「悪いね」
リクオは自室につららを招き入れながら赤くなった頬を隠すように背を向けたままそう言った
「いいえ、これも仕事ですから」
彼女はいつものように嬉しそうに首を振る
しかし、その言葉にリクオの胸はチクリと痛んだ
何てこと無い会話なのに
いつもと変わらない言葉なのに
彼女から”仕事だから”という答えに何故か苛立ちを覚えてしまった
リクオはその心の変化を表面には出さない様に、得意のポーカーフェイスで何とかやり過ごす
「あ、取れちゃったのはこれなんだ」
リクオは背を向けたままつららにそう言うと、ハンガーにかけてある制服のワイシャツを取り出し、こっそりとその第一ボタンを引き千切った
そして何食わぬ顔でつららへと渡す
「はい、それでは繕って来ますね」
つららはリクオのワイシャツを受け取ると、嬉しそうに抱えて部屋を出て行こうとする
それを
「あ、待って」
リクオが慌てて呼び止めた
「どうしました?」
つららは部屋を出て行こうとした体制のまま振り返り首を傾げる
「あ、いや・・・その」
リクオは薄っすらと頬を染めながら口篭っていたが
「こ、ここでやってくれないかな・・・それ」
意を決すると、リクオはそう言って先程手渡したワイシャツを指差した
「へ?」
リクオの突然の提案に、しばしつららはキョトンとした顔をしていた
「それじゃ、僕宿題やってるから」
リクオはそう言うと勉強机へと向かった
「では、終わりましたらお呼びしますね」
リクオの言葉につららは頷くと、手の中にある物へと集中した
あの後、部屋でボタン付けをしてくれと言ってきたリクオに
つららはキョトンと暫くの間呆けていたのだが
「ここでやってもいいんですか?」
と、瞳をキラキラさせて言ってきたので「うん」と頷いてやった
すると
「わかりました、暫しお待ちください!」
と、猛ダッシュでリクオの部屋を出て行ったと思ったら、あっという間に針箱を抱えて戻ってきた
そして、部屋に戻るや否や
「では、お言葉に甘えて」
と、部屋の隅にちょこんと正座し、いそいそと針仕事の準備をしだした
そのつららの嬉しそうな顔にリクオは内心ホッとする
そして我儘を言った手前そして恥ずかしさも手伝って、リクオは宿題という口実を作って机へと向かったのだった
カチコチ カチコチ
暫くの間、壁にかけられた時計の秒針の音だけが部屋に響く
ちらり
ちらり
またちらり
リクオは先程から背後で針仕事をするつららが気になって仕方がなかった
ちらちらと彼女の様子を何度も盗み見る
しかも、机の上に広げたノートは真っ白だった
結局、後ろが気になって気になって宿題に手が付けられないでいた
そんな自分にリクオは頭を掻き毟ると、観念したようにつららへと振り返った
そしてそのままじっとつららの様子を伺う
針に糸を通し、器用にボタンを縫い付けていく
その手馴れた動作にリクオは感心した
「上手いねつらら」
気がつくとそう声に出していた
「そ、そうですか?」
リクオの言葉につららは恥ずかしそうに返事をする
「うん、僕じゃ絶対できないよ」
素直に頷くリクオにつららは頬を染めて動揺した
「そ、そんな・・・・」
でも結構不器用なんですよ、と顔を上げながら呟いたその時・・・・
「つッ!」
悲痛な声が響いた
「ど、どうしたの?」
突然の声にリクオが慌てて見たそこには――
人差し指を持ち上げながら、痛そうに顔を歪ませるつららの姿があった
「つらら?」
椅子から転げ落ちるように慌てて彼女の元へ向かった
リクオは這いつくばるような格好のままつららを見上げた
見上げたその先
彼女の左手――人差し指の先端には
今まさに赤い雫が滲み出ていた
その血はみるみる内に膨らんでいき、細く白い指先に大きな血の珠を作り上げる
ぷっくりと膨らんだその雫の塊は今にも壊れてしまうかのようにふるふると震えていた
「やっちゃいました」
リクオがまじまじと見つめるその向こうで
てへ、とつららは舌を出し眉根を寄せて己の失敗を苦笑していた
しかし、リクオはつららの指先を食入るように見つめたまま微動だにしなかった
笑いもせず
怒りもせず
「リクオ様?」
つららの不思議そうな声を聞きながら、リクオは全く関係ない事を思っていた
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