「ちょっと、ちょっと雪女!」
「え、何?」
「あのね・・・・」
それは大晦日の夕刻時
夕食の準備に取り掛かろうと台所へ向かっていたつららを、同じく廊下を歩いて来た毛倡妓が呼び止めてきた
毛倡妓は辺りに人が居ないか様子を伺ったあと、そっとつららに”あること”を耳打ちしてきたのであった



どきどきどきどき
つららは内心ドキドキしていた
その原因は、先ほど毛倡妓から聞かされた話が原因なのだが・・・・


ちらり


毛倡妓が教えてくれた”あること”を思い出しながら、隣で除夜の鐘を肴に酒を愉しむ主の顔を盗み見た
夜の姿と化したリクオは、相変わらず美しい
酒を呷る姿さえも絵になり、杯を傾ける仕草は優雅で見ているこちらがくらくらしてしまう程の妖艶な色香を放っていた


わ、私にできるかしら?


目の前の美丈夫に先ほど決心した心が揺らぎ始める
しかしリクオの為ならばと、つららはきゅっと唇を引き結びリクオの顔を真剣な瞳で見上げた
「どうした?」
先ほどまで俯き加減でなにやら考え込んでいたつららだったが、急に真面目な顔をしたかと思ったら今度は挑むような目つきで自分を見てきた事に驚き、リクオは思わず問いかけていた
「リクオ様!」
「な、なんだ?」
つららのいつにない真剣な表情に、リクオは若干身を引きながら返事をする
「も、もうすぐ新年ですね」
「あ、ああそうだな」
「そ、その・・・新年のお祝いにり、リクオ様に贈り物があります!」
「へ?俺にか?」
「は、はい!」
「なんだ、贈り物って?」
「そ、その・・・ご用意に少々お時間がかかるので、少しお待ちください!」
「え?あ、お、おいつらら!」
つららはそうリクオに告げると、バタバタと廊下を走っていってしまった
「なんなんだ?」
取り残されたリクオはというと――
つららが走っていった廊下を呆然とした様子で見つめていた



「はあ、はあ、はあ、け、毛倡妓言ってきたわよ!」
「あら、本当?よくやったわ〜、さ、これに着替えて♪」
「ほ、本当にやらなきゃいけないの?」
「何言ってるの?当たり前でしょう!女なら誰でもする事よ」
「そ、それは判ってるんだけど・・・・」
「ほら、恥ずかしがってないで着替えて着替えて♪」
毛倡妓は戸惑うつららの背を押しながら隣の部屋へと移動させると、慣れた手つきでつららの着物を脱がせはじめた
「あとは、この帯をこうしてこうしてっと、はい出来上がり!」
「わあ、凄い!」
「何言ってんのよ、あんたでしょう」
鏡に映る自分の姿に感嘆の声を上げるつららに、毛倡妓は呆れた様に呟いた
「これでリクオ様もイチコロよ♪」
「な、何言ってるのよ・・・誘惑するわけじゃないんだから」
毛倡妓の言葉につららは真っ赤になりながら否定すると、また鏡の中の自分を見て溜息を吐いた
「ほんと、毛倡妓はこういう事上手よね」
「当たり前でしょう!本職だったんだから」
つららの言葉に毛倡妓は肩をすくめながら言うと、「ほら、リクオ様がお待ちかねよ!」とポンとつららの肩を叩いて促した
今つららは毛倡妓の手によって大変身を遂げていた


煌びやかな美しい柄の着物を身に付け、結い上げられた頭には豪華な簪や櫛を挿し、化粧を施したその姿はまるで、お城に住まう美しい姫君のようだった


うっふっふっふ〜超楽しい♪


美しい姫へと変身させたつららを見ながら、今回の仕掛け人でもある毛倡妓は楽しそうに胸中で呟いていた



「お待たせいたしました」
カラリと開いた襖から現れたのは、それはそれは美しい姫だった
いや、正確には姫に扮したつららなのだが


真っ白い雪のような肌
ほんのりと色づく頬
恥らうように伏せられた睫
真っ赤な果実を思わせる瑞々しい輝きを放つ唇
煌びやかな着物に身を包んだ美しい女がそこに居た


リクオはつららのその姿を見るや、ぽかんと口を開いた間抜けな顔で固まってしまった
何も言わず見つめてくるリクオに、つららは恥らうような仕草で「あまり見ないで下さい」と袖で顔を隠しながら俯いた
そのなんとも初々しい姿に、部屋へと入ってきたつららの腕をリクオは衝動的に掴んでしまった
「り、リクオ様?」
「あ、いや・・・なんでもねえ」
きょとんと見上げる妖艶なつららの姿に、リクオは我に返ると気まずそうに手を離すとそっぽを向いてしまった


何やってんだ俺?


衝動的につららの腕を掴み、その後どうしようとしていたのかと、リクオは自分で自分に突っ込んでいた
そんなリクオの行動に嫌がられているのでは?と不安に思ったつららは、内心おどおどしながら持ってきた熱燗をリクオへと差し出した
「今日はその・・・この姿でお酌いたします」
「あ、ああ」
精一杯の笑顔を向けながら熱燗を差し出すつららをリクオは直視できず、僅かに視線を逸らしながら盆に乗っていた杯を手に取るとつららの目の前に差し出した
その動作につららはほっと息を吐くとゆっくりと燗を傾けていく
とくとくとく
杯に酒が満たされていく間、リクオはちらりとつららの姿を盗み見る


綺麗だ


月明かりに照らされて伏し目がちに酒を注ぐつららの横顔は美しかった

つららを彩るその全てが美しく煌びやかで、月の光の下一層その輝きは増すばかりである
普段の少し幼さの残る快活な雪女の姿はなりを潜め、今目の前で酌をするつららは妖艶な色香を放つ女だった
どこか儚さを含んだその姿にリクオは釘付けになる
それまで大人しく酌をしていたつららであったが、じっと己を見つめてくるリクオの姿につららは絶えられなくなり、袖で口元を隠すと上目遣いで聞いてきた
「そ、その・・・お気に召しませんでしたか?」
「なにがだ?」
可愛らしくおどおどした様子で聞いてくるつららの姿に、リクオは内心悶絶しながら聞き返した
「こ、こんな格好・・・いつもはしませんので変ですよね・・・・」
「いや、むしろ似合ってる」
自分の格好に自信が無いのか、つららはそんな事を言ってきた
その言葉に、リクオはとんでも無いと頭を振って否定してやる
「ほ、本当ですか?」
「ああ」
すると、嬉しそうにはにかむつららにリクオもつられて微笑みながら頷いた
「良かった、本当は自信なかったんですこの姿」
「そうか?凄く似合ってるけどな」
「ありがとうございます、でもこんな格好着慣れなくて、しかも姫のように振舞うなんてしたこと無いですから」
そう言いながら照れ臭そうに笑うつららを見て、リクオにふと疑問が湧いた
「なあ、なんで今夜はこんな格好しようと思ったんだ?」
「え?・・・・あ、あの・・・・」
リクオの質問に、つららは驚いたように一瞬目を瞠ったが、次の瞬間ごにょごにょと言い辛そうに下を向いてしまった
「どうしたんだ?」
「・・・・・そ、その・・・・今夜は特別な日だって」
「特別な日?」
「ええ、大晦日ですから・・・そのあと数分もすれば新年になりますし」
「ああ、そうだな。で、その事とこれが何か関係あるのか?」
これ、と目の前のつららを指差しながら、リクオは意味が解らないと首を傾げて聞いてきた
その指摘につららはまたしても目を丸くさせてリクオを見たのだが、暫くすると躊躇しながらもゆっくりとリクオに聞いてきた
「あ、あの・・・リクオ様知らないんですか?」
「何をだ?」
「そ、その・・・新年に女性が殿方にその・・・姫の姿でご奉仕することを、です」
「は?何だそれ」
「え、えと・・・”姫始め”と言うそうですが」
「は?」


今なんつった?


つららの口から出たその言葉に、リクオはピシリと固まってしまった
リクオは、まじまじと目の前のつららを見下ろす
爆弾発言をしたつららはと言うと、きょとんとした顔でリクオを見上げていた


おいおいおいおいおいっ!誰だ!んな事教えた奴は!!


リクオは心の中で絶叫し頭を抱えてしまった
”姫始め”確かに姫と名はつくが、本当の意味は姫の格好をするわけでも、酌をするわけでも、殿方に奉仕するわけでも・・・それはするが・・・・いやいや!そんな意味合いの言葉なんかじゃねえっ!
とリクオは胸中で吠えた
唖然、と顔全体で表現しているリクオの姿に、何か変な事を言ってしまったのではないかと、つららはだんだん不安になっていく
「あ、あの・・・私何か変なこと言いました?」
何も言ってこないリクオに、痺れを切らせたつららが恐る恐るといった風に聞いてきた
そんなつららをリクオは無言のまま、まじまじと見つめ返す


何て言えばいいんだ・・・くそっ!


言えるかよ、と胸中で悪態を吐きながらリクオはつららから視線を外すと、躊躇いがちに口を開いた
「そんなもん聞いたこともさせた事もない」
「え?え?そ、そんな・・・」
つららはリクオの言葉に、見るからにがっかりと言わんばかりに肩を落として項垂れた
「そんな、そんな・・・頑張って着替えたのに・・・・」
ううう、と咽び泣くつららの姿に居た堪れなくなったリクオは申し訳なさそうに呟いた
「い、いやその・・・嫌なわけじゃないぜ?むしろ嬉しいっつーか・・・その・・・」
「本当ですか?」


ぐっ・・・・


リクオの言葉に、つららは不安げに上目遣いで見つめてきたのだが、その視線はリクオのハートに大ダメージを与えた


く、くそっ・・・可愛いじゃねえか!


ぎりっと、ダメージを受けた胸元を鷲掴みながらリクオはつららを見下ろした
「あ、ああ、本当だ」
「良かった」
ほっと胸を撫で下ろし、目尻に溜まった涙を拭うつららのその仕草にリクオは悶絶した
「リクオ様、大丈夫ですか?」
「あ?」
「そ、その・・・先ほどから胸の辺りを押さえていますので」
まさかお前の仕草にやられたとは言えず、リクオは「あー」とか「うー」とか言いながら視線を泳がせた
「どこかお怪我をなさっているのでは?」
つららはまさか自分の姿にリクオが欲情しかけているとは露ほどにも思っておらず、何の警戒心も無くリクオの胸を掴んでいる手にそっと自分の手を添えて、心配げに見つめてきた


くっ・・・ダメだ・・・


先ほどからリクオの脳内は、思春期の青年らしくあんな事やこんな事の妄想でいっぱいだった
昔、(祖父と一緒に)時代劇で見た町娘を誑かす悪代官のシーンがリクオの頭の中で繰り広げられている
俗に言う、「良いではないか」「お止めくださいあ〜れ〜」な世界である
そんな煩悩世界を繰り広げる危険な状態のリクオに、つららは更に身を詰めると心配そうに顔を覗きこんできた
「本当に大丈夫ですか?」
心配そうに覗き込むつららの甘い香りにリクオの理性は潔く切れた


あ〜も〜知らねえ・・・・


そう頭の中で呟くと、リクオは胸に添えられていたつららの腕をがしりと掴んだ
「え?え?リクオ様?」
突然のリクオの行動に、つららは目をまん丸にさせてリクオを見上げる
わかっていないのだこいつは、自分がどんなに危険な状態なのかということを
尚も不思議そうに見上げてくる側近に、リクオは何故か沸々と怒りの様なものが込み上げて来た
ついでにちらりと時計に視線をやると、既に時刻は次の日に変わっていた


今夜はじっくりと教えてやらねばならない


リクオはそう結論付けると目の前でポカンとしている側近に向かってにやりと口角を上げて言ってやった
「つらら、姫始めっていうのがどんなもんか、今夜じっくり教えてやるよ」
「へ?リクオ様?」
「嫌だって言っても却下だからな」
リクオはそう言うと、掴んでいた腕を引き己の腕の中に美しい姫を閉じ込める
「あ、あの・・・」
つららは突然の事に驚きもがく
そんなつららをリクオは腕に力を込めてぎゅっと抱き締めると、耳元へ熱い息を吹きかける
途端につららは耳まで真っ赤に染めて大人しくなってしまった
それを了承の意と取ったリクオは、つららの頬に手を添えゆっくりと上向かせた
化粧を施した大人びたつららの顔を心行くまで堪能したリクオは、その赤く色づく場所へゆっくりと顔を近づけていく
吐息がかかるほど近づいたリクオは「つらら」と囁くと、その真っ赤に染められた果実のような唇に優しく口付けた

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