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「失礼します」
そう言って部屋の襖を開け、返事を待たずに中へと入ってきたのはキミヨだった
「キミヨ……さんか?」
てっきり、つららを送り届けてそのまま部屋に帰るとばかり思っていたリクオは、キミヨの急な来訪に驚いたような声を上げた
「どうしたんだい?……まさかつららに」
「雪女さんなら無事に部屋へ送り届けました」
リクオの心配を遮るようにキミヨはにこりと笑顔を向けながらそう言ってきた
その言葉にリクオは「そうか」と、ほっと吐息を漏らす
そんなリクオの反応を苦々しく思いながら、しかしキミヨはそれと気付かれないように、にこやかな笑顔でこう告げてきた
「はい、雪女さんも部屋に入るなりすぐ横になりましたわ。酔いが回ったんじゃないかしら?」
あまり無理はさせてはいけませんよ、と苦笑しながら言うキミヨにリクオは素直に頷いた
「ああ、そうだな」
今夜は久しぶりにつららが側に居てくれたので少し浮かれてしまったようだ
ついつい慣れない酒を彼女に勧めてしまった
つららが酒を飲む姿など生まれてからこの方、見かけたことは殆ど無いというのに
あるとすれば己と七分三分の杯を交わした時だ
それほど彼女は酒を飲まないというのに、つい気分が良くて勧めてしまった
彼女が言うように、つららが気分が悪くなってしまったのは自分の責任だな
と、次からは気をつけようとリクオは内心で反省するのだった
己の言葉に視線を落として考え込んでしまったリクオの顔を、キミヨは目を細めながら見ていた
ふと見上げた視線にキミヨが写ったとき、リクオに疑問が浮かんだ
つららの事を心配し過ぎていたために今まで気づかなかったのだが、何故ここに彼女が居るのだろうと今頃になって気がついた
そしてその疑問を何も考えずに口に出していた
「それで、キミヨさんは何でここにいるんだい?」
と
こんな言い方はいささか失礼かと思ったが、こんな夜分にしかもわざわざ引き返してきたのには何か理由があるのではと聞いてみた
しかし
そんなリクオの言葉に、何故かキミヨは俯いてしまった
よく見れば両の肩がわなわなと震えている
何か失礼な事を言ってしまったのかとリクオが不安に思った時
キミヨの口が動いた
「来てはいけませんでしたか?」
「?」
搾り出すように吐き出された言葉にリクオは首を傾げた
「キミヨさん?」
「逢いに来てはいけませんでしたか?」
訝しげに声をかけたリクオにキミヨはがばりと顔をあげると潤んだ瞳でそう言ってきた
「私、私……リクオさんの側にいつでもいたいんです!」
キミヨは叫ぶようにそう言うと、たっと駆け出しリクオの胸に飛び込んできた
突然飛び込んで来た細い体を反射的に受け止める
ぎゅっと背に回された細い腕の力にリクオはたじろいだ
「好きです、リクオさんの事が……誰よりも」
更に、回した腕に力を込めて見上げてきたその顔は今にも泣きそうだった
あまりの急な展開に、夜の姿のリクオも困惑する
本気の……鬼気迫る様なその告白に、いつもはのらりくらりと返せるはずのリクオは言葉に詰まってしまった
目を見開いたまま涙ぐんだその顔を見下ろしている
何も言わないリクオの反応を了承と取ったのか、キミヨは涙で潤んだ瞳を閉じるとゆっくりとリクオの顔に近づいていった
そして――
「リクオ様〜もう寝る時間ですよ〜」
あと数センチ
といった所で、間の抜けた甲高い声が聞こえてきた
その声にリクオは正気を取り戻すと、目の前に迫っていたキミヨの顔に驚き慌てて離れた
そして声の聞こえた方に振り向くと、開いた襖の向こうには毛倡妓が立っていた
何故かジト目でこちらを見ている
「明日も早いんですから早く寝てくださいね〜、あ、お客様ももう就寝の時間ですよ〜」
毛倡妓はそう言うと、にっこりと笑いかけてきた
まるで菩薩の如きその笑顔は……何故か見ていると背筋から冷や汗が流れてくる
隣にいるキミヨも同じだったようで
「わ、わたくしも、もう寝ますわ」
と、オホホホホ〜と笑いながら慌てて部屋を出て行った
そんなキミヨをちらりと目だけで追っていた毛倡妓は、彼女の姿が見えなくなるとまたその視線をリクオへと戻してきた
しかもジト目のまま
何か言いたそうなその視線にリクオは「なんだ?」と訝しげに見返してくる
そんなリクオに毛倡妓は
「いい加減はっきりしないと、つらら居なくなっちゃいますよ」
と、そんな事を言ってきたのであった
もちろん、ぎょっとしたのはリクオの方で
なんで突然そんな事を言われなければいけないんだと食って掛かった
しかし、そんなリクオを元花魁は鼻で笑ってあしらうと
「”二兎追うものは一兎も追えず”ですよ」
これまた先程と同じ笑顔で言ってきた
その言葉にリクオは何故かぞくりと寒気を覚える
その時――
「あ〜毛倡妓の言う通りだな〜」
「おお〜いい事言うな〜」
「そうだな〜リクオ様もいい加減に焦ってもらわにゃ」
そんなリクオの背後から、うんうんと同意する声が聞こえてきた
慌ててがばっと振り返ると、どこから湧いて出てきたのか側近達がずらりと並んでいた
しかもリクオと杯を交わした側近達ばかりである
その顔ぶれにリクオはまたしても背筋に嫌な汗が流れていった
「お、お前ら……」
その後――
二時間たっぷり
毛倡妓率いる側近達に何故かお小言にも似た厭味を喰らうのだった
ぱたん
真っ暗なその部屋に戸の閉まる音が聞こえてきた
しかし、布団の上でぼんやりとしていたつららは振り返ることも無い
ただ只、布団に出来た皺をじっと眺めていた
「このままでいいの?」
そんなつららに声が掛けられる
その言葉につららの肩がぴくりと動いた
ゆっくりとした動作で声をかけてきた相手を見上げる
薄暗いその部屋の中
胸元まで開いた派手な着物に身を包んだ毛倡妓が、心配そうな顔でこちらを見ていた
毛倡妓はそう言うと探るようにつららの顔を見下ろす
つららの顔は先程まで泣いていたのであろう、目が真っ赤に染まっていた
泣き腫らした目元は彼女の心の傷の深さを表していた
その痛ましい姿に毛倡妓は眉根を寄せる
「本当にリクオ様取られちゃうわよ」
いつか言った言葉をもう一度彼女に向かって投げかけてみた
しかしつららの反応は毛倡妓の期待通りにはいかなかった
つららは力なく首を横へと振るとぽつりと呟いてきた
「だって……私はただの側近だもの」
自嘲的な笑みをその口元に浮かばせて、視線は下を向いたまま
そのいつもの彼女とは違うどこか投げやりな態度に毛倡妓は溜息をつくしかなかった
こんなのはつららじゃない
こんなのは彼女らしくない
一体彼女に何があったというのだろうか?
あのキミヨとか言う見合い相手が来てから……
いや、それよりも前
そう、一番最初に気付いたのはあの見合いの話を聞いた直ぐ後だった
突然よそよそしくなってしまった彼女
何かに怯え
そして何かを必死に隠そうとしていた
毛倡妓はその時からずっと心に引っかかるものが何であるのかずっと考えていた
そして今のつららを見て確信した
本当にこの子は……
不器用な……不器用すぎるこの仲間に毛倡妓は内心で溜息を漏らす
昔、花魁をしていた時に時々目にした光景
初めて己の心に気がついた女の葛藤
身分が違えば尚更
気付かずに来たのなら尚更
その想いは辛く、そして激しい
己にも心に決めたひとが居る
だからこそ放っておけなかった
同じ女だから
仲間だから
幸せになってほしい
身分が違えども
相手があの方なら、それは難しい事ではないと毛倡妓は気付いていたから
だから
少しでも気付けと俯く彼女へ言葉をかけるのであった
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