に目の前の鳥に聞いてみた
すると
「ノン、ノン、ノン!これだから素人は・・・いいですか?それは人間達が決めたお話、妖怪の世界じゃこれが普通です」
ちっちっちっ、と人差し指(多分)を真っ直ぐ立ててコウノトリはそう言ってきた
しかも
「いや〜、でもうれしいですなぁ、あの時お届けにあがった赤子様がもう私共めを利用されるお年になるとは・・・・」
いやはや時が経つのは早いもんですなぁ〜、とリクオを見つめながら嬉しそうに衝撃的な事実を伝えてくる
その言葉にリクオは固まった
「え?え?い、今なんと?」
固まるリクオの横で声を震わせながら妻であるつららが目の前の鳥に聞いてきた
「はい、二十年ほど前にそちらのお方・・・奴良リクオ様をこちらにお届けに参ったのは他でもない私でございます」
つららに聞かれたコウノトリはまるで自慢話でもするかのようにえっへんと胸を張って説明し始めた
「いやはや、あの時の赤子がこのようにご立派になられた姿を拝見できるとは、嬉しい限りでございます」
しかもその方の赤子まで運ばせて頂けるとは、とコウノトリは羽を胸に当ててうんうんと嬉しそうに頷いていた
「ええ〜っと・・・・それじゃあ僕は君に?」
ようやくショックから立ち直ったリクオが真っ青な顔でコウノトリを見下ろしながら聞く
「あ〜はいはい、そうでございます本当にご立派になられて♪」
リクオの言葉にコウノトリは微笑みながら懐かしそうに目を細めて頷いてきた
その言葉にまたしてもリクオは衝撃を受ける
あの時の赤子の成長を嬉しいと言って来てくれるコウノトリには悪いが
リクオはそれ所ではなかった
え?え?この籠から・・・・じゃあ僕はお母さんから生まれて来た訳じゃなかったの?本当に?
リクオの頭の中はパニック寸前だった
気を抜けばその場に崩れてしまいそうになる足を何とか踏ん張り辛うじて立っている
そしてそんなリクオにコウノトリの容赦ない言葉が降りそそいできた
「若菜様もそれはそれはお喜びになっておいででしたよ!」
くらり
にこにこと笑顔を作りながらはっきりと頷いてきた鳥の顔を見ながら、リクオは眩暈に襲われた
知らなかった・・・・僕って・・・・
リクオは顔を片手で覆って前のめりに倒れそうになった
しかしその時
「おお、忘れておりました!ささ、お納め下さいませ」
「!!!」
そう言って、ずいっとコウノトリが差し出してきたモノに二人は固まった
そこには――
大きな取っ手の付いた籠
廊下にでん、と置かれたその籠をリクオとつららがまじまじと見つめる
ご丁寧に籠の中身は見えないようにレースのあしらわれた布で蓋をされていた
しかもその上には
『奴良リクオ様&雪女つらら様の赤ちゃん御在中』
という鶴亀の印刷が施された熨斗がついている
だらだらだらだら
リクオとつららは暫しの間その籠を見つめていた
「な、何か見舞い品みたいだね」
「ほ、ほほ・・・・リクオ様ったら」
ひくひくと引き攣る頬を隠す事無くつまらない冗談を言う夫に妻もまた口元を引き攣らせながら笑った
「では、お届けしましたので私はこれで、他にも寄らなきゃいけませんので」
と、用事は済んだとばかりに背中に背負っていた笠を被り始める
「え?ちょっ待・・・・」
「それでは、御懐妊おめでとうございます」
リクオが引きとめようと手を伸ばした瞬間、コウノトリはばさりと羽を広げて舞い上がり、つららに向かってそう言ってきた
そして
バッサ バッサ バッサ
「待って!!」
リクオの叫びも虚しくコウノトリはあっという間に空の彼方へと飛んでいってしまった
「・・・・・・行っちゃった」
リクオはぽつりと呟くと足元に置かれた籠を見下ろした
ご丁寧に熨斗までついているそれは、あたかも当たり前のようにそこに鎮座している
「僕達の赤ちゃんだって」
リクオはぼんやりとその籠を見つめながらぼそりと呟いた
「の、ようですね・・・・」
つららも同じように足元の籠を見下ろしながら頷く
「本当にこの中にいるのかな?」
リクオはその場にしゃがみ込むと、そっと籠の蓋に手を触れながら言ってきた
あのコウノトリは僕達の子供だと言っていた
しかしどうにも変だ
リクオは徐に籠を揺すってみた
「リ、リクオ様!」
夫の突然の行動に妻は慌てて声をかけてくる
しかし、妻もまた夫の心意を汲み取ったのか食い入る様に目の前の籠を見つめた
何も起こらない
「おかしいよね?」
リクオは妻の顔を見ながら聞いてきた
「はい」
つららも夫の言葉に素直に頷く
確かにおかしい
この中に自分達の赤ちゃんがいるのなら何故
聞こえてこないのだろう・・・・
赤子の鳴き声が
夫婦はお互いの顔を見合わせゆっくりと頷くと、レースに縁取られた蓋をえいっと一気に外した
!!!!
途端、花のような香りと陽だまりのような暖かな風がふわりと舞った
そして耳に微かに聴こえて来た赤子の泣く様な声
それは一瞬のうちに掻き消えてしまい、開け放たれた籠の中には何も無かった
リクオとつららは顔を見合わせる
そして次の瞬間
「うっ!!」
バタバタバタバタ
「つ、つらら?」
突然顔を顰めたと思ったら口元を押えながら妻が廊下を走り去ってしまった
その突然の妻の異変にリクオは慌てる
慌てて妻の駆けて行った廊下を辿って行くと、向こうの方から声が聞こえて来た
「あら、つららどうしたの?・・・て、きゃあ〜誰か誰か〜〜〜!!」
「なになに?どうしたの?ち、ちょっとこれって!?」
「誰か早く鴆様を呼んでちょうだい!!」
きゃあきゃあと女衆たちの悲鳴が響いてくる
リクオはさぁっと顔色を変えると急いで駆け出した
しかし
声のする方へ必死に向かってようやく辿り着いたリクオはその場で門前払いを受けた
その後、リクオが門前払いを受けた理由はすぐに分ることになるのだが・・・・
だがしかし
リクオはある重大な事実に気づく
「え、もしかして・・・・またおあずけ!?」
『奴良つらら御懐妊』
吉報を受けた若き夫は複雑な想いで数ヶ月の間過ごすハメになるのであった
奴良家に幸せが舞い降りた、とある日のお話でありましたとさ
了
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