「それではリクオ様、申し訳ありませんが今日は先に帰らせて頂きます」
「うん、気をつけて帰るんだよ」
「はい」
リクオの言葉に嬉しそうに頷いたつららは、くるりと踵を返すと屋上のドアの向こうへと消えて行った
今は昼休み
つらら特製のお弁当を持ったまま、リクオは先程彼女が出て行った屋上のドアを見つめていた
「さ、リクオ様、早くしないと昼休みが終わってしまいますよ」
つららと交代した首無がリクオにそう言いながら催促してきた
「うん」
リクオは首無の言葉に頷くと、先程受け取ったばかりの冷たい弁当を広げ始めた

つらら大丈夫かな?

リクオは先に帰った側近の事を思い出しながら特製氷付けハンバーグを口へと運ぶ
つららは今日行われる予定の定例会議の準備の為、一足先に本家へと帰ったのだった

日はまだ高いし黒羽丸達もいるから大丈夫とは思うけど・・・・

先日遭遇した口裂け女の一件以来
つららには内緒にしているが、黒羽丸に頼んでつららの警護をしてもらっていた
色々調べた結果、やはりあの口裂け女が狙うのは女性だけ
しかも長い美しい髪を持つ少女ばかりが狙われている
相変わらず被害内容は曖昧でよくわからなかったのだが――被害者の女の子達が揃って事情聴取を拒否したと言う噂だ
しかし被害者の特徴がわかった今、一番狙われやすいつららを放って置くわけにはいかなかった

しかも一度狙われてるし・・・・

更に付け足せば未遂で終わっている
今までの事件を見ても、狙われた者は必ず犯人の餌食になっていた
だとすれば、またつららを狙ってくる可能性は大きい
そんな事になれば他の被害者達同様つららも奴の餌食に・・・・

「そんな事させない!」

リクオは凍った弁当を口の中にかき込むと声高々に叫んだ
「「リ、リクオ様?」」
突然のリクオの雄叫びに、その場に居た側近達は目を丸くして主を見つめていた





「はぁ、遅くなっちゃったわ」
ぱたぱたと家路へ急ぐのは着慣れた和服姿に扮したつららだった
今日の定例会議の参加者へ出す料理の材料が足りず慌てて買出しへと向かった帰りだった
今のつららは人間の出入りするスーパーへ行ったため人の姿をしていた――といっても妖気を抑えて瞳の色を変えているだけなのだが
人通りの少ない裏通りを、買い物袋を抱えて走っていく
ふと、角を曲がった所で全身が痺れるような感覚に足を止めた

これは!

この感覚には覚えがあった
そう
出入りの時や奇襲を受けた時など

敵を察知した時と同じ感覚

つららはその場から飛退くと身構えた
辺りは既に薄暗くなりかけていた
つう・・・と頬を冷たい汗が伝う

いる!すぐ近くに!!

つららが辺りを見回そうとした瞬間



「綺麗な髪」



あの声がすぐ近くで聞こえてきた





「雪女は何処だ?」
空の警護から戻った黒羽丸が本家に残っていた弟であるトサカ丸につららの居場所を聞いてきた
「雪女なら台所に居るはずだろ?」
「いや、先程覗いたらいなかったのだ」
「え?」
その途端、二人の額から冷や汗が流れた
「あら二人ともご苦労様」
不安に息を詰まらせていた鴉天狗の息子達は、突然背後からかけられた声に思わず振り向いた
「若菜様」
「奥様」
にこにこにこにこ
屈託無い笑顔で二人を見上げていたのはリクオの母――若菜だった
二人の鴉天狗たちは顔を見合わせると声を揃えて聞いてきた
「雪女を知りませんか?」
と・・・・



「はあ、はあ・・・」
つららは走っていた
走って走って「本家に着けば」その事ばかりを考えて必死で走って逃げていた
狭い裏通りを走り抜けるつららの背後からは
あの・・・

口裂け女が追って来ていた

バキバキバキバキーーーーーーー!!

道を塞ぐ邪魔な障害物を薙ぎ倒し吹き飛ばしながら
長い長い髪の毛がうねうねとつららの体を攫おうと何度も伸びてくる
「あっ!」
裏通りを抜けて次の角を曲がれば本家に着く
そう安堵した瞬間足元を攫われた

ガシャーーーン

派手に倒れる体
道沿いに置かれていたポリバケツやダンボールなどにぶつかりながら、つららの体は数メートル先に滑っていった
「う・・・」
体中をしこたま打ちつけ、擦り傷だらけになった体を庇いながらつららは何とか立ち上がろうとする
途端、右足首に激痛が走った
「痛・・・」
痛みを訴える足首を庇いながら何とか立ち上がる
必死に立ち上がろうとするつららの姿を、恍惚とした表情で見ていた口裂け女は
勝ち誇ったように、ニタリと笑った
「大人しくしていなさい」
優しい声音で囁きながら一歩、また一歩とつららに近づいていく
じりじりと間合いを取りながらつららが後退る
「逃がしはしない」
口裂け女がそう言った瞬間
しゅるりと空を切る音を立て、つらら目がけて女の髪が襲ってきた

ザシュッ

宙に舞う鮮血
苦しそうに歪む顔

「う・・・」



うおおおおおおおおおおおっ!!



叫び声を上げたのはつららではなく

口裂け女の方だった

肩から突き出た刃先
見覚えのあるそれに、つららは目を瞠る

「俺の側近に何してやがる?」

聞き覚えのあるその声に、つららはへなへなとその場に崩れた
「リクオ様」
「く・・・またお前か!」
口裂け女は忌々しげにそう言うと、背後でドスを突き立てる銀髪の男に向かって髪を振り上げた
軽い身のこなしで女の髪を避けたリクオは、長い銀髪をたなびかせながら、ふわりとつららの前に着地する
「遅くなってすまねぇ」
「リクオ様・・・」
つららはふるふると首を振ると眉根を寄せて主を見上げた
それをちらりと見て頷くと、抜き身の弥々切丸でつららの体を庇うように構え目の前の女を睨み据えた
「「リクオ様!!」」
口裂け女とリクオが対峙したその時、空からバサバサと鴉天狗たちが舞い降りてきた
「く・・・・」
口裂け女は歯軋りすると長い髪を四方八方に振り乱した
「なんだ?」
降り立とうとしていた黒羽丸たちは突然の攻撃に慌てて身構える
まるで竜巻のように女を中心に暴れ回っていた髪は次の瞬間、暗幕のようにリクオ達の視界を遮ったかと思うとあっという間にその場から消えた
「待て!」
リクオが叫んだ時には、辺りを覆っていた髪の毛も女も跡形も無く消えていた
「くそ、また逃がした」
リクオは忌々しそうに舌打ちする
リクオが見上げた夜空には、あの女の口と同じ形の月が昇っていた





綺麗

きれい

キレイ

私は綺麗なモノが好き
そう
キレイナモノ
特に一番好きなのは

キレイナカミノケ



くくく

くふふ

女はゆっくりとその絹糸を指先で何度も梳いていた
「綺麗な髪」
うっとりとその黒髪に口付ける
耳まで裂けた口が、にやりと歪んだ
そして十分にその髪を堪能した女は
次にその少女の顔へと視線を向けた

「綺麗な顔」



にたり



女は大きな口を開け長い舌を出して己の口から垂れた涎を舐める

「でも・・・」

この娘じゃ足らない

女は呟くと今まで弄んでいた少女を放った
どんと鈍い音が響き、ずるずると壁を滑っていく音が続く
少女の体は力無く床へと滑り落ち、ぴくりとも動かなかった

足りない 足りない
この女達では足りない

足元に転がった少女達を見下ろす
床に倒れているのは先程の少女だけではなく何十人もの少女の体が転がっていた

欲しい 欲しい

あの髪

あの顔

女の脳裏に浮かぶのは美しいあの娘
人間離れしたあの少女
「やっとやっと」



ミツケタ



女はにたり、と耳まで裂けた口を弧の字に歪ませる
べろりと垂れた涎を長い舌で掬い取りながらくつくつと楽しそうに笑っていた





「あの・・・リクオ様」
夕焼け色に染まる放課後の教室
及川つららは、おずおずとリクオに声をかけてきた
今は殆どの生徒が帰り人の数もまばらだった
「どうしたのつらら?早く行かないと遅れちゃうよ」
日課である清十字探偵団の集まりに参加するべくリクオが催促すると
「その・・・少し遅れて行きます」
つららは申し訳なさそうに眉根を寄せて言ってきた
「どうしたの?」
「そ、その・・・」
リクオが聞き返すと、つららは言い辛そうに口篭る
リクオは不思議そうに首を傾げていたが、ふと視線を落として「なるほど」と納得した
つららが後ろ手で隠すように持っている白い紙
リクオは「またか」と溜息を吐いた
「わかったよ、じゃあ先に行ってるから」
リクオはそう言うと教室を出て行った
「ふぅ・・・」
つららはリクオが出て行ったドアを暫くの間見ていたが、小さく息を吐くと手の中に隠していた白い一通の封筒を見下ろした
「面倒だけど行って来るしかないわね」
時々貰うラブレター
今回はいつの間にかカバンの中に紛れ込んでいたそれに、つららは重いため息を吐きながら教室を後にした



夕焼け色に染まった体育館の裏
つららはラブレターに指定された場所で差出人が来るのを待っていた

相手が来たらすぐに断ろう

今回は早く済めばいいな、と心の中で呟きながら体育館の壁に凭れて相手を待った
学園五本指に入るつららは時々こうやって呼び出されることが多かった
大体は差出人不明のものが多く、いつの間にかカバンの中に入っていたり下駄箱の中に入っている事が多い
会うまで相手の顔が分らないので、すぐ断りに行くこともできず、こうやって毎回指定の時間に指定の場所で待つ事しかできなかった
自分にはリクオの護衛という大切な任務があるので、できるだけこういった無駄な時間は作りたくないのだが

「無視するわけにはいかないのよね・・・」

つららは手の中の封筒を見下ろしながら小さく溜息を吐いた
以前、呼び出しを無視したばっかりに「なんで来てくれなかったんだ」と、もの凄い剣幕で乗り込んで来られた事があった
その時は、側に居たリクオにとばっちりが向かってしまい迷惑をかけてしまった
それ以来、つららは面倒でも相手に会ってきちんと断るようにする事にした
しかし・・・・
「ほんと人間ってよくわからない」
ラブレターを寄越す相手の中には断ったにも関わらず懲りずに何度もアタックしてくる者もいた
今回もその類だろうと、会ったら瞬殺で断ろうと胸中で呟きながら溜息を吐いていた



一方その頃
「つらら、どこ行っちゃったんだろう?」
リクオはあれから清十字団の集まりに顔を出したのだが、つららの事が気になってこっそりと抜け出して来てしまっていた
きょろきょろと辺りを見回しながらつららの姿を探す
それらしい場所は探し尽くした
図書室
理科室
視聴覚室
屋上
階段の踊り場
校庭
しかしどこを探してもつららはいなかった
残るは・・・・

「あそこか?」
リクオはメガネを指先で直しながら脳裏に浮かんだ場所に溜息を吐く

あそこなら殆ど人は来ないな

今回もまたあの用事なのだろうとリクオは再度溜息を零した
彼女の挙動不審な様子と隠すように手に持っていた封筒を見れば一目瞭然
またあの側近はラブレターを貰ったのだ
しかも律儀に相手の指定した場所にわざわざ出向いている

「無視すればいいのに」

リクオはジト目のまま、ぼそりと呟いた
会いに行けばそれだけ相手を喜ばせ期待させてしまうという事をなぜ側近は分らないのか
しかも期待させた分、振った時の相手の怒りは倍増するのだ
その後の事を想像してリクオは身震いした
この前の奴も、前の前の奴も未だにつららの事を諦めてはいない
隙あらば、再度アタックしようとしている者もいる
これでまた悪い虫が増えるなぁ
と、リクオは面白くないと口を尖らせた
しかし、だからといってどうする事もできない
「こればっかりは難しい問題だよね」
リクオは眉根を寄せながら呟いた

恋愛は自由だ
誰に誰が告白しようと
誰が誰に振られようと

しかし、こう頻繁に側近に手を出されては堪ったものではなかった
リクオとしてはつららが呼び出される度に、おっちょこちょいの彼女がドジを踏むんじゃないかと冷や冷やしていた
うっかり相手を凍らせでもしたら「ごめんね」では済まされない

良くて「化けもの」と彼女が罵られるか
悪くて物言わぬ帰らぬ人へと相手がなるか

どちらも円満な学園生活を送る上で見逃せないと思った
そう、これは相手を守るためだ
断じて自分の側近に手を出す不届き者達の邪魔をするわけではない
これは人助けなんだ!、とリクオは一人頷くとまたつららの姿を探して辺りをふらつくのであった

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