「リクオ様?」
また、気づけばつららが目の前にいた。
「―――うぉっ」
リクオは途端にのけ反った。
同時に手にしていた盃の中の水面が大きく揺れたが、間一髪のところで溢さずには済んだ。
そんなリクオの様子につららの方も焦ってしまったようで、あわあわと謝りながら彼女は両手を泳がせてくる。
「す、すみません!…あの…リクオ様、今日は……?」
どうかされたのですか―――?
そしてその後つららは遠慮がちに、だが目を丸くさせて言った。
普段なら、またこれは特に夜のリクオに言えることだが、慌てる仕草など滅多に見せないからだ。
昼の姿のリクオといい夜の姿のリクオといい、今日は彼が妙にぼうっとしていることをつららも感じていたようである。
「……ああ…」
盃を持ち直し、つららから目を逸らしながらリクオは「何でもねぇ」と朝と同じことを言ってバツの悪そうな顔をした。
夜の姿になった自分は今、自室でつららに酌をしてもらっている。
相当考えに耽ってしまっていたらしかった。それこそ隣のつららが心配してくる程に。
覗き込んでくるつららのその気配にも全く気付かなかったとは、いかに自分がこの女について悩み悶えているのかを思い知らされたようだった。
「そうですか?」
ならいいですけど、とリクオの返答を聞いたつららは微妙な面持ちをしながらも座り直した。
それから盆の上の物を片づけようとリクオに背を向ける。
リクオは黙り込んだままつららの背中を見つめていた。
華奢な背中だった。壊れそうに儚く。
彼女はその華奢な身体でどれだけ自分の為に尽くし、何度自分を守ろうと命を張り、そして涙を流したか計り知れない。
しかしリクオはたまにそれがわからなくなるのだ。
青田坊、黒田坊、首無といった、同じ大切な仲間でも彼らには感じない感情というものがつららに対してはある。
男と、女。
主と側近である前にもっと根本的な、生物学的な考えなのかもしれない。
つららは女なのだ。
当然身体的なそれは男である自分よりもはるかに劣り、弱い。
今思っていることをリクオがつららに口にすれば、きっとつららはそれを否定するだろう。
もしくは何のご冗談ですかと言って笑うかもしれない。
だがつららを見つめている内、それを否定されたとしても尚、名状し難くどうしようもない感情が心底から湧き上がってくるのをリクオは感じていた。
「……つら………」
――――これが、守りたいという感情なのか。
男が女に対して思う"守りたい"なのか。
気づけばリクオはつららの背に向かって手を伸ばしていた。
その後何をしようとしたかったのか自分でもわからなかったが、とにかく彼女のことを、少しでも傍に置いておきたかったが為の行動だったのかもしれない。
しかし「あ」と言って障子の外へ乗り出したつららの肩にそれが届くことはなく、リクオの手は空しく宙をかくことになる。
「リクオ様、満月ですよ!」
薄暗かった部屋に障子の隙間から光が差し込んできたのだ。
両手両膝を畳について外を、空を見上げるつららはリクオに振り向いて笑顔になった。
盃を手にしたまま、そうしてリクオもつららの隣へやって来て障子の外を見やった。
雲の間から顔を出した月が煌々と優しく輝いている。
横をちらりと見やると、それを見上げるつららは笑顔だった。
「………」
結局、言えず終いだ。
守りたい。だがこれと、そして昼間の時のあの気持ちとが果たして"そういった感情"に繋がるのだろうかと考えると、リクオはまた首を傾げてしまう。
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