「それではお婆様、お休みなさいませ」
「うむ、そなたも大事にな」
日付が変わる頃
明日も学校があるからと孫に言われ、渋々部屋を出て行く祖母ユキの姿があった
ユキは優雅に踵を返すと音もなく廊下を歩いていく
廊下の角を曲がり姿が消えたところで
ガサリ
庭の垣根からこっそりと姿を現す影があった
「ようやく行ったか」
その影は角の向こうに消えていった女を見ながら口元に笑みを浮かべると、すうっと霞のようにその場から消えた
「さて、明日も学校・・・・早く寝なきゃ」
一人になったその部屋で、つららはそう呟くと布団を出すために押入れに向かう
そして開こうと押入れの取っ手に手をかけると
すうっと薄暗い月明かりが差し込んできた
「え?」
思わず動きが止まった
確か部屋の入り口は閉じていた筈
祖母が退室した後、きっちりと部屋の襖は閉じた
何故明かりが?と不思議に思い首を傾げていると
「もう寝ちまうのかい?」
背後から低い静かな声が聞こえてきた
気配は全く感じなかった
急いで振り返る
振り返った先に居た人物に思わず声を上げてしまった
「リクオ様!!」
いつの間に?と驚きの声を上げるつららの視線の先には己の主――夜の姿に変じたリクオの姿があった
リクオは閉じられた襖に背を預け、口元に笑みを作りながらつららを見下ろしていた
驚いた表情で見上げてくるその瞳を見つめながら、リクオは喉奥でくつりと笑うと背を預けていた襖からゆっくりと離れた
「どうしたのですか?こんな夜更けに」
近づいてくる主を見上げながら、つららは浮かんだ疑問を言葉にした
「もう寝ちまうのかい?」
しかし、つららの疑問には答えずにリクオは先程と同じ言葉を繰り返してきた
「あ、はい・・・明日も早いですし、そろそろ寝ようかと思いまして・・・・」
主の意図が読めないまま、つららは素直に頷く
「そうか・・・・」
リクオはつららの直ぐ目の前までやって来ると、そのまま黙り込んでしまった
じっと見下ろしてくる主の視線に、何やらむず痒さを感じながら、つららはこの時間になぜ主がここへ赴いたのだろうかと内心で首を傾げていた
ふと、ある事を思い立ちつららは顔を上げた
「はっ!もしやリクオ様、また散歩に出られるおつもりですか!?」
リクオ様は散歩がお好きだった
既に常習ともなった主の困った癖を思い出し、つららは慌ててリクオに向かって叫んだ
「当たり」
その慌てる様に思わず苦笑を漏らしながらリクオは頷いてきた
「だ、だめです!明日も早いんですから早く寝てください!!」
そんなリクオの態度につららは眉をきりきりと吊り上げると、側近らしくそう進言してきた
「ん〜、でもな〜」
対するリクオは腕を組み背後の夜空を見上げながら、気の乗らない素振りでそう呟く
「見ろよ、今日は空気も澄んでいて月の明かりもそう強くない。夜の散歩にゃ持って来いなんだが」
そして今にも空へと飛び出して行きそうな声音でそう言ってきた
「だ、ダメです!!」
つららはそんなリクオを慌てて止める
必死に言ってくる側近に、リクオは見えないようにくすりと笑った
「どうしてもダメか?」
顔の向きを変えてつららを正面から見下ろすと、リクオは眉根を寄せ首を傾げながらて聞くてきた
「はい」
リクオのその残念そうな表情に内心「うっ」と詰まりながら、しかしつららははっきりと首を縦に降る
ここで折れてしまってはダメ
リクオの好きにさせてやりたい、でもここは安全が第一だと、つららは内心で首を振りながら己の心に向かって呟く
「ん〜〜、今日はどうしても散歩に行きてぇ気分なんだが・・・・」
更に切なそうな顔をするリクオにつららは思わず先程の決意が崩れそうになった
「だ、ダメです・・・・」
「どうしてもか?」
心を鬼にして由と言わないつららに、リクオは身を屈めながら聞いてくる
至近距離になりつつあるリクオの顔から、つららは数歩下がりながらそれでも頑なに首を縦へと降らない
「どうしたら行っていい?」
そんな頑固な側近に、今度は変化球でリクオは質問してきた
「え?」
突然のリクオの質問につららは一瞬キョトンとなる
どうしたら・・・・
つららは少しだけ考え込んだ後すぐに顔を上げた
「もちろん、ちゃんと護衛を付けて頂ければよろしいです」
「へ?」
つららの意外な返答に今度はリクオが驚いた表情をした
「はい、きちんと護衛を付けて、そして早めに帰ってくださればお出かけになってもいいですよ」
今度はにこりと、可愛らしいつららの笑顔で頷いてきた
その言葉に驚いていた筈のリクオは
にやり
一瞬だけ勝ち誇ったような不適な笑みを見せた
「リクオ様?」
「そうかい、なら簡単だ」
きょとんと見上げるつららを見下ろしながらリクオは何故か嬉しそうにそう答える
そして
「じゃあ、行くか?」
そう言うや否や
「きゃあっ!」
突然の浮遊感につららは思わず悲鳴を上げた
「り、リクオ様」
なにを?つららはそう言いながら、先程よりも近くなった主の顔を見上げた
そして肩や腰に感じる熱い感覚に知らず頬が熱くなる
「あ、あの・・・・」
つららは身じろぎしながら主へと恐る恐る声を掛けた
「じゃあ散歩に行くぞ?」
リクオは瞳に悪戯な光を浮かべながらそう言うと、とんっと地を蹴った
ふわり
先程よりも強い浮遊感
見れば己の部屋であった場所は遥か下の方にあった
「リクオ様!」
ようやく主の意図を読み取ったつららは、驚いた表情で主を見上げる
そんな側近の顔を見ろしながら、リクオは口元に笑みを称えるとこう言ってきた
「護衛、するんだろ?」
ふわりと優雅に着地した大蛇の頭の上で、主はそれはそれは嬉しそうに微笑んでいたのであった
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