じーーーー

あらまた
ひしひしと伝わってくる
背後から
小さな小さなその視線



庭の隅の一本松
そこから顔をそおっと覗かせている小さな小さな童女
真白き面に人ならざる眼を持ち合わせたその童女は
大きな黄金螺旋の瞳をくりくりとさせながら目的の人物を見ていた

そして、その童女が熱心に見つめる相手もまた
童女と同じような容姿をしていた

真っ白い透き通るような肌
漆黒の絹糸のような髪
冷たくきつい蜂蜜色の螺旋の瞳

すらりと伸びた肢体は艶かしく男を魅了する色香を漂わせている
しかしその容姿とは裏腹に、力強い意思を伝えるその表情は氷のように冷たい
心も体も凍てつかせるような美貌を持つその美しい女は
童女の遥か前方で何故か怒っていた

「アンタは毎度毎度懲りないねぇ」
漆黒の髪の女は厭味ったらしく盛大な溜息を吐きながら目の前の男を半眼で見据える
「いや、まあ・・・・その」
対する男は明後日の方角に視線を逸らしながら言い辛そうに頬を引き攣らせていた
「まったく、寄り合いだって言って出て行ったかと思ったら朝帰りはするわ、そこら辺で女は引っ掛けてくるわ、挙句の果てに他の女にその事がばれて修羅場になるなんてどうなってるんだい一体?」
いい加減にしな!と一気に捲くし立てる女の怒声が聞こえて来た
「で、でもな雪麗」
「名前で呼ぶんじゃないよ!」
何度言ったら分るんだい、と雪麗と呼ばれた女は枝垂桜の木の幹に簀巻にされて宙吊りになっている男をぺしんと引っ叩いた
「まったく総大将が聞いて呆れるよ、あんたの息子の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいだよ」
アンタと似た所はあるけどあの子はこんな事にはならないからねぇ
と雪麗はそう言いながらまたギロリと木に吊るされた男を見下ろした
「いや〜、面目ない」
ぷら〜んと木に吊るされたままの男は頬を引き攣らせながら苦笑した
「たく、桜姫が草葉の陰で泣いてるよきっと」
そんな情けない男に雪麗はふんと鼻を鳴らすと、くるりと踵を返してスタスタと歩いて行ってしまった
「お、お〜い雪麗〜これ解いてくれ〜」
わし頭に血が昇りそうじゃ〜、と男はゆさゆさと体を揺す振りながら離れていく女を慌てて呼び止める
その声にぴたりと女は歩みを止めると、またくるりと踵を返して男の側までやってきた
戻って来てくれた女に男はほっと安堵の息をつく
「お〜雪麗、戻ってくれたのかじゃあこの縄を・・・・」
「ここで一晩頭冷やしなさい」
言いかけた男の言葉をぴしゃりと遮り雪麗はそう言うと、今度こそ一度も振り返らずに去って行ってしまった

その様子を離れた松の木の根元で見ていた童女は呆気に取られていた

いつも思っていたけど母様って本当に強い・・・・

童女は尊敬の眼差しで小さくなっていく女の背中を見つめていた
母は強い
凄く強い
この屋敷の妖怪、ううん総大将様でも頭が上がらないくらい
お目付け役の鴉天狗様や
捩れ目山の牛鬼様
その他本家の妖怪たちの中で彼女に逆らう者はいないだろう
それ程自分の母は強かった

母がひとたび怒るとみんな小さくなって何でもいう事聞いちゃうもの

だから母は一番強いのだとこの童女は疑いもせず、しかもその事を誇らしく思っていた
しかし童女は誇らしく思う反面
とても淋しく思っていた
何故なら娘である自分ですら彼女には近づき難かったからだ
母の笑顔を見たことは今まで一度も無かった
あるのはあの凍てつくような瞳だけ
何の感情も映さない氷の人形のような顔
だから彼女はいつもこう思うのだった

一度でいいから母の笑顔が見てみたい

と・・・・
少女は小さく溜息を零す
「早くしなくちゃ・・・もう日が無いんだから」
少女は最近知った人間世界の噂話を思い出しながら固く心に決意するのであった





その後、少女は何度も母の後を追った
それは母を知るため
少女が心に決めたことを実行するために必要不可欠な事だった

母は一体何が好きなのだろうかと
母は一体何に興味があるのだろうかと

それはもう暇さえあれば何時間でも母を観察していた



「ん?おやあれはアンタの娘じゃないかい?」
茶飲み友達の一人の女妖怪が、離れた場所でこちらを熱心に覗いている童女に気づき、その子の母である雪麗に問いかけてきた
「ああ、あの子何か企んでるみたいなのよ」
雪麗はそう言ってくすりと肩を竦めて見せた
その仕草に、女妖怪も同じように笑みを零す
「あらそうなの?楽しみね〜」
まあ、アンタの子なら安心だけどね
そう言いながら茶菓子をつまむ仲間に雪麗は
「ふふ、さ〜て何考えてるのかしらねぇ」
同じように茶菓子を口に運びながらこっそりと笑うのであった



「う〜ん、やっぱりわからないわ・・・・」
童女は頭を抱えていた
数日の間ずっと母を観察していたのだがこれといって有力な情報は掴めなかった

母の喜ぶもの・・・一体何がいいかしら?

童女はくりくりと大きな瞳を動かしながら考え込む
熱心に考え込んでいたお陰で気づくのが一瞬遅れてしまった

「何してるんだい?」

遥か頭上から低い声が聞こえてきた
驚いて少女が振り返ると、太陽を背にした大きな影がこちらを見ていた
「あ・・・」
声の主の姿は逆光で良く見えず、童女はびくりと肩を震わせて後退る
「君は・・・雪麗姐さんの」
低い声の持ち主はそう言うと、すっと身をかがめて童女の顔をまじまじと見下ろしてきた
かがんでも背の高いその影の持ち主は男だった

童女が良く知るヒト
この屋敷の若様



奴良 鯉伴



いや既に成人しこの奴良組を背負って立つ若き総大将が目の前にいた
突然現れた屋敷の主に童女は驚き大きな瞳を更に見開いてまじまじと男を見上げた

漆黒の長い髪に
優しそうな琥珀の瞳

初代とよく似た容姿だったが、どこか可愛さを含むその顔に童女は知らず頬を染める
「あ、あの・・・」
童女は叱られると思い、体を強張らると不安そうに瞳を揺らしながら男を見つめた
「こんな所で何してるんだい?」
しかし男は少女の心配を他所に屈託無い笑顔を見せながら問いかけてきた
「え?」
「こんな所で、姐さん達を見ていたようだけど」
驚いて目を見開く少女を見下ろしながら男は楽しそうにそう言ってくる
そして

「ねえ、俺にも教えてよ」
男は更に屈み込んで少女の耳元にそう囁いてきたのだった





「ふ〜ん、贈り物をねぇ」
「はい・・・・」
童女と男は物置小屋の裏でこそこそと話し合っていた
小屋の壁に凭れ掛かりながら鯉伴は童女を見下ろす
おどおどと口元を裾で隠しながらこちらを見上げてくる少女はとてもか弱く可愛らしかった

どう見てもあの女の子供には見えないなぁ

鯉伴は縋るような視線を向けてくる少女を見下ろしながらふと、そんなどうでもいいことを考え苦笑していた

本当に似ていない

少女とあの鬼ババ・・・もとい雪女とは
自分の守役でもあったあの女からどうやったらこんな清楚で可憐な娘が生まれるのかと、鯉伴は興味深げに少女の顔を覗きこんでいた
「あ、あの・・・」
身を屈めて己の顔をまじまじと見下ろしてくる男に、少女は恐々と声をかける
「ん、ああごめんよ、つららちゃんがあんまり可愛くってつい見惚れちゃってたんだ」

血は争えないらしい

どう逆立ちして聞いてみても女を誑かす殺し文句のそれに、つららと呼ばれた少女は頬を引き攣らせて一歩後退った

あちゃ〜警戒されちゃったかな?

鯉伴は父譲りのこの癖に内心で苦笑しながら頭を掻いた
どうもこればっかりは治りそうに無い
警戒心丸出しの少女に、鯉伴はまいったなぁと嘆息した
「あ、お母さんに贈り物する話だったよね?」
鯉伴は何とか少女の警戒心を解くべく、先程少女から聞いた話を振ってみた
途端少女は瞳を輝かせて鯉伴を見上げてくる
「はい、どのような物がいいのか分からなくて・・・・」
人差し指を口に当て、首を傾げる姿はなかなかに可愛らしい

俺ってロリコンだったのかな?

少女が聞いたら一瞬で走って逃げてしまいそうなそんな感想を胸中で零しながら、鯉伴は少女と同じように考えるような素振りをした
「そうだね〜、あの鬼ババ・・・いや雪麗姐さんはあんまり好きなものとかないみたいだしなぁ〜」
鯉伴の記憶の中の雪麗は常に不機嫌だった
しかも周りを寄せ付けないオーラを放っていた
特に言い寄ってくる男達には最凶に冷たかった
始終男達に付き纏われるその女は、防衛作か何かで自分の好きな物を他人には教えない傾向があったな、と鯉伴は思い出した

う〜ん、聞き出すのも一苦労だなぁ

こういうものは本人に直接聞けば手っ取り早いのだが・・・・
だが相手はあの鬼ババ雪女だ
自分が聞きに言ったところでそう簡単に教えてくれるわけが無い
しかも聞いた途端、風声鶴麗をお見舞いされそうで怖い
「アンタあたしに気があるのかい?だったら顔洗って百万年後に出直しておいで」
とか言われるのがオチだ
鯉伴はあの女の恐面を思い出しぶるりと身震いした

触らぬ鬼ババに祟りなし

ここは慎重に行こう慎重に
と、一人で勝手にうんうんと頷き納得する鯉伴であった

が、しかし
それでは何も解決しやしない
鯉伴はどうしたもんかと頭を掻いた
すると
ふと、昔の記憶が脳裏に蘇ってきた

「あっ!」

鯉伴は思わず声を上げる
その声に少女は驚き鯉伴を見上げた

「そういえば・・・・」

ぽつりと呟いた男の言葉は、夕闇迫る春の空に小さく響くのだった





「こ、これでいいのでしょうか?」
「うん、大丈夫だと思うよ」
不安そうに己の顔を見上げてくる少女に鯉伴はにっこりと極上の笑顔を向けていた

5月の第二日曜日

人間達が決めたというこの暦の日に、つららと鯉伴二人はこっそりと庭の垣根に隠れながらある人物を待っていた
待っている相手は

雪女

つららの母、雪麗である
少女はこの日母へ何か贈り物をしたいと思っていた
先日、街を歩いていた時すれ違った人間達から偶然聞こえてきた会話
なんでも母の日に人間達は自分の母親へ感謝の気持ちを込めて贈り物をするのだとか
つららは以前から尊敬していた母に何か素敵なものを贈りたいと思った
そして、数日の間母を見ていたのだ
しかし結局、母の好みのものは分らなかった
どうしたものかと悩んでいた所に鯉伴が現れ良いアドバイスをくれた
そのアドバイスから手に入れた物が今自分の手の中にあった
つららは手に持ったそれをしっかりと握り締める
すると、庭の向こうから待ち人――母が歩いて来た

母は珍しく庭を散歩していた
ゆっくり、ゆっくりと
まるでその景色をのんびりと堪能するように
この時期の庭は色とりどりの花々で賑わい見る人の心を和ませる
母もまたこの庭に魅了された一人なのか、その表情は酷く柔らかなものだった

こんなお母様初めて見た・・・・

つららは初めて見る母の綻んだ表情に思わず見惚れてしまった
いつもは冷たい無表情なその女の顔は
今は菩薩の如き穏やかな表情をしていた
時折足を止めては地面に咲く小さな花を眺めたりしている
その女らしい穏やか雰囲気に、少女は男の言葉が嘘ではなかったのだと確信した

「雪麗姐さんは春の花・・・特に桜の花が好きみたいだよ」

男の声が脳裏で木霊する
少女は手にしていた物を再度握り締めると、意を決して駆け出していった

すてててて、と彼女特有の軽やかな駆け音を響かせながら己の母の元へと走っていく
「お母様」
母の元へ辿り着く寸前、少女はありったけの声で母を呼んだ
「つらら?」
少女の声にしゃがみ込んで花を愛でていた女は立ち上がり振り返る
そして

スッ

少女は固く目を瞑り、両腕をこれ以上無い位に真っ直ぐ伸ばして手にしていた物を母へと差し出した
「こ、これ・・・お母様に」
母と同じ黄金螺旋の瞳を大きく見開いて必死に言葉を紡ぐ
「これは?」
母は娘が差し出してきた物にそっと手をかざすような仕草をしながら聞いてきた
「きょ、今日は母の日なんですって・・・人間が決めた事でその・・・お母様に貰って欲しくて」
少女はできるだけ判り易い言葉を選んだのだが緊張で震える唇は上手く言葉を紡いでくれず
結局母には少女の心意が上手く伝わらなかったらしい
女は「?」と首をかしげて少女の手の中を覗き込んでいた
少女はどう言えば良いのかと困ったように眉根を下げていると

「今日は母の日だろ、だからプレゼントだってさ」

低い穏やかな声が横から聞こえて来た
驚いて振り返ると、鯉伴がいつの間にか側へと来ており、少女の伝えられなかった言葉を代わりに言ってくれていた
「感謝の気持ちを込めて・・・だろ?」
自分の顔を覗きこんで聞いてくる男に、つららは力強く頷き母へと真剣な瞳を向けた
ようやく娘の行動の意味を理解した雪麗は「そうだったの」と一言いうと、娘の手の平からそれを受け取り己の帯へと挿した

「どう、似合うかしら?」

そう言って微笑む母の顔は本当に綺麗で
美しすぎて
少女は思わず頬を染めて恥ずかしそうに俯いてしまった
そして

「うん、とっても」

と、嬉しそうにそう頷いたのだった



母の帯に挿されたそれは

桜の花を模った帯止め

枝垂桜をイメージしたそれは二本の枝葉がゆらゆら揺れるとても可愛らしいものだった
女はそれをそっと手で触れ
ふっと笑みを零す
そして

「ありがとう、つらら」

凍てつく氷の女は、幼い愛娘に極上の笑顔と一緒に感謝の言葉を呟いたのだった



大好きな母へこの世に産み落としてくれた感謝を込めて



Thank you for mother


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