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数日後
奴良家で異変が起きた
屋敷の妖怪達が次々と体の不調を訴える者が続出したのである
気分が優れないと言うものから始まり
眩暈を起こす者
一日中ぼんやりとしている者
体がだるいと寝込んでしまう者
などなど症状は様々だった
「う〜ん、新種の病気かも知れねえなぁ」
呼ばれて大急ぎで駆けつけてきた専属医師である薬鴆堂の鴆が、顎に手を置き不思議そうに首を傾げていた
鴆が言うには皆体力が急に落ちてしまったようなのだ
その症状は2〜3日もすれば治ってしまうらしく、一番最初にかかった小妖怪達は既に回復していつものように庭で遊んでいた
しかし、妙なのが発見された場所であった
おかしな事に症状を訴えてきた者の殆どがいつも同じ場所で発見されている
庭に咲く枝垂桜の木の根元
その根元に腰掛けるようにして気を失っているのだ
しかも早朝、発見したのは朝食の支度をしようと通りかかった若菜であった
「最初見たとき眠っているのかと思ったわ」
というのがその時の若菜の証言である
彼女の言うように、発見された妖怪は丸一日昏々と眠り続け翌朝起きると体の不調を訴えてくるのだ
その話を聞いた鴆は「桜の木に何かあるのかも知れねぇな」と屋敷の妖怪達に桜の木に近づく事を厳重に注意すると、その足でまた薬鴆堂へと帰っていった
朧車に乗り込んで帰って行った鴆を見送ったリクオは側近達に注意を促すと、ふとその中につららの姿がないことに気がついた
「つららは?」
そう言って首を傾げる主に後ろに控えていた側近達は皆顔を見合す
「さっきまでいたんですがねぇ?」
「どこ行っちゃったんだろ?」
お互い顔を見合わせて辺りを探す側近達
そんな下僕達にリクオは苦笑を零すと「自分で探すから」と言い置いて庭の方へと歩いていってしまった
そんな主の後姿を見送っていた側近の一人がぽつりと
「はぁ、雪女の事になるとわざわざ探しにまで行くっていうのに、本人は気づいて無いって言うんだから……」
「しょうがないでしょ、二人とも鈍いんだから」
仲間の言葉に隣に居た毛倡妓が苦笑も露わにそう答えた
確かに鈍い
二人を見ているとこっちがヤキモキしてしまう程に鈍い
あの京都での戦いの時から主の気持ちは薄々と勘付いていた
どんなに仲間が傷つき倒れても決して倒れなかった主
百鬼の主としてリクオは立派だった
ただ……
もしあの時彼女が傷つき倒れたのでは無かったら?
あの主はあれ程までに俊敏に動けただろうか
あれ程までに怒り狂ったであろうか
必死になって修行に耐えたのであろうか
答えは否だ
彼女だったから
彼女であったから主はあそこまで必死になったのだ
死に物狂いで倒せないと思っていた相手に向かっていけたのだ
女である毛倡妓は主の鈍感な想いに一番に気付いていた
しかも可笑しい事に当の本人はその気持ちにすら気づいていないのである
さらに困った事に、その想いを向けられるべき娘はやっと自分の気持ちに気付いて戸惑っているのだ
泥沼よねぇ
毛倡妓は肩を落としながら溜息を吐くと、主の消えていった庭を恨めしげに見つめるのであった
暫く庭を進んでいると、枝垂桜の側に誰かが佇んでいるのが見えた
その見慣れた白にリクオの足が速まる
「つらら」
リクオは木の幹に手を置いて桜を見上げる彼女に声をかけた
「リクオ様?」
つららは弾かれたように振り向くと目を見開いて声を上げる
「ここは危険だよ」
リクオは言葉の内容とは裏腹に微笑みながら近づいていった
そうしてつららの直ぐ側まで行くと同じように桜を見上げた
「鴆君はこいつのせいじゃないかって言ってたけど……」
「ええ、私もそうは思いません」
リクオの言葉を引き継ぐようにつららが呟くように答えた
「うん、僕もそう思ってたんだ」
「他に何か原因があるのでしょうか?」
桜を見上げたまま呟くつららの顔をリクオは見つめた
そして徐に側にあった手を掴んできた
突然の主の行動に驚いたつららはリクオを振り返る
繋がれた手を見下ろして頬が染まった
「あ、あの……リクオ様」
おろおろと、いつにも増して慌てる彼女に優しい視線を送りながらリクオは口を開いた
「とりあえず、ここは危険だから行こう」
そう言ってつららの手を引いて歩き出してしまった
つららはと言うと、主の手を振り払うことも出来ず引かれるまま後を付いて行くのだった
庭から連れて来られたのはリクオの部屋だった
リクオは自室に入るなり、つららの手を離すと何事も無かったように畳に座った
そしてにっこりと笑顔を向けながら目の前へ座れと催促してきたのだ
その催促につららは頬を染めながら素直に従う
お互い向かい合い見つめ合う
しかしつららは、にこにこと笑顔を向けてくるリクオの視線に耐え切れなくなって下を向いてしまった
「今さらだけど……」
突然リクオがそう言ってきた
その言葉につららはどきりとする
「え?」
何故かどきどきと鳴り始めた心臓の音を聞きながらつららは顔を上げた
「その……」
しかも何故かリクオは言い辛そうに視線を泳がしている
な、何を……
言われるのかと期待半分、否定半分で見つめるつらら
そして
リクオの口から出てきた言葉は
「えと……この前の夜、体調悪かっただろ?もう良くなったのかなって……」
後頭部をぽりぽりと掻きながらどこか恥ずかしげに聞いてくるリクオに、つららは無意識に落胆していた
「あ……え、ええもう大丈夫です」
あはは、と引き攣る笑顔でつららはそう答えた
何考えてるの私ったら
そっか、とほっとしたように頷く主の姿を見ながらつららは胸中で己に叱咤する
変な期待なんかしちゃだめ
そう己の心を叱ると何事も無かったようにリクオに笑顔を向けていた
一方リクオはというと
良かったつらら元気になったみたいだ
目の前で元気に笑顔を向けてくるつららに、ほっと安堵の息をついていた
あの夜からまた余所余所しくなってしまったつららをリクオはずっと気にかけていた
やっとまたいつもの様に側に居てもらおうと思っていたのに、急な邪魔が入ってしまった事に実はリクオは落胆していたのだ
あの見合い相手が来てからというもの
何故か自分の側に近寄らなくなってしまったつらら
それに気がついた時リクオはえもいわれぬ不安を覚えた
もう、以前のように側に居てくれなくなるんじゃないかと
もう、あの笑顔が見れなくなるのではと
何故か寂しくなってしまったのだ
自分にとっては彼女が側に居るのは当たり前で
自分の世話を焼いてくれるのが日常で
それがぷつりと無くなってしまった時
取り残されたような気がしてしまった
気がついたら何度も彼女を探していた
屋敷の中でも
学校の中でも
夢の中でも
寝ても覚めても彼女を探す自分に正直驚いた
自分はこんなにも彼女に依存してしまっているんだと改めて気付かされた
そして焦った
こんな事ではダメだと思い、良い機会だからと彼女と距離を置いてみようと思った
そして押しかけ女房よろしく屋敷にやって来たキミヨの我が侭を、そのまま受け入れたのだ
しかし
結果は悲惨だった
キミヨが自分の世話を甲斐甲斐しくしてくれればする程
比べてしまったのだ
あのつららと
キミヨを
”何か違う”と心のどこかでいつも引っかかっているものがあった
何か物足りないような
何処か寂しいような
見合い相手のキミヨには悪いが
つまらないのだ
彼女が一生懸命つららの仕事をこなせばこなすほど
心が無反応になっていった
キミヨの笑顔が
キミヨの気配りが
ありがたいとは思った
しかしそれだけで、他の側近達に思う感情となんら変わりが無かった
ありがとうと心から感謝できる
しかしそれだけだ
これがもしつららだったなら
そう、もし彼女だったなら
僕は悦んでいたに違いない
他のみんながしてくれた時同様、心からありがたいと思い
そして
他の皆がしてくれた時とは違い、心から嬉しいと思ったであろう
キミヨとつららとの違いはコレだった
キミヨには感謝の思いが浮かぶだけだが
つららにはもっとという想いがさらに浮かぶ
もっともっと自分にかまって欲しいと想ってしまう
普段は見せない子供のような我儘が心に芽生えるのだ
立派な主でなければいけない
総大将としてしっかりしていなければいけない
そんな枷から一瞬だけ外れる心
つららと二人きりの時だけそれは起こる
だからキミヨに身の回りの世話を任せていた時、自分は酷く疲れてしまっていた
その様子につららがいち早く気付いてくれた時、凄く嬉しかった
だからキミヨが側に居たあの時ちょっとだけ、我儘を言ってしまったのだ
そしてその我儘は解放されてしまえばもう二度と引っ込んでくれる様子は無くて
リクオはそこまで考えると、目の前で頬を染めながら視線を逸らしているつららへとまた微笑を送った
「あの人……キミヨさんにはちゃんと言わなきゃね」
真っ直ぐに見下ろし、ぽつりと呟いたリクオの言葉につららは顔を上げると首を傾げてきた
そんな可愛らしい仕草に、くすりと苦笑するとリクオは囁くように言った
「うん、僕の世話はやっぱりつららじゃないと何か調子狂っちゃうよ、だからキミヨさんには悪いけどきちんと謝って帰ってもらうことにするから」
リクオは優しい眼差しでつららを見ながらそう言ってまた笑って見せた
その言葉につららは目を瞠る
「じゃ、じゃあ……」
「こんな僕だけど、またよろしくね」
徐々に瞳を潤ませていくつららにリクオは頷きながら答える
その返事につららは今までの暗い顔が嘘のように、ぱあっと表情を明るくさせると今までで一番元気のある声で返事をするのであった
「はい!」
そして、そんな遣り取りがあったリクオの部屋の前では――
「何てこと……早急に手を打たなきゃ」
ぎりっと唇を噛み締めながら般若のような形相をしたキミヨが事の一部始終を聞いていたのだった
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