8ページ(4/8)

「話をするのは初めてかしら?」
夕餉の準備で忙しい台所で、たすき掛けをしてお膳を運んでいたつららに声をかける者があった
驚いて振り返ると、いつの間に来たのかキミヨがそこに立っていた
キミヨはつららに向かって、にっこりと人当たりの良さそうな笑顔を向けている
そのあまりにも綺麗な微笑みに、つららは一瞬見惚れた
しかし直ぐに表情を戻すと、訝しげにキミヨを見上げた
彼女はにこにこと笑っていた

美しい笑顔
誰が見ても見惚れる笑顔
菩薩の如きその微笑みは
しかし

目が笑っていなかった

つららを見下ろすその瞳の奥には

怒り

憎悪にも似た怒りの念がつららを突き刺す
本当にほとんど人間なのかと疑ってしまうような、その畏にも似た念に不覚にもつららの身が竦んでしまった
「貴女、リクオ様の側近頭なんですってね」
キミヨはその笑顔のままつららに話しかけてきた
その声にぴくりと肩が小さく跳ねる
「そ、そうですけど」
それが何か?と、つららは平静を装って聞き返した
「いえ、別に深い意味はないんですのよ」
その言葉にキミヨは軽く首を振って答えてきた
「ただ……」
「?」
そこで一旦言葉を切る
そんなキミヨを訝しく思いながらつららは続きを待った

「ただ……私とリクオさんが結婚したら、用は無い役目かと思いまして」

衝撃を受けた
頭を鈍器で強く打たれたみたいだった

用は無い  用は無い  用は無い  用は無い

つららの頭の中でキミヨの科白が繰り返される
ふらりとつららはよろめいてしまった
「大丈夫?」
壁に凭れかかり何とかお膳をひっくり返すことを免れたつららに、キミヨの声が聞こえてきた
見上げると、あの笑み
愉しくて、楽しくて仕方がないといった笑み
キミヨは動揺するつららを見て楽しそうだった
「そ、そんな事……」
ありません!と、見下ろす笑顔を睨み上げながらつららは抗議した
しかし
「そうかしら?側近頭って言ってもリクオさんの身の回りの世話ばかりじゃない、それなら私がいつもお側に居れば済む事でしょう?」
あなた他に何か出来て?そう言って侮蔑するような視線でつららを見下ろしてきた
その言葉につららの体が怒りで熱くなる
金色の瞳をかっと見開き、つららは声を荒げて叫んだ
「そんな事ありません!他にも沢山あります!」
「じゃあ何?まさかお洗濯やお料理なんて言わないわよ、ねぇ?」
面白そうに首を傾げながらキミヨが聞いてきた
その質問に、つららは「うっ」とたじろぐ
「そ、それもあるけど……リクオ様の護衛とか百鬼夜行のお供とか……」
「あら、それなら他の皆さんでも出来る事でしょう、何が違うの?」
くすくすと口元を袖で隠しながらキミヨは笑った
その言葉につららは黙り込む
下を向いてしまったつららに畳み掛けるようにキミヨは言葉を続けた
「まあ、私があの人と一緒になったら護衛の仕事や百鬼夜行も少なくなると思うわ」
「そ、それはどういう……」
キミヨの言葉につららは顔を上げた
そんなつららにキミヨはくすりと笑うとこう答えた
「私の能力を聞いてないの?私はあの人……三代目を強くすることが出来るのよ。妖力も畏も……そうすれば全ての妖怪達も三代目の元へ集まってくるわ。そうなれば、あの人を守る護衛も他の妖怪達と戦う為の百鬼夜行の出番もなくなると思わない?」
キミヨはそう言って目を細めながらつららを見た
「リクオ様の妖力と畏を?」
「そう」
己の科白をオウム返しするつららにキミヨはゆっくりと頷くと
「私があの人へ力を与える方法、教えて差し上げましょうか?」
驚くつららの耳元へキミヨはそっと囁いてきた





「力を与える方法、それはあの人……リクオさんと交わることよ」

そう言ってキミヨは妖艶に笑ってみせた
その笑みは人間よりも妖怪に近いそれで
しかしつららはそんな事よりも、先程キミヨが言った科白が耳に焼き付いて仕方がなかった

あの人と交わる
主と交わる
リクオ様と……

そこまで考えてぼっと顔が真っ赤になった

それって、それってぇぇぇぇぇ〜〜!!

ようやく理解したその答えに、つららは動揺する
赤くなった頬を押さえ、あわあわしながらキミヨを見上げた
「ふふ、恥ずかしがる事じゃないわ、簡単な事でしょう夫婦なら」
キミヨはそんなつららの反応を満足そうに眺めながらそう付け加えてきた

夫婦

その言葉につららの胸が、つきりと痛んだ
つららは思わずキミヨを見上げた
見上げた相手はつららを見下ろしながら微笑んでいた
悠然と見下すように
まるで勝ち誇ったかのように
その瞬間、理解してしまった……己の立場を

妻になるべくして此処へ赴いた女と
下僕として昔から此処に居る女と

どちらがより有利であるか
それは火を見るよりも明らかで……

先に視線を外したのはつららであった
「仕事がありますので」
つららはそう言うと、キミヨの脇を逃げるように走り抜けて行った





「つらら、つらら」
「え?」
名を呼ばれながら肩を揺すられて、つららははっと我に返った
呼ばれた方を見上げると、心配そうな主の顔があった
つららは主を差し置いて暫く考えに耽ってしまっていたらしい
手に持っていた徳利は既に氷水のように冷たくなっていた
「あ、す、すみません……私としたことが」
つららは慌ててそう言うと、新しい燗を作り直して来ようと立ち上がろうとした
が……
「……リクオ様?」
立ち上がろうとしたつららの腕をリクオが掴みその動きを遮ってきたのであった
掴まれた腕が、じん、と焼け付くような熱を感じながら、つららは不思議そうに首を傾げた
キョトンと見上げるつららをリクオは見下ろしながら静かな声で言ってきた
「酒はもういい、それより……眠くなっちまった」

寝床作ってくれ

リクオはそう言うと、細い腕を掴む手に少しだけ力を込めた
きゅっと込められたその拘束に、つららは知らず心を震わせる

そう言ってきた主の言葉の意味は理解した
そう言って力を込めた掌の熱の意味は解らなかった
その縋るような熱い視線の意味は判りかねた

勘違いしてはダメ

自分に都合の良いように思ってしまう心を叱咤する

勘違いしてはダメ
勘違いしてはダメ
勘違いしてはダメ

つららは胸中で頭を振る

これは
そう
いつものこと

いつもより甘い声も
いつもより熱い掌も
いつもより熱い視線も

全部全部勘違いだから
だから……

「リクオさん、就寝の準備ができましたわよ」

胸中で必死に己の心に首を振るつららの耳に、その思いを奈落に落とす声が聞こえてきた
驚いて振り返ると、直ぐ側にキミヨが立っていた
あの天女のような微笑をその美しい顔に張り付かせながら
つららと
リクオを見下ろしていた

ぞくり

向けられたその視線に肌が粟立つ
ひしひしと伝わってくるその感情に、つららの体は知らず強張る
これは、自分が良く知っているモノだった
そう、良く知っている
ついこの間まで自分も彼女に向けていたモノだ

嫉妬

最近になって強く心に浮かぶようになったその感情
しかし彼女のそれは、つららのものより何倍も激しかった
強いて言えば

憎悪

憎まれている?と錯覚さえしてしまいそうなその視線につららは知らず視線を逸らした
「あ、ああ、悪いな……そんな事までしてもらって」
「いいえ、好きでしてることですから」
急に俯いてしまった側近頭をリクオは気にしながら、突然現れた見合い相手に礼を述べる
そんなリクオにキミヨはさらに笑みを深めるとそう言ってきた
そして
「さ、もう遅いですからお部屋へお戻り下さい、明日も学校でしたわよね?」
「あ、ああ……じゃあ、後はつららに……」
任せるから、そう続けようとしたリクオの言葉をキミヨが遮ってきた
「あら、雪女さんはお加減がよろしくないようですわ、まあ真っ青じゃないですか!」
口元に手をやって大袈裟に驚く女に、リクオはこの時初めてつららの様子に気付いた
見れば本当に真っ青な顔をしている
「おい、つらら大丈夫か?」
「だ、大丈夫です」
リクオはぎょっとしてつららの顔を覗き込むと声をかけた
すると、つららはリクオの声に我に返ったのか、ふらつく足で立ち上がろうとしてきた
「おい、本当に大丈夫か?」
ふらりとよろめくつららの体を支えてやりながら、リクオも一緒に立ち上がる
そして当たり前のようにつららを部屋へと送ろうとしたリクオを、キミヨが引き止めてきた
「雪女さんは私が部屋までお送りしますわ、リクオさんはお部屋へ戻っていて下さいな」
「しかし……」
尚も渋るリクオにキミヨはにこりと笑みを零すと
「こんな遅くに殿方が女性の部屋を訪れるのはどうかと思いますわ」
リクオにとって踏み止まらざる負えない一言を呟いてきた
さすがのリクオもこの言葉に「うぐっ」と言葉に詰まってしまった
それを了承と取ったキミヨは、リクオの腕からつららを受け取ろうと手を伸ばしてきた
その動作にリクオは渋々ながらも素直に従う
ぐったりとしたつららを視線で気遣いながら名残惜しそうにその冷たい体を離すと
「つららを……よろしく頼む」
リクオは苦虫を噛み潰したような顔をしながらキミヨに言った
その言葉にキミヨはにっこりと頷くと、つららの肩を支えながら部屋へと向かい歩いて行ってしまった



「さ、あとは一人で戻れるでしょう?」
廊下の角を二つばかり曲がった所でキミヨは突然そう言うと徐につららから離れた
支えを失ったつららはよろめき壁へと凭れ掛かる
つららは壁に凭れたまま焦点の定まらない虚ろな瞳でキミヨを見上げた
キミヨはそんなつららを見下ろすと、ふっと口元に笑みを作りながら言ってきた

「側近頭なんでしょう?」

その言葉につららは目を僅かに見開くと唇を噛んだ
そして壁に手を付き、ふらつきながらも自室へ向かって歩き始める
素直に歩き始めたつららのにキミヨは笑みを零すと、くるりと踵を返す
そして、一度も振り返らずにその場から去って行った

[戻る]  [アンケトップ]  [次へ]