静かな夜に突然それは訪れた
「なんじゃ?」
薄明かりの障子の向こう――静かに近づいてきた影にユキは水煙草の煙をぷかりと吐き出しながら問う
「くく、相変わらず感がよいな」
すらりと障子を開けて入ってきたのはぬらりひょんだった
「どうじゃ、久しぶりに?」
懐から『妖銘酒』と盃を二つ取り出しにやりと笑う
「ふん、そなたとまた盃を交わすのかえ?」
それを見た途端、ユキは眉間に皺を寄せ嫌そうに呟いた
「ただの酒盛りじゃ、まだ根にもっとるんかい?」
ユキの態度にぬらりひょんは呆れたように眉根を寄せる
「まあ、付き合ってやらんでもよいがの」
開いた扇から視線だけを寄越して言うユキに、ぬらりひょんは「やれやれ」と嘆息すると目の前にどかりと座り、手酌で酒を注いでユキの目の前にぐいっと盃を突き出してきた
それを優雅な手つきで受け取ったユキはその盃をまじまじと見つめた
「毒なんか入っとらんぞ」
ぬらりひょんはジト目で言う
「いや・・・懐かしいと思うてな」
ユキの言葉にぬらりひょんは目を瞠った
「おめえがそんな事を言うなんてな・・・」
「ふ・・・あれから何百年経つと思うておる?」
ぬらりひょんの反応にユキは薄く笑うとくいっと盃を傾けた
「妾も随分年を取った」
「ああ、俺もだ」
「そうじゃな」
「お、おう・・・」
「頭も剥げたな」
「ぐ・・・」
「しかも体も縮んだ」
「ぬぬっ」
「見るも無残な有様じゃ・・・」
「てめぇ・・・」
ユキの容赦ない言葉にぬらりひょんはぷるぷると震える
「本当の事じゃ」
トドメとばかりにきっぱりと言い放った言葉にぬらりひょんはその場に崩れ落ちた
孫も祖父もどうやらこの雪女には適わないらしい
くじけそうな心を何とか立て直し、ぬらりひょんは睨むように目の前のユキを見据えると
「何で来た?」
と、ここへと赴いた理由でもある疑問を投げかけた
「ここへ来るのも300年振りじゃのう」
ユキは扇で顔を隠しながらぷいっとそっぽを向く
「おい」
またしてもぬらりひょんはジト目で目の前の女を見た
「あの時は鯉半の時じゃったか・・・・」
懐かしそうに空に浮かぶ月を見上げながら呟く女の言葉に、それまで剣呑な表情だったぬらりひょんの顔に影が落ちる
「あの時も今日みてえだったな・・・」
「うむ、あの時は確か鯉半の元服の時じゃったか?」
「ああ、あの時もおめえはこうやって突然やってきたなぁ」
「2代目が成人するのじゃ、当たり前であろう?」
そう言ってにやりと笑った女に、「本当に性質が悪い」とぬらりひょんは肩を竦めた
「あの時も大暴れして式をぶち壊してくれたじゃねえか?」
「そうであったか?まあ妾を呼ばなかったそなた達が悪いのであろう」
「おめえが来たら暴れるだろう?まあ、結局意味無かったけどな・・・」
ジト目で言うぬらりひょんの言葉に、ユキはどこ吹く風と扇で顔を隠しながら「ほほほほ」と悪びれもなく笑うばかりであった
「まあ、あの男が伴侶を見つけたときも会ったがの」
「ぶふっ」
ユキの言葉にぬらりひょんは飲んでいた酒を盛大に噴出した
「会ったっておめえ・・・」
「うむ、あの時はほれ、若菜とか言ったか?あの小娘を招待してやったぞ」
にこやかに言う目の前の女にぬらりひょんは顔色を変えた
「招待したって、あの時もそんな事してたのか!?」
つい最近つららを連れ去り騒ぎになった事は烏天狗から聞いていた
しかも、つららを連れ戻しに行ったリクオに刃を向けたという事も
その話を聞いて度肝を抜かれたのは言うまでもなく、目の前の女の破天荒ぶりを改めて実感させられたのであった
しかも2度目とあればさすがのぬらりひょんも呆れるというもの
怒るというよりも何よりも今も昔もこの女が来るとろくな目に会わないなと脱力感に見舞われた
はあ、と盛大な溜息を吐き「いい加減にしろ」とあまり効果の無い言葉を呟くしかなかった
「鯉半の方がはっきりしていたぞ」
突然ふられた言葉にぬらりひょんは意味がわからず首を傾げた
「気づいておらぬわけではなかろう?あやつの態度はどうも曖昧でいかん」
あやつ、というのはリクオの事であろう、ユキの言葉にぬらりひょんは苦笑を漏らした
「しかたあるまい、あれは物心つくときから側におったんじゃ、そう簡単に変えられるものかい」
孫が想いを寄せる相手に不満は無いが、どうしてまた攻略し難い相手を選んだのかと不憫でならなかった
ぬらりひょんは孫の恋の行く末を案じやれやれと肩を落とす
「障害が大きいほど燃えるものじゃぞ」
そなたもそうであったであろう?と、ユキはぬらりひょんの態度にくすくすと笑いながら視線を寄越す
揶揄を含んだその言葉に、ぬらりひょんはぐっと押し黙ってしまった


確かに、人の事は言えねえな


ユキの言葉にも一理あるなとぬらりひょんは苦笑した
「んでおめぇ、何で来たんだ?」
ぬらりひょんはまたしても有耶無耶になりかけた問いかけを再度引き出してきた
ユキはそんなぬらりひょんをちらりと一瞥するとぼそりと呟いた
「つららじゃ」
「あん?」
扇で顔を隠すユキにぬらりひょんは片眉を上げて聞き返す
「つららの為に来たのじゃ」
そう言うとユキはぷいっと横を向いてしまった
てっきりリクオに用があると思っていたぬらりひょんは意外な言葉に目を瞠り、目の前の女をまじまじと見つめた
不躾なその視線にやれやれとユキは溜息を零すと、ぱちんと扇を閉じてぬらりひょんを見据えた
「あの二人、一緒になるには障害が多すぎるのでな・・・・」
「そりゃそうだが・・・・」
と、ぬらりひょんは曖昧に頷きながら、何やら歯切れの悪い物言いをする目の前の女を見遣った。
確かに、主従での恋愛はそれこそ障害がつきものだ、古参の側近達からは「やれ家柄」だの「体裁が」だの難癖はつけられるだろうし、本家の側近達からの嫉妬も考えられる

だがしかし・・・・

この目の前の女がここへ来た今、そんな身の程知らずな事を言う者はいないのではないか?とぬらりひょんは思っている
では、一体何の障害があるのかとぬらりひょんが首を傾げていると
「嫁としての障害じゃ・・・」
ぬらりひょんの視線に気づいたユキがぽつりと呟いた
「ああ・・・」
そういう事か、とぬらりひょんは一人納得する
そしてくすくす笑いながら「そうだな」と女の意見に賛成した
「何が可笑しい?」
「いや、おめぇがそんな事で恥ずかしがるなんてな」
「なっ!」
そんな事は無い!と、ユキは扇で顔を隠しながら、ぬらりひょんの言葉に憤慨した
その後もくくくっと忍び笑いをするぬらりひょんと、扇で顔を隠しぷいっとそっぽを向くユキとの静かな酒盛りは明け方まで続くのだった

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