『桜の木の下には死体が埋まっているんだよ
 だから、桜の花びらはその血を吸って、薄紅色に染まるんだ』


な〜んて、古い怪談でよく聞くベタな話
まさか本当だなんて思ってもみなかった

まあ、埋められてるのは死体じゃなくて……俺なんだけどな(泣)



 桜の花が咲くまでの


その日、奴良リクオは庭の枝垂れ桜の木の下に”生き埋め”になっていた
と言うか、首から上だけを地面に出し、落とし穴に落ちていた

どうしてこんなことになったかと言うと、時間は少し前に遡る



その時のリクオは、いつものように氷麗を口説きにかかっていた
最近屋敷にやって来たその少女・雪女の氷麗は、出会ったその瞬間からあっという間にリクオの心を奪ってしまった
そして彼女もまたリクオに恋した
本来ならば、生まれて初めて落ちた恋
この世の春

だが、リクオの一挙手一投足に頬を染め照れながらも、彼女はなぜかリクオの求愛行動をからかわれているだけだと受け取った
何故ならば、彼女はまだ“雪女”としても“女”としても未熟であったからだ

彼女は、殿方の気持ちを奪うにはどうすればいいか、それは母親から聞き習い知っていた
しかしいざそれを実践してみたところ、教科書通り、定石通りに見事に自身に恋に落ちたリクオの心情を理解できるほど、まだ“恋愛”とやらに精通してはいなかったのだ

また現在の彼女は、自身の中に生まれた新たな感情…リクオへの淡い恋心を受け止めるだけで精一杯で、リクオが自分に向ける感情にまで考えが及んでいなかった

ただでさえ美麗で妖艶な大人の雪女である母親と自分を比較し、自身はまだまだ未熟だと思っている彼女である
そんな自分が奴良組の次期三代目であるリクオの心をそう易々と掴める筈がない、と彼女は思っていた

だから、彼女を落とす為にあらゆる手練手管で迫るリクオも何のその、彼女は自身の淡い恋心を胸に抱き、「いつか若様が自分を好きになってくれたら、どんなに素敵かしら?ああ、でもそんなのやっぱり恐れ多い…」なんて考えていた

そんなわけで、魔性の妖怪・雪女のくせにどこまでも初で鈍感な氷麗を前に、リクオは苦戦を強いられていた


リクオとて、恋愛経験が豊富なわけではない
しかし、恋に落ちたのは氷麗が初めてではあったが、(また彼の中ではそれを最後の恋にすることが氷麗の了承を得ぬままに、既に確定していたのだが)彼は人の心の機微に敏感だった
人間としての彼は、場の空気を読み、相手が望むことを望む前に行えるようなそんな男であったし、そうでなくとも素直で分かりやすい氷麗の様子を見ていれば、自身に恋していることは明白であった為、リクオは引く気など毛頭なかった

しかし、そこへきて彼女の鈍感さが邪魔をする
どんな甘い言葉を囁いても、「もうっ、からかわないでくださいよっ」と頬を染めてはかわされる
手を繋いでも、「側近として護衛する為には、この方が安全ですものね!」とズレた考えで、リクオの意図を全く汲み取ってくれない
そしてならば強硬手段だと、それ以上の行為に及ぼうとすれば、リクオの最大の敵にして、最恐の敵…彼女の両親が何処からともなく現れてはリクオの邪魔をするのであった
 

雪麗はとにかく強かった
さすがは総大将の側近を女性ながらに務め上げた妖である
人の姿の時はもとより、妖怪の姿であっても、正面からガチで遣りあえば、技を発動する前に凍らされてしまうので、リクオには分が悪かった
また氷麗の母親だからだと、女性だからだと戸惑う気持ちがあるリクオに対して、雪麗は一切の情けもかけなかった為、どう転んでもリクオに勝機はなかった

しかし、それでも力押しだけでは“ぬらりひょん”という妖怪には通じない
ぬらりくらりとかわして逃げることなどお手の物で、対雪麗にしても回数をこなす内にだんだんと凍らされることはなくなっていった
だが、本当に恐ろしいのは、そんな彼女の母親ではなく、父親の方であった

どう見ても非力なその男は、しかし恐ろしく頭がきれた
明鏡止水を使っても、鏡花水月を使っても、リクオの目的が氷麗である以上、どんなにその姿が闇に紛れようと、認識をズラそうと、最終的には氷麗を狙ってくるのだから、そこの守りを固めてさえいればいいとして、彼は雪麗に助言した
また、ならばこれまで培ってきた悪戯と言う名の数々の罠をはり、愛しの彼女のもとへと向おうとしても、彼は絶対にリクオの罠には嵌らなかった
嵌ったと思っても、それは見せ掛けで、逆にリクオが自ら作った罠に陥るという不思議な現象が起きていた
そう、そしてまさに今がそんな状況であった
 
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