「おはよう、昨日は良く眠れたか?」
爽やかな朝の庭で、これまた爽やかに挨拶をしてきたのは、昨日会ったばかりの姫君であった
「あ、おはようございます」
庭の池の鯉をぼんやりと眺めていたつららは、慌てて振り返り深々と頭を下げた
その目元にはうっすらとくまが出来ていた
昨夜はあの後、何とか部屋をもう一つ借りられたつららは、何故かその後寝付けずに寝不足のまま一夜を過ごしてしまった
しかも奴良家にいるわけではないので、朝起きてもすることが無くふらふらと庭を散歩していたところだった
「そんなにかしこまらんでも良い良い」
姫君はかしこまって言うつららに、可笑しそうにころころと笑いながら手をひらひらさせて言った
「妾のことは六花と呼んでいいのじゃぞ」
「で、でも・・・・」
「六花と呼んで欲しいのじゃ」
「わかりました・・・では六花様」
「様なぞいらぬ、呼び捨てでよい!」
「は、はい!で、では六花」
「なんじゃ?」
無理やりつららに自分の名を呼ばせるように命じた六花は嬉しそうに返事をした
「あ、いえ・・・その・・・・」
この後なんと話を切り出せば良いのかわからないつららは、困ったように口元を隠してオロオロしていた
そんなつららを目を細めて見ていた六花だったが、思いついたように徐に口を開いた
「ふふふ、そう言えばそなたの名を聞いておらなんだ。名はなんと言うのじゃ?」
「あ、はい・・・つらら、と申します」
「ほお、つららか。妾と似ておるな」
六花はつららの名を聞くと嬉しそうに笑って言った
「え?似てるって?」
つららは意味が判らないとばかりに首を傾げて聞き返した
氷柱と六花、字も違えば字数も違う、一体何が一緒だというのだろう?
不思議そうに首を傾げるつららを見ながら六花は面白そうにくすくすと笑うと、その意味を説明し始めた
「つららも六花も冬に見られる物なのじゃ、つららは氷の柱、六花は雪の結晶じゃ」
「ああ、そういう事ですか」
つららは六花の言葉にやっと得心がいったと頷いた
六花とは雪の異称のことだ、雪の結晶は六角形であることから故人はそれを花に見立てて六花と呼んでいたらしい
「素敵なお名前ですね」
「そうか?皆は冷たい名じゃと笑うがの・・・・」
「そんな・・・」
六花の皮肉げな物言いに、つららは眉根を下げて何かを言おうと口を開いた
丁度その時、少し離れた場所から六花を呼ぶ声が聞こえてきた
「姫様、こんな所においででしたか、もう朝餉の用意ができておりますぞ」
向こうの屋敷から走ってきたのは、あの家臣であった
その後からはリクオも付いて来ていた
「わかったわかった、そう急くとも今参るぞ陸之助」
陸之助と呼ばれた家臣は六花の元へ辿り着くと、キッと眉を跳ね上げて六花を見下ろした
「姫様、お一人で出歩いてはなりませんとあれ程申したではありませぬか!」
危のうございます、と心底心配したというような顔で陸之助は言ってきた
「まったく、お前は心配性じゃのう・・・」
六花はやれやれという風に肩を竦めて見せた
「何を言います、何かあってからでは遅いのですぞ!」
「ふん、妾はあと数日もすればここから居なくなるのじゃ、それなら何かあった方がまだ良い・・・・」
六花はそう言うとぷいっと横を向いてしまった
六花の横顔は、心なしか泣いているように見えた
「?」
二人のやり取りにつららは首を傾げた
側に来ていたリクオも何事かと二人を伺っている
「何を申します、姫君は私がお守りします。未来永劫守ると誓ったではありませんか!?」
その言葉につららは息を飲んだ
尚も二人は言い合い続ける
「ふん、どうするというのじゃ?相手は物の怪ぞ?お前に妾を守れるというのか?」
「そ、それはもちろん命を掛けてお守りする所存でございます」
「馬鹿なことを・・・・」
陸之助の言葉に六花は堪えきれないと言わんばかりに唇を噛んで俯いてしまった
「姫様・・・」
「もうよい!朝餉にするぞ!!」
陸之助が何かを言おうと口を開きかけると、六花は遮る様にそう言うとさっさとその場を去って行ってしまった
一人屋敷へと戻る六花の後姿を陸之助は寂しそうに見つめていた
「なあ」
そんな場の沈黙を破ったのは、一部始終を見ていたリクオだった
「さっき物の怪って言ってたけど、姫さん狙われてるのか?」
陸之助はリクオの指摘に思わず振り返った
そして、鋭い眼光でリクオを睨みつける
「そうだ、六花様は悪しき物の怪に狙われているのだ」
そう言いながら陸之助は苦しそうに唇を噛んで俯いてしまった
そんな陸之助の様子を静かに見ていたリクオは、静かな声で陸之助に言った
「なあ、その話詳しく聞かせてくれねえか?」
「で、その鬼が次の新月の時に姫さんを嫁に寄越せと言って来たんだな?」
「ああ、そうだ」
朝餉も終わり、リクオとつららは人通りの少ない部屋で先ほどの話を陸之助に説明してもらっていた
陸之助の話はこうだった――
ある日、空が真っ黒い雲で覆われたかと思うと突然屋敷の空に巨大な鬼が現れたという
その鬼は、次々と家臣たちを喰い殺すと、この屋敷の主君に姫を嫁に寄越せと言ってきたそうだ
しかも鬼は姫を寄越さねば、この家のものはおろか、城下に住む人々も食い殺すと脅してきた
殿様は悩みに悩んだ末、とうとう姫を差し出すことを決心した
そして、姫が鬼の元へ嫁ぐ日は3日後の新月の日だというのだ
「姫様が、姫様が不憫で不憫で・・・まだ15歳の若さで鬼の所に行くなど・・・」
陸之助は口元に手を当てると悔しそうに嘆いた
そこまで聞いていたリクオは、ゆっくりと目を開けると陸之助に向かって口を開いた
が、そのリクオの言葉は口から出ることは無かった
何故なら、珍しくつららが身を乗り出して陸之助の手をがしっと握り締めたからだ
呆気にとられるリクオを他所に、真剣な面持ちでつららは陸之助を見つめると、とんでもない事を口走った
「姫様は私達が守ります!陸之助様、諦めてはなりませんよ!」
その、いつにないつららの迫力に、リクオはもちろん手を握り締められている陸之助も目をまん丸に見開いてぽかんとつららを見ていた
「お、おい・・・」
リクオははっと我に返ると、側近の暴走を止めようとつららの肩に手を置いた
しかし、何故か肩に置いたリクオの手をつららはがしりと掴むと
「みんなでお姫様を守りましょう!!」
お〜〜!と勇ましく掛け声を上げながら、リクオと陸之助の手を両手で掲げ鼻息も荒く叫んだ
「お、おお〜」
何故だかリクオはつららの剣幕に気圧されてしまい、何も言えずされるがままの状態で小さく掛け声を上げていた
「おい、大丈夫か?」
リクオは、隣で駕篭者に運ばれる豪華な装飾をされた大名駕篭(かご)に向かって話しかけた
「はい、大丈夫です!」
すると、駕篭の中から元気な声が返ってきた
その声にリクオは溜息を零す
「お前な〜、これから鬼の所に行くんだぞ?そんなうきうきと返事する奴があるか?」
「あ、すみません。でも、リクオ様が側にいると思うと全然怖くなくて・・・」
「たく・・・・」
嬉しい言葉ではあったのだが、これからの事を考えるとリクオは複雑な気分になりやれやれと首を振った
あの後、つららは直接殿様の元へ行き、「姫様を守る」と宣言したのだった
その話を聞いた殿様は、か弱そうなつららの言葉に躊躇していたが、藁にもすがる思いであったのか暫くの間考えていたが最後にはつららの申し出を承諾してくれた
しかも、つららはあろう事か鬼の元に行くのは姫ではなく自分がやると言って来たのだ
その発言にさすがのリクオも驚き、慌てて止めに入ったのだが
時既に遅く、これ幸いと大喜びした殿様は、つららの手を取り「お願いします」と涙を流しながら頭を下げていた
しかも、鬼にばれぬ方が良いと言う殿様の助言を真に受け、つららは姫が着る予定だった衣装を身に付け意気揚々と駕篭に乗り込んでしまったのだ
平たく言えば身代わりである
まったくお人良しな・・・と相変わらずな側近に、リクオは溜息を零さずにはいられなかった
「本当にいいのかよ?これじゃあ身代わりだぞ」
「うう、すみません。リクオ様にもご迷惑をおかけしてしまって・・・・」
まったく的外れな事で謝ってくるつららに、リクオの顔が険しくなる
「そうじゃなくて、お前わかってんのか?嫁に行くんだぞ、運が悪けりゃ喰われるかもしれねえんだぞ?しかも言葉通りなら・・・・」
そこまで言ってリクオは更に不機嫌な顔になった
「リクオ様?」
突然黙ってしまったリクオに、つららは訝しげに声を掛ける
「いや、なんでもねえ。それよりとっととその鬼とやらを退治して元の場所に帰るぞ!」
「はい!」
リクオの言葉につららは嬉しそうに頷いた
やれやれ、こいつは・・・・
リクオは言いかけてやめた言葉を思い出しながら溜息を吐く
本当に言葉通りなら、お前は鬼の嫁になりに行くんだぞ、そうなったらお前は・・・
そこまで考えてリクオはぶるりと頭を振った
やめやめ!んなくだらねえ事考えてる場合じゃねえ!
リクオは気持ちを切り替えると、ちらりと駕篭の中の側近を盗み見た
その駕篭の中のつららは――
真っ白い婚礼衣装に身を包み、真剣な面持ちで前を見据えていた
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