月夜にぼんやりと浮かぶ枝垂桜を肴に縁側で一杯
美しい女を侍らせて呑む酒はまた格別
上機嫌でほろ酔い気分のリクオは至福だった
「つららも付き合えよ」
そう言って己の杯を隣の女へと差し出した
「あ、はい」
つららは差し出された杯を受け取り、リクオの酌でその酒を一気に呷った
「ふぅ……」
慣れない酒の味に喉の奥が焼け付く
強い度数にくらりと一瞬眩暈を覚えたが、主の目の前だからと堪えた
甘い吐息を吐き出すつららを、リクオは目を細めて見つめている
その視線に、つららは頬を染めキョトキョトと視線を彷徨わせながら「失礼しました」と口元を袖で隠して杯を返した
そして同じようにリクオに酒を勧めると、つららよりも早いペースで酒を飲み干すのだった
あれからリクオは、何だかんだと理由をつけて、つららをなかなか離さなかった
そして今までのように自分の世話をさせ、夕餉の後の晩酌まで付き合わせていた
つららもつららで、久しぶりにリクオの世話ができると内心で喜び、遠くから感じる視線を無視して酌をしていた
先ほどからひしひしと伝わってくる視線
突き刺さるようなその視線を一身に受けながら
つららはふと、先程の遣り取りを思い出していた
「話をするのは初めてかしら?」
夕餉の準備で忙しい台所で、たすき掛けをしてお膳を運んでいたつららに声をかける者があった
驚いて振り返ると、いつの間に来たのかキミヨがそこに立っていた
キミヨはつららに向かって、にっこりと人当たりの良さそうな笑顔を向けている
そのあまりにも綺麗な微笑みに、つららは一瞬見惚れた
しかし直ぐに表情を戻すと、訝しげにキミヨを見上げた
彼女はにこにこと笑っていた
美しい笑顔
誰が見ても見惚れる笑顔
菩薩の如きその微笑みは
しかし
目が笑っていなかった
つららを見下ろすその瞳の奥には
怒り
憎悪にも似た怒りの念がつららを突き刺す
本当にほとんど人間なのかと疑ってしまうような、その畏にも似た念に不覚にもつららの身が竦んでしまった
「貴女、リクオ様の側近頭なんですってね」
キミヨはその笑顔のままつららに話しかけてきた
その声にぴくりと肩が小さく跳ねる
「そ、そうですけど」
それが何か?と、つららは平静を装って聞き返した
「いえ、別に深い意味はないんですのよ」
その言葉にキミヨは軽く首を振って答えてきた
「ただ……」
「?」
そこで一旦言葉を切る
そんなキミヨを訝しく思いながらつららは続きを待った
「ただ……私とリクオさんが結婚したら、用は無い役目かと思いまして」
衝撃を受けた
頭を鈍器で強く打たれたみたいだった
用は無い 用は無い 用は無い 用は無い
つららの頭の中でキミヨの科白が繰り返される
ふらりとつららはよろめいてしまった
「大丈夫?」
壁に凭れかかり何とかお膳をひっくり返すことを免れたつららに、キミヨの声が聞こえてきた
見上げると、あの笑み
愉しくて、楽しくて仕方がないといった笑み
キミヨは動揺するつららを見て楽しそうだった
「そ、そんな事……」
ありません!と、見下ろす笑顔を睨み上げながらつららは抗議した
しかし
「そうかしら?側近頭って言ってもリクオさんの身の回りの世話ばかりじゃない、それなら私がいつもお側に居れば済む事でしょう?」
あなた他に何か出来て?そう言って侮蔑するような視線でつららを見下ろしてきた
その言葉につららの体が怒りで熱くなる
金色の瞳をかっと見開き、つららは声を荒げて叫んだ
「そんな事ありません!他にも沢山あります!」
「じゃあ何?まさかお洗濯やお料理なんて言わないわよ、ねぇ?」
面白そうに首を傾げながらキミヨが聞いてきた
その質問に、つららは「うっ」とたじろぐ
「そ、それもあるけど……リクオ様の護衛とか百鬼夜行のお供とか……」
「あら、それなら他の皆さんでも出来る事でしょう、何が違うの?」
くすくすと口元を袖で隠しながらキミヨは笑った
その言葉につららは黙り込む
下を向いてしまったつららに畳み掛けるようにキミヨは言葉を続けた
「まあ、私があの人と一緒になったら護衛の仕事や百鬼夜行も少なくなると思うわ」
「そ、それはどういう……」
キミヨの言葉につららは顔を上げた
そんなつららにキミヨはくすりと笑うとこう答えた
「私の能力を聞いてないの?私はあの人……三代目を強くすることが出来るのよ。妖力も畏も……そうすれば全ての妖怪達も三代目の元へ集まってくるわ。そうなれば、あの人を守る護衛も他の妖怪達と戦う為の百鬼夜行の出番もなくなると思わない?」
キミヨはそう言って目を細めながらつららを見た
「リクオ様の妖力と畏を?」
「そう」
己の科白をオウム返しするつららにキミヨはゆっくりと頷くと
「私があの人へ力を与える方法、教えて差し上げましょうか?」
驚くつららの耳元へキミヨはそっと囁いてきた
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