じーーーーーー
ほらまた
ひしひしと伝わってくる
背後から
小さな小さなその視線
「あら、またよ」
台所仕事をしていた女中達がその存在に気づき、小さな声で囁き合う
「あら本当、ここ毎日じゃない?」
その声はその存在を疎んじるものでは無く、逆に微笑ましいと綻ぶような響きをもって囁かれていた
その女中達の視線の先――この屋敷の幼い若様が小さな顔を半分だけ覗かせてこちらを覗いていらした
その可愛らしい仕草に、くすくすと笑い合いながら屋敷住まいの女中達は視線を他へと移す
「また若様が来ていらしているわよ」
「え?」
すぐ側で、ぱたぱたと忙しそうに慣れない仕事をしていたつららは、仲間の声に驚いた顔で振り向いた
振り向いた先には言葉通り、ひょっこりと半分だけ顔を覗かせている若様がいた
「あら本当、どうされたのかしら?」
首を傾げながら若様の視線を辿ると
そこには――
若菜様
若君の実の母――当家二代目の若奥様の姿を熱心に観察されておられた
「何をされているのかしら?」
「まさかまた悪戯を?」
「まさか?だって若菜様にはそんな事しないわよ」
「そうよねえ、じゃあ何かしら?」
屋敷の妖怪たちの間では大層の悪戯好きで通っている若君は、母親にだけは悪戯をしなかった
というのも、したら最後『尻叩きの刑』が待っているので、さすがの若様も手を出せないというだけなのだが
では一体何故?
と、手を動かしながら器用に話し合う女中達
慣れた手つきで芋の皮を剥いたり、煮物の味付けをこなしていく
その仲間につららも加わりながら彼女達と一緒に首を傾げていた
「何かしらねぇ・・・・」
汁物の鍋に材料を投入しながらつららがぽつりと呟いていると
「あらリクオ、どうしたの?」
若君の姿に気づいた若菜が振り返った
突然名を呼ばれ、しかもこちらを見た母親に若君は肩をびくりと震わせて大袈裟な位に驚いてみせた
そして
「な、なんでもないよ!」
首を傾げ前掛けで手を拭いながら近づいてくる母親に、リクオはそう言うと一目散に逃げて行ってしまった
「どうしたのかしらあの子?」
息子が逃げ出した出入り口を見つめながら若菜はぽつりと呟く
「さあ・・・」
それに答えるように他の女中達は小首をかしげていた
「雪女、雪女」
突然呼ばれたのは丁度夕食の準備が済み、さて若君でも呼んで来ようかしらと思った時だった
「あら若様丁度良い所へ、お夕食の支度が整いましたよ」
廊下の角から、ちょいちょいと手招きしてくる若君につららはにっこりと笑顔を向けながら近づいていく
少しだけ前に屈み、自ら仕える若君へ夕餉へと誘うつららの腕を、リクオはがしりと掴んできた
「リクオ様?」
「こっち来て!」
有無を言わさぬ勢いでつららを引っ張り駆け出す
突然の行動に前のめりになりながらつららは「どうしたのですか?」と聞きながら必死について行った
小さなリクオに手を引かれ何度も転びそうになりながらようやく辿り着いた先は
リクオの部屋だった
リクオは部屋の前まで来ると、廊下をきょろきょろと見回し誰も居ないことを確認すると急いでつららを中へと入れ襖をしっかりと閉めた
「どうされたのですか?」
「しーーーー!!」
部屋に連れ込まれるなりどうしたのかと聞いてきたつららに、リクオは慌てて小さな人差し指を立てて静かにしろと訴えてきた
「・・・・」
つららは思わず両手で己の口元を押さえる
その下僕の行動にリクオは「よし」と一つ頷くと、ゆっくりとつららへと顔を近づけていった
つららも釣られて中腰になり、リクオと視線を合わせる
「雪女、お前は口が堅いか?」
リクオの言葉につららはこくりと頷く
「よし、じゃあこれから言う事は皆には絶対内緒だぞ!」
その言葉につららは瞳をキラキラさせながら、口を両手で塞いだまま力強く頷くのだった
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