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そしてその日の夕方
「あ、キミヨさん見なかった?」
リクオは昼間つららに宣言した通り、キミヨに話をしようと彼女が部屋に来るのを待っていたのだが
しかし今日に限って何故かキミヨは部屋には来なかった
いつもなら気がつくと側に居るというのに変だ
リクオは不思議に思って屋敷中を探してみたのだが何処にも居なかった
途方に暮れていた時、ちょうど側を通りかかった下僕に彼女の居場所を尋ねてみたのだが
しかしリクオの質問に下僕からは予想を超えた返事が返ってきた
「あ、リクオ様こんな所にいたんですか!?大変なんです、すぐ来てください!」
血相を変えてそう言ってきた下僕に、リクオは半ば引きずられるようにして連れて行かれてしまった

「な、なんだコレ?」
そして強引に連れてこられた部屋に入るなり、リクオは素っ頓狂な声を上げた
見ればその大広間には所狭しと布団が並べられていた
しかもその布団には屋敷の妖怪達が寝ているではないか
どうしたのかと、自分をここまで連れてきた下僕に視線をやると
「ついさっき発見されたんです、見つけた時にはみんなもうこんな状態でして」
説明をする下僕もこの状況にどうして良いのかわからず、リクオに縋るような視線を寄越していた
突然の緊急事態にリクオは声を張り上げる
「誰か鴆君を呼んできて!」
「俺ならもうここにいるぜ」
リクオの声に聞き慣れた義兄弟の声が返ってきた
振り返ると鴆が薬箱を抱えて廊下に立っていた
「鴆君これって」
「ああ、俺もさっき聞いて急いで来たんだ……こりゃ尋常じゃねえな」
引き攣り気味にそう告げてくる鴆にリクオも顔色を変えた
そしてはっとする
「つ、つららは?それにキミヨさんも……」
きょろきょろと辺りを見回すが、倒れた者の中にも看護に回る者の中にも二人の姿が無い事にリクオは戦慄した
「ぼ、僕探してくる!後よろしくね!!」
リクオはそう言うと脱兎の如く駆け出した
「お、おいリクオ!!」
駆け出すリクオに鴆の制止の声が聞こえてきたが、そんな事に構っていられなかった
とりあえず倒れた仲間達は鴆に任せ、手近に居た下僕達に二人を探すよう命令する
そしてリクオは屋敷中を探した

走って走って屋敷の隅々まで探し
探して探してとっぷりと日も落ちた頃
ようやく二人を見つけた
そしてその場で絶句する
リクオが見つけたその二人

一人はぐったりとしており
そしてもう一人は、その気絶している相手を抱えるようにして立っていた

リクオが呆然と見つめるその視線の先には――

爛々と光る金色の瞳が暗くなった闇夜に浮かんでいた





夕闇迫る黄昏時
いつもなら夕餉の用意で忙しいこの時間に、つららは一人庭に出ていた
自分の分担の料理の支度も終わり後は配膳だけ
そのほんのちょっと空いた時間に、今は誰もいない庭でこっそりと物思いに耽っていたのだ
いつもなら池にぷかぷか浮いている筈の河童もおいしそうな匂いにつられて今は屋敷の中
誰もいない庭
一人で考えるには打って付けだ
つららは空に瞬き始めた一番星を見上げながら小さな吐息を吐いた
昼間、リクオに言われた事が嘘のようだった
自分を必要としてくれる
側に居ても良いとおっしゃってくれた
己を見下ろす優しい眼差しが脳裏に蘇る
薄っすらと頬を染めて瞼を閉じ、その至福の記憶を味わった

嬉しい

今胸に浮かぶのはその一言のみ
あんなに暗く重かった心が今は羽根のように軽い
高く高く今なら空も飛べそうな気がした
つららは浮かれていた
嬉しいと心が弾んでいた
だからだろうか
直ぐ近くに迫っていた影に気付くのが遅れてしまった

「何をそんなに喜んでいるの?」

背後から鈴の鳴るような可愛らしい声が聞こえてきた
つららはびくりと肩を震わせると、声のした方をゆっくりと振り返る
そこには

白い着物に身を包んだキミヨが立っていた

突然現れ声をかけてきた相手につららは目を瞠る
そして
「なんで?」
思わず聞き返していた
そんなつららにキミヨは可笑しそうに笑い出す
「ふふ、たまたま見かけたので声をかけたのよ、おかしい?」
そう言ってつららを見下ろしながらまた笑った
つららは嘘だと思った
いつもなら彼女はこんな所で油を売っているはずが無い
いつもなら
そう、いつもならリクオの側に居るはずだ
夕餉の準備を終えると一番に彼の元へ行っているはずの彼女
そして、そこでリクオから話を聞いているはずなのだ

『これ以上はお付き合いできません』と

驚くつららの顔を見て、キミヨはまたくすりと笑った
「あら、期待外れだったかしら?私がリクオ様の所に行っていなくて」
その言葉につららの瞳は更に見開く
図星をつかれたと表情に出すつららをキミヨは可笑しそうに眺める
「貴女のせいよ」
微笑んでいた顔が一変
怒りの形相でつららを見下ろしてきた
一言冷たく言い切った女はゆっくりとつららへ近づいていく

「組の中でも忘れ去られた一族」

「こうでもしなけりゃ私達は破滅なのよ」

「なのに、なのに……貴女といったら」

震える女へとゆっくりと歩み寄りながらキミヨは口元を歪ませた
そして自嘲的に笑みの形を作る

「自分の事ばかり」

「側近頭なんて威張っているけど、その実自分が可愛くて仕方ないんでしょう?」

「主人に尻尾を振って、可愛がってもらえて満足?」

キミヨはつららの間近まで迫ると、その白い頬をゆっくりと撫でた
細く長い美しい指が何度も頬を撫でていく
その繊細で優しい指の感触に、つららは知らずぞくりと肌を粟立たせた
そして――

「ただの下僕風情のくせに!!」

優しい声音から一変
地の底を這うような低い声で叫んだキミヨは、いきなりつららの首を絞めてきた

ギリギリと首筋に食い込む指
視界には鬼の形相をした女の顔
その瞳は黒から姿を変え今や爛々と光っていた

――金の瞳

妖怪特有のその色彩に、つららは首を絞められながら「彼女も妖怪なんだわ」とぼんやりと思っていた
「く、は……」
苦しい
息の出来なくなったつららの口は酸素を求めて開く
「まるで陸に上げられた鯉ね、良い様だわ」
くくくく、とキミヨの嘲笑が聴こえてくる
「死ぬついでに私の秘密を教えてあげましょうか?」
そう言ってキミヨはつららの耳元へ唇を寄せて囁いてきた
「私の先祖は縁障女と黒仏から生まれた子なのよ」
キミヨの言葉につららは目を瞠った
「ふふ、面白いでしょう?人を破滅させる妖怪と人を幸せにする妖怪……面白い組み合わせだと思わない?しかもねえ、そんな親から生まれた子はどんなだと思う?」
くすくすと可笑しそうにキミヨは続ける
「両親の妖力が絡み合って、なんと異性に力を与える妖力を授かったのよ……そして、その子孫が私、私の名前は”鬼魅与”相手を魅了し力を与えるのが私の力、ふふお似合いだと思わない?」
あの人と
そう言ってキミヨは勝ち誇ったような顔をした
「ただの側近の、大した能力も無い女と、相手を成功へと導く女……どちらがあの方に相応しいか言って御覧なさい!」
キミヨはそう言うとつららの首に回した指に力を込めた
「く……う」
「そうね、このまま殺したんじゃ勿体無いわ。あなたの力もあの方の為にちゃ〜んと貰っておいて上げるわ、嬉しいでしょう?」
キミヨの言葉に、つららは締め上げられる喉の奥で「まさか?」と叫んだ
その声が聞こえたのかキミヨは瞼を弧の字に歪ませると、にたりと笑ってきた
「ようやく気付いたの?ふふ、この屋敷の妖怪達も主の為に力を取られたのなら本望でしょう?」
一連の事件の犯人は彼女だった
キミヨは己の能力を自慢げに話してきた
美しい花に誘われて捕まった蝶の如く
ふらふらと近づいて来た獲物の精気を吸い取り、その吸い取った精気を相手へと与えるというのだ
過去、キミヨの一族によって強大な力を得た者は数多くいたと言う
「でもね、私達の力はそれだけ……戦う力も身を守る力も無い私達は、そうやって時代の権力者に縋ってこれまで生き長らえてきたのよ」

たった一人では生きられないの可哀想だと思わない?

キミヨは哀しそうな声でそう呟くと、つららの頬へと口付けた
ちろりと赤い舌で頬を舐める
その感触につららはまたしても、ぞくりと肌を粟立たせた
青褪めるつららの顔を陶然とした表情で見下ろす
そして

ゆっくりとその美しい顔を下ろしていった

目を瞠るつらら
びくんと一瞬体が強張り、その直ぐ後に腕がだらりと垂れ下がった

閉じられた瞼
仰け反る体

完全に気を失ったつららの体をキミヨが微笑んだまま支える
「さようなら」
一言呟いてまた顔を近づけていった
その時――

がさり

暗く濃い闇に飲み込まれたこの場所に誰かが近づいて来る気配
獲物か?と見上げたキミヨはそこで
固まった



「なに……してるの?」
草を踏みしだいて近づいてくる人物にキミヨの瞳は驚きに見開かれていく
「何故……ここに?」
震える唇で呟いた言葉はか細く弱々しい
キミヨの呟きに応えるようにリクオは言葉を続けた
「屋敷の皆が倒れて、それで二人が心配で……つらら!」
信じられないといった表情で一歩一歩近づいて来ていたリクオは、キミヨの腕の中の人物を見るや声を上げて立ち止まった
驚愕
といった表情でつららとキミヨの顔を交互に見遣る
「まさかキミヨさん……あなたが」
呟かれたその言葉にキミヨはぎりっと歯軋りした
そして青褪めた顔のままふっと笑みを作ると
「リクオさん、あなたの為にしたことよ。あなたの為、あなたの為なのよ……ただの下僕でしょう?あなたの為になるんだったらみんな本望よ」
そう言って縋るような視線を送る
リクオは立ち止まったまま俯いていた
前髪が影となってその表情は良く見えない
キミヨは額に冷や汗を浮かべながら尚も続けた
「わ、私の能力であなたは今まで以上の力を得られるのよ!この娘だって……」

「黙れ」

リクオの口から力強い静止の声が響いた
びくり、とキミヨの体が強張る
ざわり、とリクオの周りに闇が広がる
その闇に溶け込むようにリクオの輪郭がぼやけていく
その次の瞬間

「俺の側近に手を出す奴は、たとえ見合い相手でも容赦はしないぜ」

凛と透き通る威厳のある低い声が直ぐ近くで響いてきた
銀色の刀身が直ぐ近くで鈍く光っている
一瞬の間にキミヨの間合いへと近づいたリクオは刀身を首筋へと突きつけていた
女相手にここまでやるリクオは珍しい
たらりと流れる冷や汗を頬に感じながら彼の本気を悟る
キミヨは震えながらゆっくりと手を離した
崩れ落ちる体をリクオは片腕で抱きかかえると、キミヨの首筋から刃を遠ざける
しかし鞘には収めず抜き身の刀身を手に持ったままリクオは告げた
「去れ」と
有無を言わせぬ力強い声と視線
その覇気に射抜かれて、キミヨはその場に崩れ落ちた

これが百鬼の主

腰の抜けたキミヨは畏れる様な視線をリクオに向ける
そして耐え切れなくなって視線を逸らした

怖い

これが……これが妖怪を束ねる者の畏

キミヨは悟った
自分では無理だと
どんなに力を吸い取ろうと
どんなに力を与えようと
この人にとっては……

キミヨは俯き唇を噛んだ
そしてよろよろと立ち上がるとリクオの顔を一度だけ見つめ、そして去って行った

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