それは偶然だった
たまたま視界に入ったそれ
鮮明に脳裏に焼き付いた
その顔
その姿
「気に入った」
俺のモノにしよう、残酷な男はそう呟きにやりと笑って言った



「今日も無事終えられましたねリクオ様」
「うんそうだね、今日も色々手伝ってもらってありがとう、つらら」
「いいえ、当然の事をしたまでですよ、若」
真っ赤に染まる夕焼け空の下、学校帰りの道すがら一緒に帰っていた幼馴染のカナと別れたリクオとつららは、今日一日の勤めをお互い労い合い仲睦まじく微笑み合っていた
「お帰りなさいませ」
門をくぐると一斉に聞こえてくる下僕たちの声
皆、主の帰宅を心待ちにしていたらしく、嬉しそうに声をかけてくる
そんな下僕達にリクオもまた嬉しそうに「ただいま」と返事をしていると、奥の廊下からバタバタと慌しい足音が近づいてきた
「リクオ様、大変です!」
「どうしたの?」
まだ昼の姿のリクオは血相を変えて走ってくる側近に何事かと視線を向けた
「はい、今入った報告で5番街の組の者が何者かに襲われたそうです」
「え?わかったすぐ行く」
そう言ってリクオは側近達と連れ立って奥の座敷へと消えていった
「何があったのかしら?」
そんなリクオ達を少し離れた所から見ていたつららが心配そうに首を傾げていると、出迎えに来ていた毛倡妓がそっと耳打ちしてきた
「何でも5番街でうちのシマが荒らされたらしいわよ、多分この前の出入りの時に逃がした残党が報復しに来たんじゃないかって」
「そうなの?」
「ええ、さっき部屋を通った時にちらっと聞いちゃったのよ」
「そう・・・」
「もしかしたら出入りになるかもね」
そう言う毛倡妓は久々の出入りに期待しているのか嬉しそうに瞳を輝かせていた
「出入り・・・」
つららは毛倡妓の話を聞きながら、何やら胸の辺りがざわつく様な嫌な感覚を覚え、何事も無ければ良いなとリクオの身を案じた





「皆行くぞ、俺について来い!」
月の無い真っ暗な闇の中、夜の姿に変化したリクオが不敵な笑みと共に下僕の妖怪達に言えば、それだけで皆一斉に立ち上がりあっという間におどろおどろしい百鬼の群れが出来上がった
ぞろり ぞろり と進む百鬼の群れの先頭――リクオのすぐ横に控えていたつららは、そっとリクオの顔を覗う
まっすぐ前を向き凛としたその姿はまさに百鬼の主たる風格を持ち合わせており、先程の不安が吹き飛ぶようでつららは安堵の息を漏らした
「どうした?」
そんなつららに、お化け提灯を持ったリクオが前を向いたまま話しかけてきた
「いいえ、ただ・・・・」
「なんだ?」
いつにないつららの様子に、リクオは視線を寄越して聞いてくる
そんなリクオに視線を合わせたあと、目を伏せると
「いえ、ただ・・・胸騒ぎがするだけです」
と躊躇いがちに呟いた。
言葉は時に力を持ってその未来を人を呪う言霊にもなる
つららは的を得ないよう極力曖昧な言葉で以って己の内に芽生えた不安をリクオへと告げた
そんなつららをじっと見つめていたリクオはふいに視線を前方へ戻すと、そっとつららに聞こえるくらいの小さな声で呟いた
「じゃあ、俺の側にいろ」
「え?」
「いいな」
「は、はい」
リクオの言葉につららは嬉しくなり先程までの不安も消し飛び元気良く頷いていた





「な、なあ・・・本当に大丈夫なのか?」
薄暗いビルの一室
二人の男が向かい合って座っていた
一人の男は山のように大きく、先程からそわそわと手を組んだり口元へ持っていったり落ち着きが無かった
もう一人の男は、普通の優男風で端整な顔に薄っすらと笑みを張り付かせて目の前の大男を嘲るように見ていた
「何をそんなにビビッてやがる?」
「だ、だって・・・あの奴良組だぞ、本当に大丈夫なのか?」
「ふ、さっきから大丈夫だと言ってるだろう、守備は整ってる後は奴が罠にはまるだけさ」
「し、しかし・・・」
そう言って大男は言い辛そうにちらちらと目の前の優男を見た
「あ?なんだ、不満でもあるのか?」
「い、いや・・・・だが、こう言っちゃ何だけどよ、あんた一度あの奴良組に潰されてるんだろ?ひっ!」
大男はそこまで言うと、優男が鋭い眼光でこちらを見ているのに気づき、短い悲鳴を漏らした
無意識の内に地雷を踏んでしまった間抜けな男は、がたがたと大きな体を震わせながら「すまんそんなつもりじゃないんだ」と床に頭を擦り付けながら何度も謝った
しかし大男を睨んでいた優男は、突然くくっと笑い出だした
「ああ、確かにこの前あの男に俺の組織は潰された、だからなんだ?」
「へ、い、いや・・・」
何でもない事の様に言ってくる優男に、大男はぽかんと口を開けたまま見上げていた
「まあ、一度やり合ってるからな、あいつらの弱点も色々わかってるんだぜ」
「ほ、本当か?」
「ああ、だから俺に任せておけば大丈夫だ」
自信たっぷりに言う優男の言葉にそれまで不安に身を震わせていた大男は「そうか」とやっと安堵の息を吐いた
「だ、だがあんた本当にいいのか?」
「あん?ふっ・・・いいぜ、おれは欲しいものが手に入りゃ、あとはあんたに全部くれてやる」
「ほ、本当か?」
「ああ」
念を押して聞いてくる強欲な大男に優男はさも当たり前だという風に頷いてやる
そうすることで俄然やる気を出した大男に、優男は気づかれないようににやりと笑った


「ああ、欲しい者が手に入れば、な・・・」





「ここか?」
「はい、ここが奴らの根城だそうです」
リクオの問いかけに、一人の側近が前に出てきて頷きながら答えた
いつもは人や妖怪で賑わうはずのここは先日の騒動のせいで閑散としていた
リクオが見上げているそこは、5番街に立ち並ぶビルのうちの一つだった
灰色のコンクリートで作られた無機質なそのビルは、今は誰も使っておらず空きビルとなっているはずだった
しかし、そのビルの3階の壁にはピンクの派手な看板が取り付けられ、その部屋の中は薄暗い明かりが灯っていた
どこの妖怪かは知らないが自分のシマに勝手に上がり込み、許可も無く何やらいかがわしい商売をしているそうなのだ
今回の刃傷沙汰は、そいつらを問い詰めるべく文句を言いに行った組の者が逆に返り討ちにされたのだという
組の中でも武闘派の妖怪達がやられたと聞き、リクオが直々に話をつけに出向いたというわけだった


思ったより組織は小さいんじゃないか?


実は一人で出向こうとしていたリクオだったが、過剰に心配する側近達に説得させられ百鬼を引き連れる羽目になったのだが・・・・
俺だけでも良かったんじゃないか?と素直な感想をリクオは胸中で呟いた
ビルと言っても小さなそこは百鬼を入れるには狭すぎる
こんな所に百鬼を引き連れてまで相手するような妖怪がいるとも思えなかった
しかし、油断は禁物
屈強な妖怪達が5〜6人返り討ちに合った場所なのだ、とりあえず腕に自身のある側近を引き連れてリクオ達はビルの中へと入っていった





「邪魔するぜ」
リクオは返事を待たずに部屋の中に入ると辺りを見回した
薄暗い部屋の中はバーになっているらしく、カウンターの奥にある棚の中には色んな種類の酒がずらりと並んでいた
しかし、カウンターの奥には従業員の姿は無く、店の中にさえ客の姿はいなかった
いや、一人だけ居た
窓際のテーブル席にぽつんと一人、テーブルに足を投げ出しビンごと酒を呷っている男の姿があった
「おい、ここにはお前しか居ないのか?」
ここにいるという事は、こいつが今回の主犯か?と警戒しながらリクオはテーブルに居る男に声をかけた
「んん?あ〜そうみたいだな〜、ま、ただ酒が飲めるからいいんじゃねぇの?」
リクオの警戒を他所に、男は暢気にそんな事を言いながらにやりと笑った
「なあ、あんたも飲むかい?」
男はそう言ってリクオに酒ビンの口を向けた
「いや・・・」
リクオが断ろうとした時、男は突然手に持っていた酒を床へこぼし始めた
「一緒に飲もうぜ〜」
「!!」
男の声が響くのとほぼ同時に、床全体が突然ぐにゃりと柔らかくなった
否、床が柔らかくなったのではなく、床から何かぬるりとしたモノが湧き出てきたのだ
それはあっという間にリクオ達の膝の辺りまで湧き出ると、どろどろと足を絡め取りだした
「く・・・罠か!」
「ひゃはははは、気づくのおせーんだよ!」
男は大声で笑うとパチンと指を鳴らす
その途端、わらわらと天井から無数のネズミが這い出てきた
それは一つの塊となり川のようになってリクオ達に向かって突進してくる
「く・・・」
リクオは懐に隠し持っていた弥々切丸を構えると、向かってくるネズミ達に切りつけた
「キャー」
突然響いた悲鳴に驚いて振り向くと、あろうことかネズミ達はつららを襲っていた
「つらら!」
絡め取られた足を必死に引き抜きながらつららの元へ向かうリクオに男は嘲るように笑った
「ひゃひゃひゃ、こいつは貰っていくぜ」

ざざざざぁ

すると男の声を合図に、まるで川が氾濫したような流れを作ったネズミ達は、つららを連れてビルの窓から逃げていく
「後はお前の好きにしな!泥田坊」
男はそう言うとリクオに向かって勝ち誇った笑みを向けると、ひらりと窓の外へ飛び降りた
「待て!」
リクオが慌てて後を追おうと足を引き抜こうとした時、がしり、と何かが腰に纏わりついてきた
見下ろすと黒い泥の塊のような大きな手が自分の体を掴んでいた
片手でリクオの腰を軽く捕まえている泥の手はみるみる内にムクムクとその腕の先が盛りあがっていく
それは形となって巨大な人型となった
「お前の相手は俺だー」
泥でできた妖怪はにたりと笑いながら捕まえたリクオを高く上へとかざす
「若!」
「リクオ様!!」
足を取られてもがいていた側近達は血相を変えてリクオを見上げた
その次の瞬間――

「奴良組若頭取ったど〜!」

天井高く掲げたリクオを見上げながら満足げに叫ぶ泥田坊
「は?」
「あ゛?」
その場に居た側近達はもちろん、リクオまでもが呆気に取られた

にこにこにこにこ

どういうわけか泥田坊は嬉しそうに笑っている
「おい」
巨大な手に捕まえられたままリクオは泥田坊を呼んだ
「あんだべ?」
「取ったって何をだ?」
「ああ?おめぇだよおめぇ」
そう言って泥田坊はリクオを指差した
「意味わかんねえぞ・・・」
リクオは半目になって泥田坊を睨みつける
「ああ、わかんねえやつだな〜奴良組若頭捕まえたんだから、奴良組は俺のもんだべ」
何言ってるんだべ〜、と泥田坊はさも当たり前だとばかりに言ってのけた
「・・・・誰に聞いたんだそれ」
泥田坊の腕の中、器用にも腕を組み懐から出した煙管をぷかりとふかしながらリクオは半目のまま聞いてきた
「ああ、あいつだあいつ!鉄鼠(てっそ)が教えてくれたんだべぇ〜」
嬉しそうに言う泥田坊に、リクオは盛大な溜息を吐くと


「取り敢えず、お仕置きだな・・・」


と懐から大きな盃を取り出した
「明鏡止水 桜」
ほとんどやる気の無いような声で言うと、ボッと泥田坊の周りに炎が宿る
「うわっちちち、火、火ィ〜〜!!」
泥田坊はたまらずリクオを手放しわたわたと暴れだした
ストッと軽い身のこなしで床に着地したリクオはジト目のまま泥田坊を見上げた
「さっき言ってた鉄鼠か?そいつの場所教えたらソレ消してやるぜ?」
リクオは怒気を含んだ意地の悪い笑みを浮かべて泥田坊に言った
一方泥田坊はというと――
「うわっ、あちいあちい!し、しし知らん!知らねんだよあいつの場所は〜ふらっと俺のとこへ来て”土地がほしくねえか?”って聞いてきたんだ、それで俺欲しいって言ったら”じゃあ手伝えって”だから俺何も知らねえ!!」
必死の形相で訴えてくる泥田坊
どうやら嘘はついていないようなのだが・・・・
「う〜ん、信用できねえな〜」
半目のまま、にやにやと笑みを張り付かせたまま泥田坊の言葉をばっさりと切り捨てるリクオ
一見、楽しそうに敵を虐めている様に見えるリクオだが


その笑顔ははっきり言って凄まじく怒っていますねリクオ様


と、長年の付き合いである側近達には、リクオの感情は手に取るようにわかった
「リクオ様怒ってるな」
「そりゃそうだろ」
「あんな理由で襲われた挙句、雪女を攫われちまったんだからな」
ひそひそひそひそ、リクオに聞こえないように囁き合う
こうなったリクオを止められる者は誰もいない
『ドSヌシ』と化したリクオの拷問を受ける泥田坊に、敵とはいえ哀れむような視線を向けながら側近達は心の中で合掌していた


帰ったら大仕事だな


この後待ち構えている『つらら捜索』に躍起になるリクオの姿を想像し、もちろん扱き使われるであろう自分達の不幸に深い深い溜息を吐く側近達であった

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