8ページ(1/8)

草木も眠る丑三つ時
蝋燭の炎がゆらめくその部屋から、声を潜めた話し声が聞こえてきた
「では、その者が?」
「ああ、間違いないらしい」
「ほぉ、だとしたらこれは……」
「うむ、願っても無い話だ」
「では皆の者、異論は無いな?」
一人の男が呟いた同意を求める言葉に他の者は深く頷く

密談

一本の蝋燭の明かりだけが灯る暗いその部屋で密かに進められる話

全てはあの方の為に
全ては組の為に





「見合い?」

日も落ちかけた黄昏時
とある屋敷の一室から驚きを含んだ声が聞こえてきた
学校から帰って早々、着替え途中のリクオの部屋に飛び込んできたのは、お目付け役の鴉天狗であった
鴉天狗はリクオの部屋に入るなり、嬉々として見合い話を持ちかけてきた
「これはもう、他には無い良い縁談でございますぞ!」
そして更に、リクオの顔の前で小豆のような瞳をキラキラさせながらそう訴えてきたのである
「う〜ん、でも僕にはまだ早いんじゃないかな?」
そんな鴉に、齢13歳のリクオは頬をひくつかせながら否と答えた
その返答に鴉は――

「何をおっしゃいます!妖怪では立派な成人、しかもこのような縁談がほいほい回ってくるわけではございませんぞ!!」

遠回しに断ろうとするリクオに、そうはさせんと鴉天狗が捲くし立ててきたのであった
そんな訴えにもリクオは
「いや〜でもそのひと、人間なんでしょ?」
なら尚更無理なんじゃない?と、至近距離でわめき散らす鴉天狗を片手で遮りながら尤もな意見で反した
「それならば大丈夫です」
しかし敵もさる者ながら、リクオの言葉に更に瞳をキラキラさせながら猛反撃を仕掛けてきたのである
「それってどういう事?」
その反撃に、リクオは驚いた顔をしながら聞き返すのであった

鴉天狗の話では、なんでもその相手は純粋な人間ではなく十分の一ほど妖怪の血が混ざっているらしい
しかも先祖の妖怪の力なのか、その女性には相手の妖力を強くする能力があった
たまたまそれを知った組の幹部達がリクオの嫁にどうかと勧めてきたというのだ

どうもこうも……

「僕まだ結婚する気ないし」
リクオは鴉天狗の話をそこまで聞くと口を尖らせた
結婚なんてまだまだ自分には早い
ましてそんな政略的な結婚なんて尚更ごめんだ
自分の伴侶は自分で見つけたい
顔も見たことも無い女性をどうやって好きになれというんだ
そう言って頬を膨らませて抗議するリクオに鴉天狗は
「それでは、一度お会いになってみては如何ですか?」
と申し立ててきた
しかも、「会えば気に入るかも知れませんぞ?それに女性に恥をかかせる気ですか?」 などと言われてしまえばさすがのリクオも言葉に詰まる
「でも」とか「だけど」とかブツブツ呟いて渋っていると

「会うだけ会ってみりゃ良いじゃねえか?それで気に入らなきゃ断ったっていいんだぜ」

開いた襖の向こうに、いつの間に現れたのか祖父のぬらりひょんが立っていた
「総大将!」
「おじいちゃん!」
にやりと笑みを作りながらこちらを見るぬらりひょんに、鴉天狗とリクオはいつの間に?と驚きの声を上げた
相変わらず神出鬼没な悪の総大将は二人の反応に気を良くすると、懐から煙管を取り出しぷかりと煙を吐き出しながら笑った
「鴉天狗、あまりリクオに無理強いするな。リクオ、そんなかしこまらなくても合コン気分で会いに行けばいいのさ」
ひょひょひょ、と軽い感じでそう言うとぬらりひょんは孫の顔を見た
「まぁ、先方がどうしてもって言うんだ、会うだけ会ってやってくんな」
後はお前の好きにしな、とぷかりと煙管の煙を吐き出すとさっさと何処かへ行ってしまった
そんなぬらりひょんをぽかんと見ていたリクオは……

「まあ、会うだけなら」
とつい口が滑ってしまうのであった





「お見合い……ですか?」
早朝、いつものように学校へ登校する道すがら
世間話の一つとしてリクオが放った話題に、隣を歩いていたつららは明らさまに動揺していた

見合い
見合いって
リクオ様が?

信じられないその話を、つららは脳内で何度も繰り返す
「そ、それで……お、お相手の方は?」
まさか家長じゃないでしょうね?と一瞬不安が過ぎる
しかし次のリクオの言葉につららは内心安堵し、そして驚いた
「うちの組員の遠い親戚らしいんだけど、そのひと人間らしいんだ」
「え?人間……ですか?」
「うん、でも十分の一は妖怪の血が混ざってるらしいんだけどね」
ほとんど人間と一緒だけど、と苦笑も露わにそう答えるリクオに、つららは内心複雑だった

やっぱり、やっぱりリクオ様も人間の方を……

つららは以前からなんとなく予想していた考えに愕然とした
「どうしたの?」
青褪め下を向くつららをリクオが心配そうな顔で覗き込む
「あ、いいえなんでも。そ、それでいつお会いになるんですか?」
つららは慌てて顔を上げると、努めて平静を装いそう聞き返した
「ええ〜と、今度の日曜日って聞いてるけど」
その質問にリクオは眉を寄せながら照れ臭そうに答える
「そうですか……」
リクオの返答に、つららは若干俯きながらぽつりと相槌を打った

リクオ様がお見合い……

考えるだけで胸が締め付けられるその単語に、つららは知らずマフラーに顔を埋めた
そのあまりのショックの為、隣で鼻の頭をぽりぽりと指で掻きながら「僕は乗り気じゃないんだけどね」と付け加えたリクオの言葉は
哀しいかな
今のつららの耳に届く事は無かったのであった





仏滅大凶日のこの日――妖怪の世界にとっては大安吉日であり、もっとも闇が濃くなると言われている日
闇夜に浮かぶ月明かりの下
奴良家の一室でその見合いは開かれた
しめやかに進む両家同士の挨拶
庭に咲く枝垂桜が月に照らされて妖艶に輝き
屋敷に棲む妖怪達が息を潜めてその様子を伺っていた
そしてここに一人
この縁談を複雑な気持ちで見守る者がいた

会ってみろとは言われたが……

目の前で頬を染めながら自己紹介をする女を見ながら、リクオは胸中で呟いていた
リクオの向かいに座る相手の女性は、鴉天狗や達磨達が絶賛するほどに美しかった

白く透き通るような肌
整った眉
澄んだ瞳
長い睫毛
鼻筋はすっと通り
口元はまるで花びらのように愛らしい
時折こちらを窺うその顔は恥ずかしいのか、今は桜色に染まっている
十分美人の類に入るその女性に、しかしリクオは何の感動も浮かばなかった

美人……なのか?

生まれてからこの方、父を初め側近や幼馴染が眉目秀麗、容姿端麗な者たちばかりであったせいか
リクオのひとの顔に対する感覚はズレていた
中にはそうでない者も多々いたが、それはそれ
その容姿全てが個々の個性であると認識している
その為、美人と言われてもピンと来ないのだ

う〜ん、美人なんだろうな……

うちのつららや毛倡妓達とは若干顔の作りが違うなぁと、思うだけ
特に顔の造型に何の興味も湧かないリクオは、なら性格は?と徐にその女性に話しかけてみたのだった





見合いが始まってから半時
あれやこれやと相手の女性に質問するリクオに
今回見合い話を持ち込んだ世話人は、リクオが女性に興味を持ったと勘違いしてしまった
そして、「この後は若い二人でどうぞ」と笑顔のままそう言うと、さっさと部屋を退室してしまったのだった
止める暇を与えず部屋を出て行ってしまった世話人に、リクオは口をぽかんと開けたまま暫し固まっていた
そしてちらりと目の前の女を見ると、こちらも恥ずかしそうに下を向き口元を袖で隠していた

困ったな……

リクオは今は白銀色になっている後頭部を掻いた
軽く会話するつもりだったのに、好奇心からついつい質問し過ぎてしまったようだ
とりあえず今回のこの見合いは会うだけ会って断るつもりだったために気まずい
事情を言って帰ってもらうか?と、ちらりと思ったが
しかし、女性に優しいを地で行くリクオはそれは不味いと胸中で頭を振った
コホン、と一つ咳払いすると相手の女性を庭へと誘う為に声をかけるのであった



「リクオ様は三代目になられたのですよね?」
連れ立って庭の池を眺めていると、突然その女性がリクオに聞いてきた
「ああ」
リクオは懐からきゅうりを取り出し河童へと与えてやりながら頷く
「そうですか」
その女性はリクオの返事を聞くと嬉しそうに笑顔を見せた

なんだ?

リクオはその反応に首を傾げる
しかし、女性はにっこりと笑顔を見せた後「河童さん可愛いですね」と話を変えてしまった
何か引っかかるものを感じながら、リクオはしゃがんで庭を眺める女を見下ろしていた





「もうそろそろ終わる頃かしら?」
リクオが庭で見合い相手の女性と話している頃
つららは自室で壁掛け時計を見上げながら呟いていた
見上げた時計の針は丁度一番上の数字を同時に示すところだった
「明日は学校があるから早く終わってほしいのだけど」
つららは本心とは少し違う希望を呟いた

明日は早く起きなきゃだから
そう、リクオ様は学生で
まだまだお子様で
だから
だから…・・・

握った拳にぽろりと固い雫が落ちた
先ほどまでいた台所で、見合い席にお茶を出してきたという毛倡妓から聞いた話が脳裏を過ぎる

「ねえ、すっごい美人だったわよ」
「え、うそうそ本当!?」
仲間の女妖怪達と盛り上がる毛倡妓たちの話を、少し離れた場所で聞いていた

耳が痛かった
胸が苦しかった
出来ることならこの場所から逃げ出したかった

なんで?
どうして?

今さら気付いてしまうの?

主の縁談を聞いて初めて知った己の気持ち

今まであの子を愛しいと思っていた
今まであの人を大切だと思っていた
今はあの方を……

つららはそこまで考えて唇をきゅっと引き結んだ
そして首を振る

今さらだわ

鈍感な己の心に自嘲の笑みが零れる
今まで大切に大切にお育てして、尊敬していただけだった筈なのに
純粋にあの方が好きだった筈なのに
今、私の心にあるこの想いは

知ラレチャダメ

つららは暗い部屋の中で小さく呟くと震える拳をまた握り締めるのだった

[戻る]  [アンケトップ]  [次へ]