夕闇迫る黄昏時
いつもなら夕餉の用意で忙しいこの時間に、つららは一人庭に出ていた
自分の分担の料理の支度も終わり後は配膳だけ
そのほんのちょっと空いた時間に、今は誰もいない庭でこっそりと物思いに耽っていたのだ
いつもなら池にぷかぷか浮いている筈の河童もおいしそうな匂いにつられて今は屋敷の中
誰もいない庭
一人で考えるには打って付けだ
つららは空に瞬き始めた一番星を見上げながら小さな吐息を吐いた
昼間、リクオに言われた事が嘘のようだった
自分を必要としてくれる
側に居ても良いとおっしゃってくれた
己を見下ろす優しい眼差しが脳裏に蘇る
薄っすらと頬を染めて瞼を閉じ、その至福の記憶を味わった
嬉しい
今胸に浮かぶのはその一言のみ
あんなに暗く重かった心が今は羽根のように軽い
高く高く今なら空も飛べそうな気がした
つららは浮かれていた
嬉しいと心が弾んでいた
だからだろうか
直ぐ近くに迫っていた影に気付くのが遅れてしまった
「何をそんなに喜んでいるの?」
背後から鈴の鳴るような可愛らしい声が聞こえてきた
つららはびくりと肩を震わせると、声のした方をゆっくりと振り返る
そこには
白い着物に身を包んだキミヨが立っていた
突然現れ声をかけてきた相手につららは目を瞠る
そして
「なんで?」
思わず聞き返していた
そんなつららにキミヨは可笑しそうに笑い出す
「ふふ、たまたま見かけたので声をかけたのよ、おかしい?」
そう言ってつららを見下ろしながらまた笑った
つららは嘘だと思った
いつもなら彼女はこんな所で油を売っているはずが無い
いつもなら
そう、いつもならリクオの側に居るはずだ
夕餉の準備を終えると一番に彼の元へ行っているはずの彼女
そして、そこでリクオから話を聞いているはずなのだ
『これ以上はお付き合いできません』と
驚くつららの顔を見て、キミヨはまたくすりと笑った
「あら、期待外れだったかしら?私がリクオ様の所に行っていなくて」
その言葉につららの瞳は更に見開く
図星をつかれたと表情に出すつららをキミヨは可笑しそうに眺める
「貴女のせいよ」
微笑んでいた顔が一変
怒りの形相でつららを見下ろしてきた
一言冷たく言い切った女はゆっくりとつららへ近づいていく
「組の中でも忘れ去られた一族」
「こうでもしなけりゃ私達は破滅なのよ」
「なのに、なのに……貴女といったら」
震える女へとゆっくりと歩み寄りながらキミヨは口元を歪ませた
そして自嘲的に笑みの形を作る
「自分の事ばかり」
「側近頭なんて威張っているけど、その実自分が可愛くて仕方ないんでしょう?」
「主人に尻尾を振って、可愛がってもらえて満足?」
キミヨはつららの間近まで迫ると、その白い頬をゆっくりと撫でた
細く長い美しい指が何度も頬を撫でていく
その繊細で優しい指の感触に、つららは知らずぞくりと肌を粟立たせた
そして――
「ただの下僕風情のくせに!!」
優しい声音から一変
地の底を這うような低い声で叫んだキミヨは、いきなりつららの首を絞めてきた
ギリギリと首筋に食い込む指
視界には鬼の形相をした女の顔
その瞳は黒から姿を変え今や爛々と光っていた
――金の瞳
妖怪特有のその色彩に、つららは首を絞められながら「彼女も妖怪なんだわ」とぼんやりと思っていた
「く、は……」
苦しい
息の出来なくなったつららの口は酸素を求めて開く
「まるで陸に上げられた鯉ね、良い様だわ」
くくくく、とキミヨの嘲笑が聴こえてくる
「死ぬついでに私の秘密を教えてあげましょうか?」
そう言ってキミヨはつららの耳元へ唇を寄せて囁いてきた
「私の先祖は縁障女と黒仏から生まれた子なのよ」
キミヨの言葉につららは目を瞠った
「ふふ、面白いでしょう?人を破滅させる妖怪と人を幸せにする妖怪……面白い組み合わせだと思わない?しかもねえ、そんな親から生まれた子はどんなだと思う?」
くすくすと可笑しそうにキミヨは続ける
「両親の妖力が絡み合って、なんと異性に力を与える妖力を授かったのよ……そして、その子孫が私、私の名前は”鬼魅与”相手を魅了し力を与えるのが私の力、ふふお似合いだと思わない?」
あの人と
そう言ってキミヨは勝ち誇ったような顔をした
「ただの側近の、大した能力も無い女と、相手を成功へと導く女……どちらがあの方に相応しいか言って御覧なさい!」
キミヨはそう言うとつららの首に回した指に力を込めた
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