分岐点>1



「素敵!」

リクオが説明する前にそう一言、濡女は瞳を輝かせてリクオのことを見上げてきた。

「やっぱりただの人間じゃなかったのね、リクオ様!」

別にリクオ自身隠していたわけでもなかったが、やはりここがただの屋敷でないことから彼女は察しはしていたらしい。
ここは妖怪屋敷で、この男ももしかすれば自分と"同類"なのではないのかと。

「いや……あのな?」

困ったように頭を掻いて、リクオは背高ーい良い匂ーいなどと言いながら一層すり寄ってくる濡女のことを見下ろした。
どうやら四の五の考えている暇はないらしい。
これ以上ぐだぐだと穏和な解決策を探していても、何もかもがこんがらがるだけだ。

ここはやはりきっぱりと言って諦めてもらうべきだと、リクオが口を開こうとした時である。

「…!」

視線の先、縁側の端に、膝を抱えて座っている女の姿が、ふいにリクオの目線の先に飛び込んできた。
俄然、リクオは駆け出す。

「リ、リクオ様待って……あいたっ!」

そんなリクオの行動ののち、濡女は痛そうに声を上げた。
リクオに、彼自身無意識だろうが腕を振り払われて床に尻もちをついたからだ。
そうして縁側にとり残された濡女は、眼前の光景を目にする他はない。

「つらら……おい」

リクオはそこへ慌ただしく駆けつけて声をかけると、膝を抱えてぼんやり雨の降る庭先を見つめていた小さな身体はびくりと反応した。

「……リクオ様……!」

声が聞こえてつららは初めてリクオの存在に気付いたようで、つららはすぐさまそこから逃げ出そうとした。

が、叶わない。

「や、やめてください!濡女さんがいるのに……っ」
「てめぇの女を放っておく馬鹿がどこにいるんだ」

今の今までそうだった自分を殴り飛ばしたい気分である。
後ろから腕を捕まえられ、つららはそのまま背中からリクオに抱かれる形になった。
けれどリクオの言葉を聞いても尚、自分の身体に回っている腕を引き離そうと、つららは暴れた。

ここでリクオに見つかってしまうことを考えもしていなかった自分をつららは悔いた。
リクオは優しい。察しも良い。こんな自分を見てしまえば放っておく筈がない。
ずっと部屋に居るべきだった。

「私は大丈夫です!だから…!」

だがつららが平静を装えたのも、それが最後だ。

「見せろよ」
「へ…」
「弱ぇとこ、見せろ」

リクオは言った。
結局自分も心底惚れた女を目の前に、いざとなると周りが何も見えなくなってしまうどうしようもない奴らしい。
そう痛感することになる原因は言わずもがな、こうして今濡女のことも忘れてつららを抱いていることだ。
見間違いだったら良かった。先ほど膝を抱えて座っていたつららの身体が震えていたのが。
つららをそうさせたのは自分だ。

「…リクオさま……」

後ろからリクオは、まるで全部受け止めてやる、とでも言いたげにやんわりと抱いてくれていた。
身体に回る腕につららはそっと手を触れた。
他者から見ればこのような些細なこと、本当にくだらないことに過ぎない。けれどどんなにくだらないことでも、リクオは真正面から受け止めてくれた。

「…見せたら…もっと、困らせちゃいますよ………?」
「…ああ」

応えるようにまたリクオに強く抱かれ、つららは遂に限界だった。
思った以上に自分は弱いのかもしれない。
思った以上に好きで好きで仕方ないのかもしれない。

ぽろぽろと、いつの間にか瞳からは涙が溢れていた。

一方こちらは、取り残されてその光景を遠目に見るしかない濡女の方だ。

「……あら、まぁ…」

先程までとは打って変わったリクオの余裕のない態度を、濡女はぽかんと見つめていた。
加えて今二人の関係を彼女は知ったわけだが、濡女は衝撃を受けるというよりも寧ろ、きょとんとしてしまう。

「……愛されてるのねぇ、あの子」

羨ましいな。
ふと目を細め、静かに濡女は笑った。
二人に対し、嫉妬ではなく憧れのような感情をこの時の濡女は抱いていた。妙に客観的になってしまっていた。
あれこそがきっと生前自分の望んでいた光景に違いないと。

眼前の二人をしばらく見守るように見つめると、音を立てずに濡女は真っ暗な庭へと舞い降りた。
そしてそのまま軽やかに舞うように、彼女は闇の雨の中に消えるのだ。

あの雪の娘を想う男のように、こんな自分でも強く想ってくれる者の存在を、また新たに気長に夢見つつ。



Fin.

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