夜には少し早い時間、リクオは『化け猫屋』の暖簾をくぐっていた
「いらっしゃいませ〜、あ、三代目お待ちしておりましたよ〜ささどうぞ奥へ!」と出てきた店員達はリクオ達を奥の座敷へと案内する
「ああ」とリクオは一言頷くとゆったりとした足取りで奥の座敷へと消えていった
リクオが消えた店内で、店員である化け猫たちがひそひそと話していた
「めずらしいね」
「ああ、いつもは一人でいらっしゃるのに」
「しかも奥の座敷だよ」
「これはもしかして・・・」
「もしかするかも」
ニヒヒヒ、と含み笑いをしながら化け猫たちは期待に胸を膨らませていた


「あ、あの・・・今日はお誘いいただいてありがとうございます」
つららは隣のリクオに向かって頬を紅潮させながら礼を言った
「ああ、いつも世話になってるからな、たまにはいいだろう?」
言ってリクオは口角を上げながら笑い返した
その笑い方が何か含むものがあるように見えたつららは少しの間首を傾げていたが、主の好意を疑うなど以てのほかとすぐに笑顔に戻り首を振った
「そんな、お世話だなんて・・・嬉しいです凄く!」
つららはそう言って、にぱっと子供のような笑顔を向けながらリクオを見つめた


可愛いな


つららの素直な態度にリクオも嬉しくなる
「つらら」
リクオはこの雰囲気を逃すまいとつららの頬に手を添えたその時――
「お待たせしましたー」
と見計らったかのように店員達が入ってきて盆に載せられた料理や酒を次々にテーブルへと並べていく
気のせいか、中へ入ってきた猫達の数が多いような気がするのだが・・・・
これから、という時に突然入ってきた猫達を邪険にはできず、リクオは素早い動きでつららから向きを変えると、何食わぬ顔で猫達の相手をした
「悪いな」
「いいえ〜ごゆっくり〜」
料理を並べ終えた猫達は意味ありげにチラチラとつららを見ながらにこやかに退室していった
嵐のように過ぎ去った猫達を横目で見ながらリクオは取り合えずほっと胸を撫で下ろす


これでもう誰も来ないはずだ、な


そう心の中で呟きながら襖の向こうに意識を向ける
案の定、外にはだれも居ないようだった
リクオはそのことに気を良くし、つららには気づかれないようにニヤリと笑んだ
今日はつららと二人きりで楽しむ予定なのだ
実は事前に良太猫に頼んで座敷には誰も近づけさせないようにしてもらっている
リクオが何を企んでいるのかすぐに理解した良太猫はすぐさま承諾してくれた
しかも、「がんばってくださいね!」と何やら期待さえされている
その為、リクオ達がいる座敷は店の中で一番奥にあり滅多に人が来ない特別な場所だった
そう、ここは男女が密かに逢瀬を楽しむ密会の部屋
しかも、襖を隔てて隣に部屋がもう一つある
今回は隣の部屋を使う予定はないのだが、まさか、な・・・・
リクオは隣の部屋をちらりと見ながら気の利きすぎるこの店の店主の顔を思い浮かべていた
「どうしました?」
声のした隣を見ると、きょとんと不思議そうにこちらを見上げるつららと目が合った


そうだった・・・・


リクオは当初の目的を思い出し、先程までの思考を隅に追いやり隣の側近に集中する事にした
「いや、なんでもない。それよりどうだ?」
言って手にしていた盃をつららに勧める
「はい、では頂戴いたします」
主の誘いを断るような側近ではないつららは喜んでその盃を受け取り、くいっと一気に飲み干す
ふう、と頬をうっすらと染め息を吐くつららにリクオは更に酒を注いでやる
それを二度程繰り返したつららは酔ったのか口元に手を当てて俯いてしまった
「おい、大丈夫か?」
俯くつららにリクオは心配そうに尋ねる
「だ、大丈夫です。すみませんあまりお酒には慣れていなくって」
と、すまなそうにリクオを見上げるつららの目元は赤くなり瞳も潤んでいた


もうひと息だな


リクオは止めとばかりにすぐ側にあった酒を勧めた
「つらら、こっちのは口当たりも良くて飲み易いらしいぜ」
と言いながらグラスに入ったそれをつららの目の前に持ってきた
「きれい・・・」
火照った顔でつららは感嘆の声を漏らす
つららの目の前に置かれたグラスにはピンク色のシャーベットが入っていた
可愛らしく苺までのっている
照明に照らされてキラキラと光を反射するそれはもちろんお酒なのだが、つららは特に何も考えずグラスに備え付けられていたストローに口をつけた
気に入ったらしく、ちゅうっとおいしそうにシャーベットを飲むつらら
火照った体に気持ちいいのかあっという間に飲み終えてしまった
「ふう」
「おいおい、そんなに一気に飲んだら」
リクオの静止も虚しく一気に飲み干したつららは更に真っ赤な顔になりふらふらと体を左右に揺らし始めた
「えへへへ〜」
完全に酔っ払ってしまったつららは上機嫌にリクオに擦り寄ってくる
「わ〜か」
「なんだ?」
赤い顔のまま潤んだ瞳で見上げてくる側近に苦笑しながらリクオはつららの顔を見下ろした
ぼおっとリクオの顔を見つめていたかと思うと「幸せです〜」とその懐に擦り寄ってきた


チャーンス!


リクオは内心ほくそ笑んだ
ここまで泥酔したつららなら大抵の事は大丈夫だろう
そう確信したリクオはニヤリと何かを企んでいるような笑みを浮かべるとつららの耳元へと唇を寄せた
「なあ、つらら」
「ふあい?」
既に呂律も回らなくなってきたつららは朦朧としながらもリクオを見上げた
「頼みがあるんだが」
そう言って真剣な眼差しを向ける
「はい、なんでしょう?」
つららは「リクオ様のお願いなら何でも聞きます」とへにゃりと笑った
「そうか、じゃあ」
そう言いながらリクオはつららの耳元へ唇が触れそうな位近づくと、そっと囁いた


「俺に口吸いしてくれ」


「へ?」
つららはリクオの言葉を理解しきれず変な声をあげた
「だめか?」
リクオは間髪入れずに切なそうな視線を向ける
そんなリクオの視線につららは恥らうように瞳を伏せると
「そんなにしたいんですか?」
「ああ」
リクオはすぐに頷く
そんなリクオにつららはくすりと笑うと「もう、どうなっても知りませんよ〜」と言いながらゆっくりと顔を近づけて来る


これで、これでやっと


リクオは近づいてくるつららの顔に嬉しそうに目を細める
だんだんと近づいてくるつららの顔
火照った頬に真っ赤に潤んだ瞳
ぷるんと柔らかそうな果実のような唇
その全てに目を奪われながら近づいてくるつららを優しく抱きとめると、リクオもまた瞳を閉じた
その数秒後


ちゅっ


という軽いリップ音のあと全ての時が止まった
一つに重なる男女の体
お互い唇を合わせたまま微動だにしなかった
つららはリクオの胸に手を置き瞳を閉じたままでいた
リクオはつららの背中に添えた手が僅かに震えていた
しかも瞳は見開き顔は青白さを通り越して蒼白になっていた
次の瞬間――


「ぐはっ・・・ごほっごほっ・・・」
リクオは、つららから慌てて離れると喉元を押さえて苦しそうに身悶えた
「だから・・・言いましたの・・・に・・・・」
つららはとろんとした目でリクオに言うとその場に崩れ落ち、スヤスヤと眠ってしまった
案の定、リクオはつららの口吸いにより喉はおろか、肺まで凍らされる羽目になってしまった
妖怪の姿であったリクオは、その数十分後になんとか復活したのだが
リクオはなんともやるせない視線を隣で気持ち良さそうに眠るつららに向けながら溜息を吐いていた


「くそっ、大丈夫だと思ったのに・・・・」


まだまだお預けは長そうだ、と一人肩を落とすリクオであった



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