朝 ―
屋敷の廊下をぱたぱたと駆ける足音。

「はぁ・・・寝坊しちゃった・・リクオ様起こさないと!」

珍しく寝坊したつらら。
リクオの起床係である彼女は、一目散に彼の部屋を目指す。

「んだ朝っぱらから騒々しいやつだな・・」

庭先からそんな気だるい声がして見れば、木の上でニヤニヤしている牛頭丸が目に入った。

「こっちこそ・・・朝一番にあなたの顔みるなんて、ついてないわ」
「なんだ、まだ昨日のこと怒ってんのかよ」
「あら、私はいつでもあなたを見ると気分悪いけど」
「へぇ・・・制服ね」
「・・・な、何よ」

自分の制服姿を舐めるように眺める牛頭丸をギロリと睨んだ。

「毎日毎日、人間の学校なんかに通いやがって・・・」
「大事な若の護衛なの、何か文句ある?」
「そうやって若、若って・・・見てるといらつくんだよ!」
「ゃ・・!何するの!」

突然木から飛び降りたと思えば、牛頭丸は制服のスカートを掴みにかかってきた。
つららは反射的に冷気を開放する。

「うっ・・・つめてーじゃねぇか」
「触らないで!」

牛頭丸の突然の行動に気が動転するつらら。
自分でもびっくりするほどの叫び声を上げていた。

「どうしたんすか!氷麗の姐さん!」

どこからともなくその声を聞きつけて現れたの猩影だった。

「あれ、猩影・・・くん?」
「姐さんの叫び声が聞こえて・・・何があったんすか?」

未だスカートを掴んだままの牛頭丸を睨むようにして駆け寄る。

「な、なんでもないのよ・・・猩影くん」
「なんでもない・・・ようには見えないすけど」

そう言って牛頭丸を改めて睨みつけた。

「っち・・・」

牛頭丸は恨めしそうに猩影を見ると、スカートを掴んでいた手を離した。

「おい、あんた・・・今姐さんに何してやがった」

猩影は怒気の孕んだ声で牛頭丸に詰め寄る。
牛頭丸はその長躯に怯んで後ずさった。

「なんでもいーだろ。てめぇには関係ねぇよ」
「よかねぇ、姐さんが嫌がってるだろうが!」

激しい怒号のぶつかり合いに、つららはただオロオロと二人の顔を見ることしかできなかった。



「・・・何やってんの?二人とも・・・」

今まで啖呵を切り睨みをぶつけ合っていた二人はその声に振り向いた。

「さ、三代目」
「んだてめぇか・・」

そこには寝ぼけ眼をこすりながらこちらを歩いてくるリクオの姿。

「り、リクオ様ぁ!」
「・・・?何、どうしたのつらら・・」

そう言って困った顔で駆け寄ってくるつららに訝しげな顔をする。
目はまだ半目で、寝起き直後といった様子。

「すいません!私・・私寝坊してしまって・・・っ!」
「いいよ別に・・・それより何かあった?」

罰が悪そうに黙りこくっている他二人の方を見る。

「三代目!お、俺は何も・・・こいつが悪いんですっ!」
「あ?ふざけんなよてめぇ・・!」
「あぁ!ちょっと二人ともやめなって・・・!」

そう言って再び掴みかかろうとする二人の間に割り込む。

「リクオ!てめぇはすっこんでろ!」
「だから、何があったのか話してくれないと・・・」
「三代目!こいつ・・・今氷麗の姐さんに手ぇ出してて・・・―っ!?」

「猩影くん・・・・何?もう一回・・・言ってくれる?」

リクオのその表情は穏やかなのに、その低い声音は明らかに激しい怒気を孕んでいる。
昼の姿にも関わらず漏れ出す強烈な畏れ。

「―っ・・」

猩影はそのあまりの威圧感に言葉を失ってしまった。

「おい、牛頭丸・・・」

ゆらり、と牛頭丸に詰め寄る。

「あ?なんか文句あっ―・・」

リクオは普段の大人しさからは想像できない鋭い眼光で牛頭丸を睨みつけ、顔を近づけていく。

「おめぇ・・・あんまふざけてると本家からも追放するぜ?」

ニヤリ―
口角をあげる。
そして牛頭丸が見たのは、リクオの眼の奥で微かに揺れる紅い光。

「―う・・ぐっ」

普段ならそのまま鼻突き返して怒鳴り上げる牛頭丸だったが、その声は擦れる。

「・・・なんて。でも、つららの嫌がることはしちゃだめだよ?」

気づけばその声はまた元通り穏やかさを帯びて、普段どおりの彼に戻っている。
眼の奥に揺れるあの光も見えない。

凍りついた場をよそに、彼は飄々と歩き出した。

「リクオ・・・様?」

つららが慌ててその後を追いかける。

「何やってんのつらら・・・おなかすいた」
「は、はい、もうできておりますよ!」
「それと・・・今日学校休みだよ?」
「・・・あっ!」

リクオはばっちり制服姿に着替えて準備万端のつららを横目で見やると、気だるそうに欠伸を漏らした。

その後に残された二人はただ呆然とするばかりである。





晴れやかな陽気の昼下がり。

「あら、あれは・・・猩影くん?」

廊下の先で、腰を下ろして庭先を眺める長躯を見つけると、洗濯籠を置いて歩み寄る。

「あ・・・姐さん」
「さっきはごめんね・・・その、色々迷惑かけて」

つららは少し俯きがちに、申し訳なさそうに言った。

「いえっ!姐さんに何事も無くてよかったです」
「あ、ところで・・・今日はまたどうしたの?あんな朝早くに珍しい・・」

最近本家へ顔を出す頻度が増えてきているが、今朝みたいに朝一で来ることは今まで無かった。

「そ、それは・・・その・・」

妙に歯切れの悪い猩影に首を傾げるつらら。

「近状報告・・・って昨日も来てたわよね?」
「・・・っ」

いきなり真剣な顔になる猩影。

「え、どうしたの猩影く―」
「姐さん!俺はあなたのことが―、好きなんです!」

猩影は覚悟を決めたように吐き出した。

「・・・えっ?」

一瞬、言葉の意味が理解できないつらら。
しかしようやくその意味を理解して狼狽し始めた。

「え・・・ちょ、猩影くん?それって、―」
「それが俺の・・・気持ちです。受け取ってはもらえませんか?」

つららの螺旋の瞳をじっとまっすぐ見る。
懇願するような、挑戦するような、そんな目で。

しかし―
次第に変わり行くつららの瞳に動揺する。

それは―
怯える目。

「姐さん・・・?」
「ごめんなさい・・・っ」
「な、なんでですか?」
「だめなの。私は貴方の気持ちには・・・応えられない」

その目には怯えと―
誠実さを帯びた強い意志が浮かんでいた。

そうか。
やっぱり― あの人には敵わない。

「分かりました・・」

猩影はすっとその長躯を持ち上げる。

「猩影くん・・」
「そんな目で見ないでください、抑え切れなくなる」

目頭に押し寄せる熱いもの。
猩影は溢れ出しそうになるのを必死に抑えて顔を逸らした。

「ごめんなさい・・・本当に・・」
「いいんです。これでやり切れなかった気持ちが・・・すっきりしそうです。有難うございました」

そう言って猩影は踵を返すと、静かにその場を去って行った。

つららは暫くその場に立ち尽くし、思い出したように洗濯籠を持ち上げると、またぱたぱたと走り去っていく。

「・・・」

そのすぐ脇の木の上で、その一部始終をじっと眺めている影があった―



宵口。

「おい馬頭丸・・・お前くせぇぞ。風呂入ってこいよ」
「えー・・・牛頭丸は入らないの?」
「俺は入ったからいい」
「ちぇっ・・・」

馬頭丸はつまらなそうにそう呟くと、木から飛び降りた。
牛頭丸がんな彼の背中をじっと見送っていると、それとは入れ違いにしてこちらへ向かってくる彼女に気がつく。

「―、おう・・・ゆきんこ」
「っ・・またあんた。なんでこう毎回・・」
「んな嫌そうな顔すんなよ」
「嫌に決まってるじゃない!」

牛頭丸は本気で憤怒する彼女に口角を上げる。
そしてずい・・と詰め寄った。

「おい」
「っ・・・近づかないで」

後ずさるつらら。
今朝といい、最近の彼に会うと嫌な予感しかしない。
最近の牛頭丸の絡みは―
つららにとって嫌がらせでしかなかった。
最近ではその嫌がらせにも拍車がかかってきて、恐怖すら感じる。

「や、やめて・・・ぁっ」

背に壁がぶつかる。
― 今度こそ永久に凍らせてしまおうか。
つららの目がギラリと光る。

「おい・・・本気で殺してやろうって思ってるだろ」

そう言って彼はそのいやらしい笑みでさらに詰め寄ってくる。

「・・・それ以上近づいたら、そうなるんじゃない?」

普段抑えている冷気を徐々に開放していく。

「そう怒んなよ。そういやぁ・・・今日、あの猩影とかいう・・猿山のボス振ってたな」
「・・・」
「そんなにいいか・・・あの三代目が」
「あなたには分からないわ・・・あの方の偉大さは」

牛頭丸の眉が寄る。
いつも若、若って・・きにいらねぇ。

「いやっ・・・やめて」

自分でも無意識のうちに彼女の腕を掴んでいた。
目の前の彼女の目は恐怖と怒りに揺れている。
そんな様子に、牛頭丸の怒りはさらに高まっていく。

「お前は・・・あいつじゃなきゃ、ダメなのか?」
「・・・っ、何言ってるの?」

彼女を掴んだ手をぐっと手前へ引く。
すると、彼女の軽い体はいとも簡単に自分の方へ飛んできた。

「っ・・・やだ、触らないでっ!」
「おい、大人しく・・・しやがれ」

飛んできた彼女の身体を押さえつける。
そして、そのまま顔を近づけていく。

「や・・・っ、離して!」

迫る牛頭丸から必死に逃れようとばたつくつらら。
しかし、勿論華奢な彼女が彼に力で敵うはずも無い。
ひたすら涙をポロポロ流して嫌がる彼女。

「こないで・・・やだ、リクオ様ぁっ!」

それが彼の心に火をつけた。

「奴は助けになんかきやしねぇよ・・・!」

顔を一気に近づける―

「っ―」


―刹那
腕を痛いほど強くつかまれ、動きを止める。
その手の力は強く―
そして
冷たくない―

つららの手ではないと気づくと、瞬時にその手の主を確かめる。

「・・・っ、てめぇ」
「何してんだおめぇは・・・」

紅い光が静かに揺れ、怒りの炎を連想させる。

「その汚ねぇ手を、どかせ」

一言、ドスの効いた低音で唸られれば身体が言うことを聞かない。
牛頭丸は本能的にこのままではまずいと、身を引いた。

「てめぇリクオ・・・なんでここに」
「あ?俺がここにいちゃあ・・・なんかおかしいかい」

クツクツと微笑を漏らすリクオ。
その目はぞっとするほど冷たい。

「あぁ、なるほどな。夕食の飯に眠薬盛ったの、てめぇか」

見抜かれてた、全て。
いつだってそうだ。
こいつには何一つ敵ったことなんて無い。

切り合いでも、才能でも、地位でも、― 恋事でも

「うまかったぜ・・・ありがとな」

彼はもう一度ニヤリと薄く笑うと、つららを優しく、それは労わるように抱き上げた。
そうされた彼女の安心した表情と―、ほんのり桜色に染まった頬を見て歯をかみ締める。
彼はそのまま踵を返して暗い闇へ歩き出した。
そしてもう一度足を止め、低く唸った。

「ああそうだ・・・牛頭丸。おめぇと馬頭丸、明日から牛鬼組へ強制送還になったぜ・・」

ちらりと見せた横顔は、暗くて表情が見えなかった。



「リクオ様・・・すいません」
「なんでおめぇが謝るんだ、つらら」

自室の障子を開けると、抱いたつららを優しく地面へ下ろす。
まだほんのり頬を染めたつららは俯いて言った。

「あのっ・・・リクオ様」
「だから、礼なら・・・―っ!?」

刹那―

素早くリクオの胸に飛び込んだつららは、空いたリクオの唇を塞いだ。
突然の出来事に目を丸くしたリクオだったが、状況を飲み込むと彼女の体をそっと腕で包む。

「っ・・はぁ・・リクオ様っ・・・・」
「なんだ、びっくりするじゃあねぇか」
「だって・・・、聞いてくださいリクオ様・・私、あなたのことが―・・・っ!?」

んう・・・、と言おうとした言葉が閉じ込められる。
暖かな唇の温度がじんわりと伝わってきた。

「ん、で・・なんだって?」

ニヤリ、と悪戯っぽい笑みを向けてくるリクオにつららは頬を膨らした。

「もうっ・・リクオ様の意地悪」

そう唇と尖らせる彼女にくつくつと含み笑いを漏らした。

「わりぃわりぃ・・分かってる」
「・・・本当ですか?」

未だ頬を膨らしたまま、上目遣いでそう呟くつらら。

「あぁ・・・俺も、お前が・・・」

リクオは抱きしめたつららの耳元に顔を寄せると、ボソッと呟いた。

”誰よりも愛しい”

見る見るうちに白い彼女の頬が朱に染まっていった。
そして照れくさそうに微笑むと、もう一度 ―
今度は深く、貪るような口付けを施した。

「やはり私には・・貴方しか見えません、リクオ様・・」
「・・・猩影のやつが少し・・・かわいそうなくらいだ」
「・・・っ!み、見てたんですか!?」
「俺がしらねぇとでも思ったのかい?」
「ぅ・・」
「お前の忠誠は、俺の誇りだ」
「・・・はい」
「ずっと傍に、いてくれ」
「・・・はい」

ぼんやり射し照らす月明かり。
薄暗い部屋。
リクオがつららをゆっくり布団へと倒す影を映し出す―



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