「よいかつらら、よく見ておくのじゃぞ」

「はい」

深夜の台所

その一角にぽつりと点いた明かりを頼りにユキとつららは何やらごそごそやっていた



二人の目の前にはぐらぐらと煮え立った鍋がある

そしてその中には酒の入った燗が入っていた

ユキは徐に布巾を手に取ると、そのまま躊躇う事無く鍋の中の熱燗を掴んだ

その瞬間、思わずつららが「あっ」と慌てたような声を上げた

そしてはらはらと祖母の動向を見守っている

そんな孫の心配を他所に、ユキは流れるような手つきで難無く熱くなった燗をお盆へと乗せた

「すごい・・・」

つららは信じられないモノでも見るような目でユキと熱燗を見ながら呟いた

「ふふふ、熟練の雪女ともなればこの位、朝飯前じゃぞ」

孫の尊敬の眼差しに気を良くしながら、ユキはころころと声を立てて笑う

「それ、そなたもやってみるが良い」

そう言いながら、ユキはまた煮立った鍋の中に燗を入れると、つららを前に立たせる



ごきゅり



つららは目の前でぐつぐつと熱い湯気を上げる鍋を凝視すると

えいっと手を伸ばした

その刹那――



「熱っ!!」

「ばかもの!何をやっておる!!」

真っ暗な台所で悲鳴のような二人の女の声が響いた



突然襲った指先の痺れ

焼け付くような痛みとしゅうしゅうと上がる煙



あろう事か、素手で熱燗を持ってしまったつららの右の指先は、どろりと溶けてポタポタと雫が零れていた

ユキは悲鳴のような声を上げると、慌ててつららの右手を両手で包み込む

その両手がポォッと淡く青白く光ったかと思うと、次の瞬間つららの右手は元に戻っていた

つるりとした傷一つ無い指先を見てユキはほっと胸を撫で下ろした

「まったく、もう少し遅かったら手首から先が無くなっておったぞ、素手で持つなどもっての他じゃ!」

安堵半分怒り半分のユキはまたしても、くわっと般若の形相でつららを叱り付ける

「ううう、すみません」

ユキに叱られたつららはしょぼんと項垂れながらくすんと鼻を鳴らした

そんな姿のつららに、ユキはやれやれと肩を竦めると――



「明日から特訓じゃ」



と溜息も露わにそう呟いた







「へえ、そんな事があったのか」

「はい、なんだかあの方気合入っちゃって、明日から特訓だと言っていましたよ」

「そりゃあ、大変だ」

下弦の月に照らされながら、リクオはくすりと苦笑を零しながら手に持っていた杯を傾けると、ちらりと横を見た



難なく熱燗を直に持つ手

腰まで届く波打つ長い髪

妖艶に微笑む花魁独特の笑顔



いつもと違う酌の相手に、リクオの胸の奥に少しばかりの違和感が生まれた

それを億尾にも出さず、リクオは「悪いな」と言ってまた杯を差し出す

「ふふふ、今日はつららじゃなくて残念ですか?」

突然くすくすと口元を隠して笑い出した毛倡妓に、リクオは軽く目を瞠った

「だって顔に書いてありますもの」

そう言って更に驚いた表情で見下ろしてくる主に、堪らないと毛倡妓はくすくすとまた笑った

「そういうわけじゃあ・・・・」

リクオはどう言えばいいのか返答に困り、頭をぽりぽりと掻く

「今日はつららは諦めて下さい。あの方がつららの怪我を心配して今も付き添っていますからね」

「違えって・・・・」

残念そうに眉根を寄せて言ってくる毛倡妓に、リクオはうっすらと頬を染めながらぷいっと視線を外した

つららは今、先程毛倡妓から聞いた怪我の大事を取って部屋にいるという

せっかく作ったのだからと、つらら自ら熱燗をリクオの元へと運ぼうとしたのだが

また指が溶けたらどうするのじゃ!と、過剰に心配するユキの説得もあってしぶしぶ毛倡妓に酌役を任せたのであった

リクオとしても、怪我をしているつららに無理をさせたくは無かったし、しかもあの女が離してくれないだろうと、今夜の酌の相手は毛倡妓で良いと断ったのだが・・・・

あの時のつららの顔が脳裏にちらついてどうにも落ち着かなかった



あの、寂しそうな傷ついた様な表情



つららの為を思って断ったはずなのに、何故か意地悪をしたような気分になってしまった



「あとでこっそり見舞っとくか・・・・」

手の中の杯をぼんやり眺めながらリクオは小さな声でぽつりと呟いていたた


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