濡女はリクオの温和な雰囲気にもよほど惹かれたのか、好き好きといってなかなかリクオの腕から離れなかった。
初めて見る妖怪だったが故に本家への帰り道で聞いたのだが、案の定彼女は"放浪もの"だ。奴良組のシマの者ではない。
そして文字通りぼとぼとと濡れた見てくれなのだが、ひっつかれているリクオ自身は不思議なことに濡れていない。
リクオが好意を抱かれている者だからだろうか、彼女は畏れの調整のようなものをできるみたいだった。
しかし部屋自体は濡れずに済むものの、いつまでもこうしている訳にはいかない。
色々とこじれるものがあるからだ。
張り付いている濡女をやんわりと腕から引きはがすと、リクオは立ち上がった。
「行かないで!」
途端、座る濡女は縋るように立ったリクオの服に腕を伸ばしてしがみついてくる。
掴みどころのない態度といい、しつこい女、というよりは、さながら温もりを欲する子供のようだ。
「ちょっとトイレ行くだけだよ」
だから待ってて、と濡女に苦笑いすると、リクオはそのまま女を座らせ直した。
「つららもほら、自分の部屋に戻って」
今まで涙目で黙していたつららがそこで目を丸くさせたのは、女を座らせてそう言う間にも、リクオがついて来いと言うように自分に目配せをしたからだ。
リクオは濡女を自室へ置いて、つららのことを別室に連れて来るなり、言った。
「僕の恋人は誰ですか」
「濡女さんでしょう」
「違うでしょ!」
ぷいとそっぽを向くつららの腕を掴んで引っ張ると、リクオは声を大にさせた。
「あの子はああいう妖怪なんだよ。……僕が絶対なんとかするから、お願いだからさ」
機嫌、直して?
次に眉を下げ、宥めるように言うリクオに、つららは目尻をしょぼつかせた。
「わかってます……私、リクオ様にこんな風に言える立場じゃないです。濡女さんにだって事情があります。でも、やっぱり…」
最後だけは言葉尻を曖昧にし、「ごめんなさい…」とつららはそれに代わるようにして言った。
素直に頷けないことが、ひどく申し訳なかった。
「つらら…」
そうしてつららがしょぼんと肩を落とすものだから、リクオの方もいたたまなくなってしまった。
本当ならば、リクオも今すぐにでもこの女の明るい笑顔を見たい筈だった。
「つらら」
もう一度リクオが名前を呼ぶと、つららは今度は顔を上げた。
その瞬間を逃さずに、リクオはつららの両肩を掴んだまま、ふっと彼女の顔に影を作る。
「!」
何故だか涙が出た。
リクオはいつもそれを優しく包み込むようにしてくれる。
けれど。
「…すれば良いと、思ってますか……」
「思ってないよ」
でも今はこれで許して、と言うと、唇を離してつららの涙を拭ったリクオは困ったように笑い、腕の中につららを強く抱いた。頭を撫でた。
濡女を傷つけるようなことはしたくない。だがつららの辛い顔はもっと見たくない。
目指すは穏便に早々に解決だ。
そしてしばらくそうしていたのだが、なかなか戻らないリクオに不安になったのか、別の部屋から聞こえてくる女の声に、リクオは慌てたようにつららを解放して踵を返した。
――――と考えつつ、結局良策も浮かばないまま濡女にひっつかれ、一日過ごすことになってしまうのだが。
「リクオ様♪リクオ様♪」
「はいはい、何ですかー」
つららに土下座する思いだが、なんとも情けないことに、良い解決策が浮かばないリクオは今困り果てている。
やはりいささか心は痛むものの、つららの為にもはっきりとこの濡女には想いに応えられないことを言ってやるべきなのであろうか。
そんなことを考えながら歩いている廊下の先を見やれば、まだしとしとと雨が降っている空は先程に比べてずっと暗くなっていた。
日暮れだ。
そして最近はこの時間帯になると、リクオは大抵"変化"するようになっていた。
「ん」
背は伸び、髪は茶から銀のそれへ。
あっという間にリクオは妖の姿である。
そして傍でひっついているこの女がそれを見るのも当然のことだ。
「ああ、こいつはだな」
リクオにくっついたままその姿の豹変ぶりに目が点になっている濡女に、リクオが説明してやろうとした矢先である。
この濡女は――――。
1.瞳を輝かせた
2.叫び出した
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