ふんふんふ〜ん♪
甘い匂いの漂う部屋から軽快な、しかしどこか調子のずれた鼻歌が聴こえて来た
その場所は奴良家の台所
そこでは女衆たちが真剣な顔で格闘していた

「できましたーーーー!!」
嬉々として声高らかに宣言した声の主は――顔にチョコレートやら生クリームやらを沢山つけたつららだった
「あら、できたの?どれどれ」
そう言って、つららと同じ作業をしていた女衆たちは一番に声を上げたつららにわらわらと群がっていく
「あら上手にできたじゃない!」
雪女なのに凄いわね、と直ぐ横で作業をしていた毛倡妓が言ってきた
雪女なのに・・・・ある意味見下したような言い方に聞こえるその言葉に、何故かつららは瞳を輝かせて頷いた
「ええ、あの方の為ですもの、がんばりました♪」
そう言って嬉しそうに笑うつららの頬はほんのりと色づいていて
見ているこちらもつい、つられて微笑んでしまいそうなほど恋する乙女の顔をしていた
そして、つららが嬉々として両手で掲げたモノにみんなの視線は集中する
そこには――

大きなハート型のチョコレートがあった

しかも、そのチョコレートの真ん中には・・・・

「うふふ、つららったら大胆なんじゃない?」
「え?そ、そうかしら?」
「そうそう、本命って思いっきり書いてあるようなものよ」
「くすくす、この意味分かってるの?」
そう言って一匹の女が指差したそこには――

I LOVE YOU

と、でかでかと白いチョコで書かれていた
「え?好きですって意味じゃないの?」
「まあ、そういう意味なんだけど、ね」
キョトンと周りを見回すつららに女衆たちは顔を見合わせて苦笑していた

好きと言っても色々ある

しかもこの場合の好き、LOVEには「愛」の意味が込められている

この、まだ年若い雪女には色恋沙汰はまだまだ早いのかもしれない
好きだ愛だと他の女衆たちの色恋の話にも、まだまだまともに入っていけず
話に入ったとしても、顔を真っ赤にさせて相槌を打つ事くらいしかできないのだ
まだまだどうして、とっくに成人しているにも関わらず未だねんねのままであった
しかもこの娘が想いを寄せる相手もまた、まだ色恋には疎いお年頃といえた
雪女つららが思いを寄せる相手とはもちろん、我らが主であるリクオ様なのだが・・・・
彼もまたまだ齢13歳――

妖怪では大人になったばかり
人間ではまだまだ子供

という微妙な年齢だった
その為か、二人ともお互いを憎からず想っているのは組中では既に周知の事実となっているのだが・・・・

全然全くそんな気配さえ見えてこない

というわけで、業を煮やした女衆たちが良い機会だと人間の行事に便乗したのが事の発端だった

2月14日
噂では人間達が、もといあるチョコレート会社が起こしたイベント

バレンタイン

『この日に好きな相手にチョコレートと共に想いを告白すると両想いになれる』
という、なんとも世の中の恋する女性達には魅力的な催しに
この妖怪任侠一家の妖怪達も便乗していた
まあ若干間違った部分もあるが、毎年奴良家で行われるバレンタインパーティーで――お祭り好きが講じて組を挙げての宴会になってしまった――は、沢山のチョコを作ったり取り寄せたりして盛大に祝っていた
しかし、今回は皆つららの為にチョコを仕入れてくれた
そして彼女にこう囁いたのだった

「みんなで相談したんだけど、今回は好きな人には手作りのモノを贈ろうと思ってるの」

そう言って艶やかに微笑んで言えば、好奇心旺盛な彼女のこと
「私もやります!」
と意気込んで言うのはまず間違いなく・・・・

女衆たちの思惑通りにつららは思い切り片手を上げながら参加してくれた

つららは自分の自信作を満足げに見つめていた
色、艶どちらとも申し分ない
文字も綺麗に書けた
よし、これをリクオ様のにしよう!とつららは早速ラッピングに取り掛かった
そして、嬉々として出来上がったチョコレートを包んでいくつららの側には

失敗して形の崩れたもの
文字が歪んでしまったもの
凍ってしまっているもの

いろんな意味での残念な出来上がりのハート型のチョコが何十個も積み重なっていた
もちろんこのどれもが、先程完成した一個を作るための屍の山なのだが・・・・
先程毛倡妓が言った「雪女なのに・・・・」というのはこの意味を含んでいたのだ

雪女
氷の化身の雪女
冷たいものや氷らせることに関しては右に出る者は無く
しかし
熱いものや温める物にはとんと苦手な妖怪である

もちろん、このチョコレート作りも例に漏れず、この一個を作るまでには長い道のりがあった

チョコを溶かそうと思えば、湯気の上がるお湯の中にチョコレートをぶち込み
湯銭でゆっくりかき混ぜようと思えば、あまりの熱さでへらを振り回し
型に流そうと思えば、鍋ごと型に入れてしまう

などなど、ありとあらゆる苦難があった
始終きゃーきゃー騒ぎながらもやっと完成した一個
それを丁寧に色とりどりの包装紙で包んでいくつららは
もう

幸せそうだった

そんなつららを横目で見ながら毛倡妓をはじめ女衆たちは

今回は面白いことが起こるかも♪

とこっそりと胸中で呟いていた



リクオはその場で呻っていた
う〜んと声が聞こえてきそうな位それは必死に
先程台所から甘い匂いがしてきたので、つられて覗きに行ってみれば、女衆が集まって菓子を作っていた
菓子の材料を見て、「ああ、明日の準備か」と一人納得していたリクオは、次の瞬間聞こえてきた声に動きを止めた

「ええ、あの方の為ですもの、がんばりました♪」
「うふふ、つららったら大胆なんじゃない?」
「え?そ、そうかしら?」
「そうそう、本命って思いっきり書いてあるようなものよ」
「くすくす、この意味分かってるの?」

それは紛れもないつららの声で、しかも女衆たちの言葉をまとめると、どうやらつららは今回本命にチョコを贈ろうとしているようだった
リクオはその本命チョコの名前を確認しようと、見つからないギリギリの位置まで顔を覗きこませた
しかし、黒い人だかりとなったつららの周囲には隙間と言う隙間は無く、結局その文字はここからでは見えず
何とかして確認しようと更に身を乗り出したリクオの背後から突然声がかけられた
「どうしたのリクオ?」
「うわっ」
思わず振り返った先には実の母――若菜が居た
若菜は不思議そうに息子を見下ろしながら首を傾げていた
「どうしたのリクオ?中に何か用なの?」
「い、いや何でもないよ!」
「あ、リクオ」
リクオはそう言って誤魔化すと、若菜の声を背に一目散にその場から逃げて行った
「どうしたのかしらあの子?」
若菜が意味が解らないと首を傾げる背後では、女衆たちが楽しそうに話に花を咲かせていた



「ま、まだかしら?」
つららは薄暗くなり始めた空を見上げながらぽつりと呟いた
少し離れた奥座敷からは複数の話し声が聞こえてくる
今、奴良家では定例会議が行われていた
また、なんでこんな日にと思うかもしれないが
実はまあ、こんな日だからである

2月14日のバレンタイン

人間が決めた催しの筈のイベントであるのだが
やはりそこは陽気な妖怪一家
小妖怪も貸元もその側近達も、男と分類される妖怪達はみな年に一度、女達から貰える甘い菓子を楽しみにしていた
そのため、この日ばかりは口煩い貸元たちもみな大人しくしており、定例会議は滞りなく進み早い時間にお開きになる
そしてなし崩しのようにそのまま貸元を交えた宴会へと変わるのだ

そんな期待と不安が入り乱れる部屋から少し離れた縁側で
つららが会議が終わるのを今か今かと待ち侘びていた
待つのはもちろん愛しいあの人

奴良リクオ

今日の為に昨夜からせっせと作った甲斐あって、その出来栄えは満足のいくものに仕上がっていた
大事そうに抱き締める腕の中のモノにつららは恥ずかしそうに笑みを零す
ふと、廊下の先に見知った影が動くのが見えた
「あ、猩影君!」
つららは久方振りに合う狒々組の若き当主を認めると、嬉しそうに声をかけた
「姐さん」
猩影もつららに気づいていたのか俯いていた顔をぱっと上げると、にこりと笑みを零しながらつららの元へ足早に近づいて行った
「お久しぶりです」
「ほんと、元気にしてた?」
「はい、お蔭様で。ところで姐さんはこんな所で何してたんです?」
猩影が怪訝そうな顔で首を傾げて聞いてきたので、つららはどう答えようかと口篭った
ふと見下ろした足元に、つららは「そうだ!」と閃いた
「あ、猩影君ちょっと待って」
つららはそう言いながら足元に置いてあった大きな袋を漁りだした
「なんですかそれ?」
「うふふ、はいこれ」
そう言って満面の笑顔で猩影の目の前に差し出してきたのは紛れもない

チョコレート

可愛らしいピンクの包装紙でラッピングされたそれに猩影は目を瞠った
「え、俺にですか?」
自分自身を指で示し、つららの顔をまじまじと見下ろす猩影
つららは恥ずかしそうにこくんと頷くと、持っていた箱をさらに猩影の顔の近くに掲げた
「姐さん・・・・」
猩影とつらら
二人の間には桃色のあま〜い空気が漂う
傍から見たら告白しているようなその場面に、遠くから不穏な視線が向けられていた

「何やってんのよ〜つららったら!」
「もう、相手が違うでしょ?」
少し離れた廊下の柱から数人の女妖怪達が、やきもきしながらその様子を見守っていた
目の前にある光景に皆が皆、相手が違〜う!と小声で絶叫する
もちろんこの女衆たち、つららを焚きつけた張本人たちである
しかもその中にはちゃっかりと毛倡妓までもがいた
「んもう、義理なんて後からでいいのに!」
毛倡妓は見ていられないと、額に手を当て嘆息する
せっかくつららをその気にさせたのだから、この機会を見逃す手は無いと今回の作戦を立てた女達は、実はずっとつららの様子を柱の影から覗いていた
あともう少しで会議が終わり、リクオとご対面!
という所で、タイミング良く邪魔者が入った事に女達はそろって舌打ちしていた
「よし、こうなったら作戦Aよ!」
「OK!!」
一人の女妖怪が顎で合図を出すと、後ろの影から数人の若い女妖怪達が現れた
「ほら、あんた達行きなさい」
古参の女妖怪が、若い女妖怪達に指示すると、みなこくりと頷きつらら達のいる場所へ我先にと走り出した

「猩影様、これ受け取ってください!」
「やだ、私が先よ!」
「なによ、私が先よ」

若い女妖怪達が猩影の元に辿り着くや、その場は女同士の修羅場と化した
実はこの子達、猩影の隠れファンの子達である
つららと猩影を引き剥がすべく毛倡妓たちが用意していた
そして、わあわあ、きゃーきゃー言いながら猩影は女の子達にもみくちゃにされながら、その場から無理やり連れて行かれていった

「わーーーー姐さぁーーーーん」

「さすが猩影君、つららから貰った箱は手放さなかったわね」
敵ながらあっぱれ
女衆たちは、うんうんと狒々組組長の勇姿を称え小さく拍手していた




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