こちらのお話は19巻の百六十一幕の扉絵から妄想したお話です。
扉絵の二人は笑顔だったはずなのに何故か薄暗い話になってしまいました(汗)
すれ違いで主従逆転の話になっていますので苦手な方はお引き返しください。
大丈夫な方は下からどうぞ。



















ガラガラ ガラガラ
ガラガラ ガラガラ

廻る 廻る
車輪が廻る
あの人を乗せて
どこまでも





「ふぅ……」
私は重い溜息を吐き出すと部屋を出た
すると、先程お父様から聞いたお話が脳裏に蘇ってきた

『お前も年頃の娘だ、どうだそろそろ……』

そこまで思い出して頭を振った

思い出したくない……

俯いて唇を噛む
視界がぼやけていく

こんなのは嫌だと心が叫んでいる
でも

逆らえない

お父様の言うことは絶対で
私はそれに従うしかない
重い足取りで長い廊下を進み
私はようやく外へと出た
唯一自由になるこの時間
学校に着くまでの道のり
それが私に与えられた唯一の自由だった

「おはよう、今日もよろしくね」
私はいつものように外で待っている車夫へと声をかけた
「おはようございます、お嬢様」
車夫もいつものように、ぺこりとおじぎをするとそう言ってきた

彼もまた私に与えられた自由になる相手だった
私を運ぶ為に用意されたヒト
私の為に車を動かし
私の言葉を静かに聞いてくれるヒト

彼は私が唯一自由に話せる男性だった

私はにこりと笑顔を作ると、袴を翻しながら人力車へと乗り込む
車夫は慣れた手つきで人力車を持ち上げるとゆっくりと走り出した
ゆっくりと動き出す車輪
体に伝わる僅かな振動
緩やかに当たる風は頬を撫で、頭上で結わえたリボンを揺らす
それを心地良いと思いながら、私は肌触りの良い背凭れへと身を預けゆっくりと目を閉じた





たまたま聞いてしまった話
何てことはないただの噂話
しかし僕はその噂話を聞いて心が乱れた

『とうとうお嬢様も、お見合いなさるそうよ』
『あら、相手はあの実業家の?』
『ええそうよ、本当に羨ましいわ〜』

女中達の噂話をたまたま聞いてしまった僕は思わず立ち止まってしまった
まさか、と思った
あのお嬢様が、と思った
尚も続く女中達の話を聞いているうちに胸が痛くなってきた
胃の辺りが何故かキリキリしだす
急な吐き気を覚えて僕はその場から急いで立ち去った

突然の吐き気からようやく立ち直った僕は、いつものように玄関の前でお嬢様を待っていた
するとお屋敷の中から聞き慣れた足音が近づいてきた
聞き間違えるはずはない、あれはお嬢様の足音
僕の心が高揚していく
僕に唯一許された自由
お嬢様を見る事ができる唯一の時間
僕は静かにお嬢様がやって来るのを待った

「おはよう、今日もよろしくね」

待ち侘びていた笑顔を見れて僕も自然と笑顔になる
「おはようございます、お嬢様」
僕はいつもの様に挨拶をすると、すぐに向きを変え人力車の取っ手を握った
お嬢様が軽やかな足取りで車に乗り込む
きちんとお座りになったのを確認すると、僕はゆっくりと立ち上がった
ガラガラと音を立てて動き出す人力車
僕の力で引き、お嬢様を学校まで運ぶ
それが僕に与えられた仕事だった
毎日毎日繰り返されるそれ
しかし、この仕事は僕にとって苦ではなかった

むしろとても誇らしく
そしてとても幸せだった

お嬢様をお運びできる

それが僕の生甲斐だった
しかも幸運な事に、お嬢様はこんな僕に話しかけてくださった
一介のただの雇われ使用人である僕に

「今日はゆっくり走ってちょうだい、少し時間に余裕があるから」
「はい」

「ああ、今日の帰りは問屋さんへ寄ってね、新しいリボンが届いているはずなの」
「はい」

他愛無いただの報告や命令ばかりだったけど、それでも僕は嬉しかった
お嬢様が話し、それを僕が聞く
一介の使用人である僕には勿体無いくらいだ
今日もまた僕はお嬢様の話を聞くべく黙って車を引いていた
しかし、今日は何故かお嬢様は一言も話しかけてはくれなかった
聴こえて来るのは溜息ばかり
いつも明るいお嬢様が今日は珍しくおしゃべりをしない
僕は人力車を引きながらそっとお嬢様を見た

お嬢様は静かに座っていらした
しかも顔は俯いたまま
前髪で表情は伺えなかったが明らかに気落ちした様子だ
僕は何度もお嬢様の様子を伺いながら意を決して声をかけてみた

「どうなさいましたか?」
「え?」
突然声をかけてきた僕の声にお嬢様は驚いて顔を上げた
「いえ、今日は少し元気がないように思えたものですから」
僕は少し躊躇ったが、さらに言葉を続けた
僕の言葉にお嬢様が息を呑む気配が伝わってくる
僕はその瞬間怒らせてしまったのかと焦った
ただの使用人が出過ぎた真似をした
明らかに罵声される
僕は前を見ながら自分の犯した過ちを悔いた
しかし

「私ね……お見合いする事になったの」

お嬢様の口からは意外にも叱咤の言葉は出てこなかった
しかし、その代わりに僕にとっては嬉しくない事実を聞かされた
僕は後悔した
話し掛けなければよかったと思った

お嬢様からあのお話を直接聞くことになるなんて……

僕は少しだけ俯くと、走る速度を速めた
僕の想いとは裏腹にお嬢様は尚も話を続けてこられた
「来月、私お見合いするの……お父様の命令で……」
お嬢様は何故か探るように一言一言ゆっくりと話してきた
「そうですか」
僕はお嬢様の言葉に簡潔に頷いた
「ええ」
お嬢様も短く返事をする
「おめでとうございます」
僕は何度も躊躇い、やっとの事でその一言を口から絞り出した
僕の言葉にお嬢様は何も言わなかった
ちらりと盗み見た僕の瞳には、お嬢様の悲しそうな顔が映った
僕は慌てて前を見る

なんで
どうして
そんな顔をなさるのだろう

ただの使用人である僕にはお嬢様の心情はわからなかった
ただ悲しませてしまった
僕が話しかけたせいで
その事だけはわかった
だから僕は黙って人力車を引き続けた
もう何も言わない
お嬢様が望むまま僕はこの車を引き続ければいい
そう、僕に与えられたのはそれだけ
僕は黙って車を引き続ける

走れ走れ僕の足
もっと速く
ずっと速く
彼女を攫って行けるくらい

できることならこのままずっと……





人力車の上で私が黙って俯いていると
珍しく車夫である少年が声をかけてきた
「どうなさいましたか?」
「え?」
私は突然かけられた声に思わず声を上げてしまった
慌てて下を向く
年頃の娘がはしたない
前にいる少年にそう思われていないかと、恐る恐る彼を盗み見た
しかし彼はそんな私の声を気にする事無く車を引き続けていた
安堵する私
しかし、私は先程から頭の中をぐるぐると廻る思考にまた下を向いて黙り込んでしまった
すると、また彼が声をかけてきてくれた
「いえ、今日は少し元気がないように思えたものですから」
かけられた言葉は少しだけ探るような声音を含んでいた
その言葉に私は喜び
そして落ち込んだ
彼に心配をさせてしまった
しかも思い出したくもない事で
私は暫くの間言おうか躊躇ったが、彼がどう反応するのか見てみたくて言ってみた
「私ね……お見合いする事になったの」
彼の反応をじっと見守る
「そうですか」
彼は前を向いたまま淡々と答えてきた
「ええ」
私は何故か心が震えるような感覚に襲われながらも気丈にそう返事を返した
暫くの間沈黙が続く

それだけ?

私が少しだけ落胆していると、彼はゆっくりと息を吐きながらこう言ってきた
「おめでとうございます」
と……
私はその瞬間泣きそうになってしまった
彼から聞きたいのはそんな言葉じゃないのに
彼から聞きたいのは……
そこまで考えて私ははっとした

私は……彼のことを……

気づいた己の心に私は自嘲の笑みを零した
遅いのに
もう遅いのに
いまさら気づいたってもう……遅い
私は来月お見合いをさせられる身
いまさらこの想いに気づいたってどうにもならない
俯いた私の頬に温かい涙が伝っていった
彼はただの使用人で
私はその主人
どう足掻いても、どう懇願してもきっと許してくださらない
それに
彼は私のことなんてなんとも思っていないに違いない
今だって彼は何事もなかったように車を走らせている
それが彼の仕事
私はただ荷物のように彼に運ばれていくだけ
それが彼の仕事だから
それが彼の役目だから
だから

「早く走って、……もっと早く、お願いリクオ」
「はい、つららお嬢様」
彼はそう言って頷くと、私の言いつけどおり走るスピードを速めてくれた

走って走って連れて行って
もっと速く
ずっと速く
このまま誰も追いつけないくらい

できることならこのままずっと……





ガラガラ ガラガラ
ガラガラ ガラガラ

廻る廻る 車輪が廻る
あの人を乗せて
どこまでも

ガラガラ ガラガラ
ガラガラ ガラガラ

走る走る
想いは走る
このまま何処かへ連れ去りたいと
このまま何処かへ連れ去ってと

できることならこのままずっと



二人共にどこまでも……





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