明け方にはまだ早い薄闇の残るその時間
リクオは隣で眠る愛しい女の寝顔を眺めながら考えを巡らせていた
陶器のような肌理細やかな肌に指を這わせ何度もつららの頬を撫でる
肌触りの良い感触を楽しみながらリクオはある決心をした
「明日にでも話をしてみるか」
と――

次の日の朝、リクオは少し不機嫌な顔をしたまま祖父の部屋を訪れていた
屋敷の奥にある広い部屋の前に来ると、「おじいちゃん、ちょっといい?」と部屋の中の人物に向かって声を掛けた
しかし、待てども待てども部屋の中からは「おおリクオか?どうしたんじゃい?」という、いつものしわがれた声が聞こえてこなかった
「おじいちゃん、いないの?」
いい加減痺れを切らせたリクオは、そっと襖を開けて中を伺った
しかしそこはもぬけの殻
「あれ?どこ行っちゃったんだろう?」
庭にでも出ているのかな、と縁側から庭に出て辺りをキョロキョロと見渡していると
頭上からバサリと羽音が聞こえてきた
見上げると、空の警護を終えた黒羽丸がこちらに降り立つところだった
ストンと軽い音を立てながらリクオの目の前に降り立った黒羽丸は、主の顔を見るなり「如何なされましたか三代目」と言いながらその場に膝を折った
「ああ、おじいちゃんを探してたんだけど」
黒羽丸は知らない?と足元に跪く黒羽丸に問いかけた
すると黒羽丸は顔を上げ、リクオにこう答えた
「ぬらりひょん様なら父上達と慰安旅行に出かけました」
その言葉にリクオは目を見開いて叫んだ
「ええ!いつの間に!それでいつ帰ってくるの?」
「はい、今朝お早く発たれまして、一週間後にはお戻りになられるそうです」
「一週間・・・・」
リクオは黒羽丸の言葉に眉根を寄せると、途方に暮れたように空を見上げてぽつりと呟いていた





とりあえずリクオは、どこに向かうのかも言わず旅行に出てしまった祖父の帰りを一週間の間、大人しく待つ事にした
しかしその間、大学生活をそつなくこなしていたリクオに、新たな悩みが生まれた
それは、つららの態度だった
つららはリクオと初めての夜を共にした日から、何故か余所余所しくなった
夜を共にした次の日の朝(当日は一日一緒に居たため)は、顔を合わせるなり一目散に逃げて行き
その後の朝食も、手がちょっと触れただけで悲鳴を上げ、持っていた茶碗を天井にメリ込ませ
大学に行く道のりも、いつもよりも数メートル離れた場所から付いて来る始末
終いには青田坊に
「何かあったんですかい?喧嘩でもしなすったんで?」
と心配までされてしまった
それにはさすがのリクオも笑うしかなかった
「そんな事ないよ、大丈夫だから」
と、青田坊には笑顔で返し
ちらり、と背後のつららを盗み見る
顔を真っ赤にさせて俯くつららに、ふっと笑いが漏れた
だってこれはどう見ても――

照れてるよね・・・・

つららのこの反応はどこからどう見ても、恥ずかしさ故の行動に見えた
鈍いリクオでも、こうもあからさまに態度に出されれば判るというもの

まあ、今まで何の進展もなかったからなぁ〜

仕方ないよね、とリクオは嬉しいやら可笑しいやら照れ臭いやらで、思わず顔がにやけてしまった
この時は、つららの反応に嬉しそうに微笑むリクオであったが
しかし事態は良くなるどころか益々酷くなる一方で
その後「どうしたらいいんだ〜」と頭を抱えるリクオが何度も目撃された



ど、どうしよう・・・・
リクオは頭を抱えていた
原因はもちろんつららである
つららの態度の変化から早くも三日が過ぎようとしていたのだが
そのうち慣れるだろう、とタカを括っていたリクオは事の重大さに今になって気づいたのであった
雪女ことつららは、もの凄く古風なうえに超が付くほどの恥ずかしがり屋だった

忘れてたよ・・・・

半眼で目の前の女を見ながらリクオは大きな溜息を吐いていた

そうだよね、こうなるってなんで気づかなかったんだろう、僕

目の前の女――つららは何故かリクオから数メートルも離れた場所で体を硬くして正座していた
手には洗濯物
いつもの調子は何処へやら、ぎこちない手つきで洗濯物をたたんでいた
そのすぐ横には有り得ない程うず高く積まれた洗濯物がそびえている
しかもその洗濯物の塔は不安定に揺れていた
あと何枚か乗せたら倒れそうだなとリクオが心配している矢先、案の定つららは期待に応えてくれた
ぐしゃり、と雪崩を起こした洗濯物の山はつらら目がけて倒れていき、見事にその下敷きになった
「きゃ〜」と可愛らしい悲鳴を上げるつららに、リクオは慌てて駆け寄ると腕を捕まえて助け出してやる
無我夢中で、ぐいっと抱き寄せた小さな体
胸に抱いた久方振りのその柔らかい感触に、リクオは無意識のうちに頬を摺り寄せていた
しかしその甘美な時間も、突然つららが手を突っ張ってリクオを突き飛ばした事で敢え無く終了してしまった
「ひゃ、ひゃああああ」
悲鳴と共に、ありったけの力で突き飛ばされたリクオは、盛大に後ろの壁に激突する
「うっ」と、思わず呻いた声につららがはっと我に返ると、ようやく自分がしでかした事に気づくや大慌てでリクオに駆け寄ってきた
「ご、ごごごごめんなさいリクオ様!!」
「大丈夫だよつらら」
あわあわと冷や汗を流し眉根を下げて謝ってくるつららに、リクオは優しく答えた
「で、でも・・・」
尚もおろおろとするつららに、リクオは暫し考え込むと
「んー、じゃあ膝枕して」
と痛む頭を擦りながら極上の笑顔でおねだりしてみた



「あ、あの・・・・」
そわそわそわそわ
つららは膝の上に感じる暖かな感触に小さく身じろぎしていた
久方振りに近くで見る主に思わず頬が熱を持ち始めてしまう
リクオと初めて契った日から、どうにも直に顔を見ることが出来なくなっていた

リクオ様・・・・

この胸に溢れるのは愛おしいという感情だけ
好きで好きで堪らないのに
もっともっと触れて欲しいのに
しかし心に抱く思いとは裏腹に、体は別の行動を取る

側に居たい触れていたいと思う度、あの夜の事が鮮明に思い出され
気がつくと、恥ずかしさでついつい視線を逸らしてしまう
しかも本人が近くにいると体が勝手に逃げ出してしまうのだ
そんな事などしたくはないのに、気がつくと距離を置いてしまっていた

つららは膝の上で幸せそうに目を閉じている愛しい人の顔を見ながら目を細めた

本当に久しぶり・・・・

こうやっている今でも心臓はどきどきと早鐘を打ち、膝の上で眠っているリクオに聞こえてしまうのではないかと思うほど煩い
そっと震える手でリクオの柔らかな髪を梳くと、そっと手を握られた
握ってきたのはもちろんリクオの大きな手だ
暖かな陽だまりのようなその手の熱に、つららは一瞬びくりと肩を震わせたが、理性を総動員してなんとかその場に留まる事ができた

これ以上逃げたら本当に嫌われてしまうわ・・・・

それだけは絶対嫌だと、懸命に平静を装ってリクオを見下ろしていた
己の胸はドクドクと煩く悲鳴を上げていたのだが

微かに体を震わせながらつららが懸命に逃げまいと耐えていると
すっと、リクオの閉じていた瞼が開いた
「また逃げられるかと思ってたのに」
逃げないんだねと、つららの瞳を見上げながらリクオは嬉しそうに言ってきた
「恐い?つらら」
「え?」
一瞬何に対して言われたのか判断しかねそうになったつららだったが、しかし次の瞬間激しく首を横に振っていた
「いいえ、いいえ!恐いなんてそんなことありません!!」
ぶんぶんと首が飛んで行ってしまうのではないかと思えるほど激しく否定するつららにリクオはすっと目を細めると
「よかった」
と、心底嬉しそうに破顔した
「リクオ様?」
「つららが最近僕に近づいてくれなかったから心配だったんだ」
不思議そうに首を傾げるつららに、リクオは困ったように肩を竦ませて自身の不安を晒した
「す、すみません」
「ん、わかってるから」
大丈夫だよ、と慌てて謝るつららにリクオは優しく答えた
リクオは確かめるように、そっとつららの頬に大きな手を添える
つららはその温かい手に擦り寄るように頬を寄せると
「もう逃げませんから」
とリクオの手を小さな白磁の手できゅっと握り締めた
そんなつららを見る事ができたリクオは、心の中でやっと安堵の息を吐けた
そして――

つららの為にも早くしなきゃ・・・・おじいちゃんお願いだから早く帰ってきて〜!

と胸中で叫ぶのであった





そして、ようやく待ちに待ったこの日がやって来た

ぬらりひょん様御一行、慰安旅行からご帰宅!

やれやれ楽しかったわい、と腰を下ろす暇も無くどこから現れたのか、もの凄い速さで走ってきた愛孫に、ぬらりひょんは自室へと連れ去られた
その間わずか0.5秒
しかも愛孫はこの時、人間の姿だった
その驚異的な瞬発力に、同じく旅行から帰ってきたばかりの側近達は口をあんぐり開けて、ぬらりひょんが連れ去られた廊下を呆然と見つめていた

「なんじゃい、なんじゃい、帰った早々お前は!」
いきなり自室に連れ去られ、やっとのことで手を放してくれた孫に、ぬらりひょんはこめかみに青筋を立てながら怒鳴った
「おじいちゃん」
憤慨する祖父の怒気に気圧されることも無く、更に鬼気迫る顔で至近距離まで詰め寄ってきた孫に、逆にぬらりひょんの方がたじろいだ
「な、なんじゃい」
いつにない昼の姿の孫の気迫に驚かされながら、ぬらりひょんはどうしたのかと聞き返す
そして、孫が次に放った言葉に、ぬらりひょんはこれ以上無いほどに目を大きく瞠る事になるのであった

数分後――
とりあえず、もの凄い剣幕で捲くし立て続ける孫に落ち着け、と茶を勧めた
ずず、と渋い緑茶を啜る音が暫くの間、部屋の主導権を握る
しかしその時間も束の間、空になった湯飲みをコトリと盆に置くと、リクオがぬらりひょんへと改めて向き直ってきた
その姿をぬらりひょんは目を細めて見返す
「本気なんだな?」
「うん」
「反対されても・・・か」
「僕の気持ちは変わらないよ」
「そうか・・・・」
孫の真剣な瞳にぬらりひょんは暫く思案した後、カンと煙管の灰を捨てるとその切れ長の細い目を見開いた
「うむ、お前の心情あい分かった、今夜にでも貸元達を呼ぶとしようかの」
「え、それじゃおじいちゃん」
「ふっ、安心せい、このおじいちゃんが誰にも文句は言わせねぇよ」
「ありがとうおじいちゃん、でも・・・・」
祖父の言葉にリクオは嬉しそうに頷くと、しかし最後の言葉を意図的に途中で切り、すっと背筋を伸ばして睨むような目つきで一瞬だけ祖父の顔を見据えると

「この件は僕がきっちりカタをつけるから、だからおじいちゃんは僕の後ろで見守っててよ」

にこりと曇り一つ無い笑顔でそう告げてきた

こいつ・・・・

孫のその言葉に、ぬらりひょんはくくっと口角を引き上げる

いつの間にか男の目をするようになったじゃねぇか

凛々しくしゃんと背筋を伸ばして己のケジメをつけようとする愛孫に、ぬらりひょんはすっと目を細めると
「そうかい、それじゃあワシは・・・・」

高みの見物とでも洒落込ませてもらうかのう

と、にやりと笑い返してやった



その数時間後、ぬらりひょんはリクオに約束した通り緊急会議と称して全貸元達を本家へと呼んでくれた

「さてと、ここからが本番だな」

リクオはぞろぞろと集まりつつある百鬼達を見ながら、一人策を練るのであった





「あ、あの・・・本当によろしいのですか?こんな・・・・」
「大丈夫だよつらら、僕に任せて!」
日が暮れ始めた宵の口
つららは何故かそわそわしながら心配顔でリクオを見上げていた
対するリクオは何処吹く風と、なにも心配要らないよとこちらを見上げるつららに笑顔を見せた
「でも・・・・」
「ははは、つららは心配性だなぁ〜、何も今日、明日祝言を挙げるわけじゃないんだから、今日はその報告だけだよ」
大丈夫、大丈夫、僕に任せておいて!とウインクする主に、つららは「わかりました」とようやく少しだけ笑ってくれた
「ほらもっと嬉しそうに笑って、君は今日の主役なんだから」
「で、でも・・・・あまりにも急なことで・・・・その」
なんだか恥ずかしいです、ときゅっとリクオの服を掴むつららに「可愛いなぁ」とこれからの大業も忘れ、リクオはへにゃりと相好を崩した

そうこれからが本題だ

リクオは愛しい恋人に笑顔を向けたまま胸中で呟いた
百鬼でもある貸元たちを本家に全員集め、リクオはある報告をするつもりでいた
それは――

三代目奴良リクオと雪女つららとの婚約成立の報告

しかもあわよくば、そのまま結納も済ませてしまおうというのがリクオの魂胆である
その為、今日一日リクオは駆けずり回っていた

まず祖父に一番にこの事を相談し――旅行から帰ってきた矢先に拉致った
次に母に報告をした――昼食の準備中だったので台所にいた女衆達と一緒になって喜んでいた
そして屋敷中の側近達に報告した――大、中、小それぞれの妖怪達が驚いたり悔しがったり喜んだりと、それはもう大騒ぎになった
そしてそして・・・最後に愛しい女へ

その場に跪き、大急ぎで買って来た(三羽鴉送迎付き)花束を、つららの目の前に捧げながらありったけの想いを込めて囁いた
「月並みでごめん、僕と結婚してください」
そう言いながら手渡された花束には――

アイリス、アネモネ、スイセン、バラ、・・・・

ありとあらゆる花々がこれでもかという程詰め込まれていた
しかもそのどれもが求婚に使われる花ばかり
「リクオ様・・・・」
突然の言葉と抱える程の花束に目を丸くしながら、つららは目の前で跪くリクオを見下ろした
「ごめんね、花束に入りきらない分は部屋に飾っておいたから」
そう言ってすらりと開け放たれた自分の部屋に、つららは更に目を見開いて驚いた
そこには――

花 花 花 花

花の海

と言えるほどの花達が所狭しと並べられていた
「こ、これって・・・・」
「うん、ほとんどが僕からのだけど、あと本家の皆からのもあるよ、運ぶの大変だったから三羽鴉たちにも手伝って貰っちゃったんだけどね」
「皆からもって・・・三羽鴉たちにもって・・・・」
リクオがさらりと言った言葉に、つららは仰天しながら庭先に控えていた鴉達に目をやった
平然としているように見えた鴉達はよく見ると、体のあちこちに葉っぱやら枝やらが付いていた
心なしか彼らの顔は憔悴しており、自慢の漆黒の羽毛も乱れているように見える
「ご、ごめんなさい」
なんてこと!と慌てて三羽鴉たちに謝るつららに、黒羽丸をはじめ他のきょうだい達は頭を振った
「なに、私達からの気持ちだ、おめでとう雪女」
「ああ、俺達はみんな喜んでんだぜ!」
「よかったな、雪女」
思い思いの気持ちを乗せて祝いの言葉を伝えながら朗らかに笑っていた
「ありがとうみんな」
つららはくしゃりと表情を歪めながらそう言うと、花束の中に顔を埋めるとふるふると肩を震わせた
そんな三羽鴉とつららのやり取りを蚊帳の外で見ていたリクオは

オホン

と一つ咳払いをすると、少し不満げな顔で立ち上がり
「皆、僕のこと忘れてない?」
あはは、と爽やかな笑顔で四人に言った
その笑顔は、笑顔なのに何故か般若のように見えて・・・・

「はっ!リ、リクオ様、も、申し訳ありません!!」
ずざぁ、と三羽同時に数メートル後退った彼等は、冷や汗をだらだら流しながら「そ、それではこの続きはお二人だけで!」と一目散に空へと逃げて行った
その様子をぽかんと見上げていたつららは、横から聞こえてきたリクオの声に我に返る
「つらら、それで返事は?」
「は、はい!も、もちろんお受けいたしますぅぅ!!」
こちらも何故か背筋に薄ら寒いものを感じながらこくこくと頷いていた
そんなつららの返事に気を良くしたのか、般若の笑顔はすっと消えいつもの優しい笑顔に戻っていた
「じゃ、つらら今夜皆にこの事伝えるから!」
「へ?」
また後で来るからね〜♪とスキップをせんばかりの勢いで嬉しそうに駆け出しながら、リクオはあっという間に去って行ってしまった
その場に残されたつららはというと――
「え?え?今夜って・・・・」
とリクオの言った意味を理解できず、呆然と抱える花束に埋まっていたのであった

そして今
関東中の全貸元達が集う中、重苦しい空気を払うかのようにすっと襖が開かれた
そこから現れたのは夜の闇を纏った妖のリクオ
その威厳のある姿に一同ごくりと息を飲む

「待たせたな」

妖艶な微笑を湛えながらリクオは部屋の中に勢揃いした貸元達を見渡した

そうこれからが本番
リクオはひとり口角を上げながら本日最大の策を講じるべく前へと進んだ



目を細めて一人ひとり己の下僕達を見渡す主の瞳には強い意志が宿っていた
それはまるで、これから言う言葉に誰一人として異を唱えることを拒むかのような威圧を持っていた
その突き刺すような瞳に知らず冷や汗が垂れる
たっぷり数秒の間をもってからリクオが徐に口を開いた
「今日集まって貰ったのは他でもねえ、俺とこいつとの婚約の報告をするためだ」
リクオの言葉に場は騒然とした

ざわざわざわざわ

「緊急と聞いておったが」
「はて?これはどういう事か?」
「めでたい知らせなのか?」
ある者は首を傾げ、ある者は素直に驚き、ある者は隣同士で囁き合い
あちこちで貸元達が顔を見合わせ困惑していた
すると、一人の貸元が訝しげにリクオに申し出てきた
「こいつ・・・と申しますと?」
しかも、明らさまにきょろきょろと相手の女性を探している
その不躾な貸元の態度に、リクオは鼻に皺を寄せると静かな声で言った
「すぐここにいるじゃねえか」
ここ、とリクオが指差した先には――雪女
は?とリクオとつららを交互に見ていたその貸元は次の瞬間笑った
「ほほほ、まさかとは思いますがそこの雪女ではありますまいな?」
「まさか、三代目ともあろうお方が側近などと・・・その様な戯言を言うために我らをわざわざ呼んだのですかな?」
「くくく、三代目もお人が悪いこの様な事をして我らを驚かそうとは・・・いやはやまだまだ子供ですな」
笑止、と言わんばかりに調子に乗った貸元達に続き、その場にどっと笑い声が湧く

ほほほ  はははは  くすくすくす

いつまでも響き渡るその笑い声に、リクオは静かに口を開いた
「俺が決めた女に何か文句でもあるのかい?」
ひときわ響く凛と透き通るその声に、部屋を埋め尽くしていた笑い声が嘘のようにぴたりと止んだ

しーーーーーーん

静まり返る部屋
優しく微笑むように聞こえたリクオの言葉は何故か猛毒を含んだ棘のように貸元達の肝をちくりと刺し、一瞬で震え上がらせた
「ふ、なにもねえのかい?」
下を向きぶるぶる震える貸元達を一瞥し、ふっと口元に笑みを張り付かせてリクオがそう呟けば
部屋中に響く息を飲む音
しかし、そんな重苦しい状況を振り払わんと立ち上がる者がいた
「はっ、三代目何言ってやがる、雪女を嫁にするだあ?頭おかしいんじゃねえのか?」
がばっと立ち上がった大きな影は、ぎょろりと大きな目玉を見開いてリクオを見下ろしてきた

一ツ目入道だ

この男はリクオが三代目を襲名する前から何かといちゃもんを付けてくる厄介な相手だった
しかしリクオは一ツ目入道が立ち上がった瞬間、気づかれないようににやりと笑っていた
そう、これこそがリクオの狙いだった

「一ツ目、お前は気にいらねえのかい?」
「おうおう気にいらねえな〜、大体俺達に招集をかけたのはそこにいるぬらりひょん様だぜ?緊急って言うから来てやったのに、来てみりゃあなんだ?三代目様の結婚話、はっ、しかも相手が側近だあ?側女が正妻になれるかってんだ、示しがつかねえだろうが奴良組潰す気かよ?」
ふざけるな!一ツ目入道が声高に叫んだその瞬間、リクオの片眉はぴくりと跳ね上がり、鋭い目つきで一ツ目入道を睨んだ

ぞくり

背筋に走る悪寒
一瞬で部屋を満たすリクオの畏
「ふざけてんのはお前だよ」
一ツ目ぇ、とリクオが口角を上げながらギラリと見据える
「俺の女を側女と呼ぶか?」
「ふ、ふん本当のことだろう」
何が悪い、と言いかけた一ツ目は次の瞬間「ひいっ」と悲鳴を上げた
腰を抜かして畳に尻餅をついた一ツ目が見上げる先――

すらり、と鈍く銀色に光る弥々切丸の刀身を鞘から抜き、その切っ先を向けるリクオがいた

「一ツ目、言い残すことはそれだけか?」
「ま、待て早まるな!」
「リクオ様」
一ツ目入道に今まさに弥々切丸を振り下ろさんとしていたリクオを止めたのは他でもない

つららだった

一ツ目入道を庇う様にリクオの目の前に立ち塞がり、「おやめください」と必死に乞う
「つらら、そこをどけ!こいつ我慢ならねえ」
「いいえ退きません」
「お前酷いこと言われてんだぞ?」
「はい、分かっております、ですがここは刀をお収めください」
尚も両手を広げて一ツ目入道を庇おうとするつららにとうとうリクオも折れた
しぶしぶといった表情で弥々切丸を鞘に収める
それを見届けたつららは即座に一ツ目入道に向き直り頭を下げた
「申し訳ございません、私が不甲斐ないばかりに」
全ては私の責任でございます、と平身低頭するつららに一ツ目入道は懲りずにまた口を開いた
「ふんその通りだな、お前が三代目を誑かさなきゃ俺もこんな目に遭わなかったんだ」
その瞬間

ズゴゴゴゴゴゴゴゴ

と部屋の向こうから怒りの負の念が押し寄せてきた
しかも一人や二人のものではない

スパーーーーーーン

と、突然襖が勢い良く開いたかと思ったら、そこから本家の妖怪達がわんさと中へと雪崩れ込んできた

「ちょっと、アンタ聞き捨てならないね!雪女がなんでリクオ様を誑かすのよ!」
「おうおう、そうだ雪女はなぁ昔っからリクオ様一筋だったんだぞ!」
「一ツ目入道様、その言葉聞き捨てなりませんね」
「貸元だかなんだか知らないが、雪女を馬鹿にする奴は拙僧が許さん!」
「ん〜、おいら良くわかんないけどアンタが悪いよたぶん」
「そうだそうだ〜」
「雪女にあやまれ〜」

やんややんや

リクオの側近はもちろん納豆小僧や3の口までもが口々に捲くし立てる
そのどれもが雪女を庇う科白だった
「みんな・・・・」
つららは仲間達の言葉に嬉しさで瞳を潤ませる
「う・・・」
突然押しかけてきた本家の妖怪たちに、さすがの一ツ目入道もこれでは敵わんとたじろいでいると
そこへ、リクオがしたり顔で近づいてきた
「そういうこった一ツ目、示しも何も本家のみんなが認めてるんだ問題ねえだろう?」
「ついでに付け加えさせていただきますと・・・・」
リクオの言葉に付け足すように突然背後から声が聞こえてきた
一ツ目入道はぎょっと驚いて振り向くと
いつの間に現れたのか、そこには三羽鴉が立っていた
「一ツ目入道様を除いた全ての貸元たちは、今回の婚約に同意されておられます」
長兄黒羽丸が淡々と告げた言葉に更に驚き辺りを見回すと、本家の連中に睨まれて小さくなっている貸元たちの姿があった
その様子を静かに見守っていたリクオは
「そう言うこった」
と、にやりと口角を上げて目の前の男を見下ろした
この状況下で見下ろされた一ツ目入道も、いい加減観念せざる負えないわけで・・・・
がくっと肩を落とすと「好きにしろい!」と自棄気味に叫んだ
「ふっ、そうかい・・・じゃあ」
リクオはそう言って毛倡妓たち、側に控えていた女衆に目配せする
すると
「承知しました〜♪」
と、待ってましたとばかりに女衆達が嬉しそうに返事をしてバラバラと散っていく
そして――

すらり

奥の座敷の襖があっという間に取り払われた

そこには、白木の台に乗せられた豪華な結納品の数々が並んでいた

そしてその更に奥には贅を尽くした膳が所狭しと何十にも並べられており
飲みきれないほどの巨大な酒樽も壁側にうず高く積まれていた
その光景に貸元たちはもちろん、本家の連中も目を瞠る
「ささやかだが、結納も済ませちまおうと思ってな、今日は無礼講だたくさん飲んで食ってってくれ」
リクオの大盤振舞いに皆一斉に歓声を上げた

「いいぞ奴良組総大将!」
「いよ!三代目!!」

こうして奴良家の夜は更けていった



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