ぱたん
真っ暗なその部屋に戸の閉まる音が聞こえてきた
しかし、布団の上でぼんやりとしていたつららは振り返ることも無い
ただ只、布団に出来た皺をじっと眺めていた
「このままでいいの?」
そんなつららに声が掛けられる
その言葉につららの肩がぴくりと動いた
ゆっくりとした動作で声をかけてきた相手を見上げる
薄暗いその部屋の中
胸元まで開いた派手な着物に身を包んだ毛倡妓が、心配そうな顔でこちらを見ていた
毛倡妓はそう言うと探るようにつららの顔を見下ろす
つららの顔は先程まで泣いていたのであろう、目が真っ赤に染まっていた
泣き腫らした目元は彼女の心の傷の深さを表していた
その痛ましい姿に毛倡妓は眉根を寄せる
「本当にリクオ様取られちゃうわよ」
いつか言った言葉をもう一度彼女に向かって投げかけてみた
しかしつららの反応は毛倡妓の期待通りにはいかなかった
つららは力なく首を横へと振るとぽつりと呟いてきた
「だって……私はただの側近だもの」
自嘲的な笑みをその口元に浮かばせて、視線は下を向いたまま
そのいつもの彼女とは違うどこか投げやりな態度に毛倡妓は溜息をつくしかなかった
こんなのはつららじゃない
こんなのは彼女らしくない
一体彼女に何があったというのだろうか?
あのキミヨとか言う見合い相手が来てから……
いや、それよりも前
そう、一番最初に気付いたのはあの見合いの話を聞いた直ぐ後だった
突然よそよそしくなってしまった彼女
何かに怯え
そして何かを必死に隠そうとしていた
毛倡妓はその時からずっと心に引っかかるものが何であるのかずっと考えていた
そして今のつららを見て確信した
本当にこの子は……
不器用な……不器用すぎるこの仲間に毛倡妓は内心で溜息を漏らす
昔、花魁をしていた時に時々目にした光景
初めて己の心に気がついた女の葛藤
身分が違えば尚更
気付かずに来たのなら尚更
その想いは辛く、そして激しい
己にも心に決めたひとが居る
だからこそ放っておけなかった
同じ女だから
仲間だから
幸せになってほしい
身分が違えども
相手があの方なら、それは難しい事ではないと毛倡妓は気付いていたから
だから
少しでも気付けと俯く彼女へ言葉をかけるのであった
数日後
奴良家で異変が起きた
屋敷の妖怪達が次々と体の不調を訴える者が続出したのである
気分が優れないと言うものから始まり
眩暈を起こす者
一日中ぼんやりとしている者
体がだるいと寝込んでしまう者
などなど症状は様々だった
「う〜ん、新種の病気かも知れねえなぁ」
呼ばれて大急ぎで駆けつけてきた専属医師である薬鴆堂の鴆が、顎に手を置き不思議そうに首を傾げていた
鴆が言うには皆体力が急に落ちてしまったようなのだ
その症状は2〜3日もすれば治ってしまうらしく、一番最初にかかった小妖怪達は既に回復していつものように庭で遊んでいた
しかし、妙なのが発見された場所であった
おかしな事に症状を訴えてきた者の殆どがいつも同じ場所で発見されている
庭に咲く枝垂桜の木の根元
その根元に腰掛けるようにして気を失っているのだ
しかも早朝、発見したのは朝食の支度をしようと通りかかった若菜であった
「最初見たとき眠っているのかと思ったわ」
というのがその時の若菜の証言である
彼女の言うように、発見された妖怪は丸一日昏々と眠り続け翌朝起きると体の不調を訴えてくるのだ
その話を聞いた鴆は「桜の木に何かあるのかも知れねぇな」と屋敷の妖怪達に桜の木に近づく事を厳重に注意すると、その足でまた薬鴆堂へと帰っていった
朧車に乗り込んで帰って行った鴆を見送ったリクオは側近達に注意を促すと、ふとその中につららの姿がないことに気がついた
「つららは?」
そう言って首を傾げる主に後ろに控えていた側近達は皆顔を見合す
「さっきまでいたんですがねぇ?」
「どこ行っちゃったんだろ?」
お互い顔を見合わせて辺りを探す側近達
そんな下僕達にリクオは苦笑を零すと「自分で探すから」と言い置いて庭の方へと歩いていってしまった
そんな主の後姿を見送っていた側近の一人がぽつりと
「はぁ、雪女の事になるとわざわざ探しにまで行くっていうのに、本人は気づいて無いって言うんだから……」
「しょうがないでしょ、二人とも鈍いんだから」
仲間の言葉に隣に居た毛倡妓が苦笑も露わにそう答えた
確かに鈍い
二人を見ているとこっちがヤキモキしてしまう程に鈍い
あの京都での戦いの時から主の気持ちは薄々と勘付いていた
どんなに仲間が傷つき倒れても決して倒れなかった主
百鬼の主としてリクオは立派だった
ただ……
もしあの時彼女が傷つき倒れたのでは無かったら?
あの主はあれ程までに俊敏に動けただろうか
あれ程までに怒り狂ったであろうか
必死になって修行に耐えたのであろうか
答えは否だ
彼女だったから
彼女であったから主はあそこまで必死になったのだ
死に物狂いで倒せないと思っていた相手に向かっていけたのだ
女である毛倡妓は主の鈍感な想いに一番に気付いていた
しかも可笑しい事に当の本人はその気持ちにすら気づいていないのである
さらに困った事に、その想いを向けられるべき娘はやっと自分の気持ちに気付いて戸惑っているのだ
泥沼よねぇ
毛倡妓は肩を落としながら溜息を吐くと、主の消えていった庭を恨めしげに見つめるのであった
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