「行ってらっしゃいませ」
「あ、はい……それじゃあ行って来ます」
恒例になりつつあるその見送りに、リクオは頬を引き攣らせながら屋敷を後にした
見合い相手が押しかけるような形で屋敷に来てから早2週間
相変わらず見合い相手は良く働き
そしてリクオの身の周りの世話を良くしていた
しかし、リクオが学校に行く時はさすがの彼女も見送る他なく
その時ばかりはリクオも彼女の束縛から開放される
「ふぅ」
リクオは学校に向かう途中でほっと安堵の吐息を吐いていた
「最近お疲れみたいですね?」
そんな主を、数歩後から付いて来ていたつららが心配そうに声をかけてきた
「あ、うんちょっとね」
そんなつららに、リクオは心配をかけまいと笑顔で返す
しかし誰よりも主の事を良く知るつららは、そんな事では誤魔化されない
じっとリクオの顔を見ていたかと思ったら
「失礼します」
そう言って徐にリクオの額へ手を当ててきた
ひんやりと冷たいその感触にリクオはキョトンとつららを見つめる
目の前のつららの顔は真剣そのものだった
「少し熱がありますね」
リクオの額に触れていた手はあっという間に離れ、代わりにつららの心配そうな声が聞こえてきた
「え?」と言ってつららの熱が残る額に手をやると
その冷たい熱は直ぐに消え、いつもより高い体温が手の平に伝わってきた
確かに少し熱っぽいようだった
「ん〜、ちょっと最近疲れてたから、ね」
リクオは、つららには敵わないなぁ〜と内心で思いながら苦笑を零す
「今日は大事を取って早めに帰りましょう」
そう言って心配そうに己の顔を覗き込む側近に、リクオは何だかホッとするものを感じて笑顔になった
「うん、ごめんね心配かけて」
「何をおっしゃいます、心配するのは当たり前じゃないですか」
リクオの言葉にムキになって返すつららが、リクオは無性に愛しくなって思わずその手を取った
「リクオ様?」
冷たい手がさっと熱を帯びる
真っ白い頬が薄紅色に変わる
そんな変化をこっそりと楽しみながら、リクオは「遅刻しちゃうよ」と言うと
狼狽えるつららの手を握り締めて走り出すのであった
「リクオ様、失礼します」
学校から帰宅して暫くした頃、部屋の廊下から側近頭の声が聞こえてきた
机に向かっていたリクオは、声のした方に振り向くと「入っていいよ」と笑顔になりながら入室を許可する
すると徐に襖が開き、重箱を抱えたつららが中へと入ってきた
伏せ目がちに部屋へと入ってきたつららは視線を上げた途端、固まった
しかしそれは一瞬の事で、すぐに何事も無かったように襖を閉めると部屋の奥へと歩みを進めた
「これ、お持ちしました」
つららはそう言うとリクオのすぐ目の前に来て、持ってきた重箱の蓋を開いて見せた
「ありがとう、つらら」
リクオは中のものを覗き込むと嬉しそうにそう言って笑ってきてくれた
その時
「これは何ですの?」
主の喜ぶ顔を見てほっと顔を綻ばせていたつららの耳に聞こえてきた、透き通るような美しい声
努めて意識しないようにしていた人物の声が、直ぐ横から聞こえてきた
つららはその声にぴくりと反応したが、そうと悟られないように静かに返答する
「しゃりしゃりレモンと言うものです」
リクオ様に頼まれまして、と隣でその重箱を覗き込んでいる女性へと説明した
つららが部屋に入って来た時、見合い相手の女性が部屋の中に居た
そのこと事態は予測していた事だったので、つららは気にしないようにしていたのだが
彼女の姿を見て不覚にも動揺してしまった
彼女――リクオの見合い相手は――あろうことか当たり前のようにその場に鎮座し、当たり前のようにリクオの身の回りの世話を焼いていたのだった
知っていた事とはいえ、今の今までそれを見ないようにしてきたつららには衝撃だった
あれは私の仕事だったのに……
彼女の手の中に在るものを見てつららは小さく息を吐いた
手の中のもの――そこにはリクオの制服のシャツがあった
ボタンでも取れたのであろう、彼女の横には針箱が置いてある
『リクオ様、はい、これ付けておきました♪』
『ありがとう、つらら』
その途端、過去の思い出が脳裏に蘇る
哀しいと思う心を無理矢理押し込んでつららは平静、と務めた
そして――
手に持っていた重箱をリクオに渡すと「では」と言って素早く踵を返す
しかし、その瞬間リクオに引き止められてしまった
つららはぴくり、とまた肩を僅かに震えさせ、そして表情を崩さないようにゆっくりと振り返った
「なんでしょう?」
少しばかり声が固くなってしまった
リクオはそんなつららをじっと見つめている
見合い相手の女性も何事かと、リクオとつららを交互に見遣っていた
「つらら、ちょっといいかな?」
「あ、はい」
何か用でもあるのか、リクオはつららにそう言うと隣に居る見合い相手へと視線を移した
「キミヨさん、すみませんが席を外してもらえますか」
「え?」
キミヨと呼ばれた相手は驚いてリクオの顔を見上げた
「僕の側近頭と重要な話があるので」
見合い相手であるキミヨは、申し訳なさそうに退室を願うリクオに何か言いたそうな視線を向けてきていたが
しかし直ぐに「わかりました」と、にっこりと笑うと部屋から出て行った
その一部始終をポカンと口を開けたまま見守っていたつららは、彼女が退室するや不思議そうにリクオを見下ろした
しかし、この状況を作ったリクオは
「わあ、久しぶりだなコレ」
と言いながら重箱の中のものをつまみ始めたのだった
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