「平気か、それ？」
すい〜と夜空を滑るように飛んでいく大蛇の上
リクオはちらりと背後に視線をやりながら話しかけた
リクオの背後――大蛇の背の辺りにつららは座っている
主の羽織の端を右手の人差し指と親指でちんまりと申し訳なさそうに掴んだつららは何故か俯いていた
俯いている為その表情は見えなかったが、風に靡くつららの髪の間からは真っ赤に染まった頬や耳がちらちらと見え隠れしていた
こうやって主と二人きりで夜の散歩に出かけるのは実は初めてだった
そのお陰でつららはどうして良いか分らなかったのだ
どこに座って良いのか
どこを掴んで良いのか
慣れない大蛇の上は意外に狭く、大きなリクオの後ろでバランスを保つのがやっとで、しかし手を離すと真っ逆さまに落ちてしまいそうで
主であるリクオにしがみ付くなどもっての他、だから仕方なく、そう仕方なく主の羽織を出来うる限りの最小限で掴んでいるのであった
「は、はい・・・・大丈夫、です」
主の言葉に、つららはさらに体を小さくすると、少しだけリクオから離れた
そんな遠慮がちな側近に、リクオは小さく嘆息する
「仕方ねぇ〜な〜」
ぼそりと呟くと、リクオはつららの方に振り向いた
「きゃっ」
突然自分の方に振り返った主に、つららは思わず小さく悲鳴を上げる
そしてリクオが向きを変えたことで、羽織を掴んでいたつららの腕はそのまま引っ張られ、ずるりと体制が崩れた
「おっと」
あわや真っ逆さま！
という寸での所でリクオの腕がつららを支えた
「ほぉ〜〜〜」
つららはリクオにしがみ付きながら安堵の息を吐く
「たく、丁度いいからそのままでいろ」
「え？」
つららが反応するよりも早く、リクオはつららを抱えたままぐるりと前を向いてしまった
改めて抱き抱えるとわかる、腕の中にすっぽりと収まってしまう華奢な体
リクオは腕に力を込め、その小さな体を動けないように拘束してしまった
至近距離で感じるリクオの体温
その香り
つららはどきどきと鳴る己の心臓の鼓動を感じながら顔を真っ赤に染めていった
染まった顔を見られないように羽織に隠れる
ささやかな、本当にささやかな抵抗だった
そんな可愛らしい側近の仕草を見下ろしながら、ふと視界に入ったそれに眉を寄せる
羽織をそっと掴むその手――包帯の巻かれた指先
その痛々しい様にリクオは知らず眉間に皺を寄せた
「痛くないか？」
そっとつららの指先に触れる
その労わる様な優しい手つきに、つららは主を仰ぎ見た
心配そうな視線とぶつかる
その不安そうに揺れる瞳に、何故か恥ずかしさが込み上げてきた
「も、もう大丈夫です。お婆様が治して下さいましたから」
つららはその真っ直ぐな瞳に耐えられなくなり慌てて俯く
「へえ、お前の婆さんそんな事ができるのか」
リクオは若干つららの仕草を残念に思いながら、しかし先程の言葉に驚いたのか、つららの指先をまじまじと見つめてきた
「はい、お婆様の清らかな水のお陰で直ぐ良くなるそうです」
その視線に耐えながら、誇らしげにつららは説明する
「お婆様は、この世に生まれる最も清らかで純粋な氷から生まれたお方。そのお婆様の力に触れると雪女達は皆どんな怪我や病もたちどころに治ってしまうんです」
「そりゃ凄いな」
リクオは感心したような声音で頷く
「はい、お婆様は私達雪女の原初。力の源なのです」
初めて聞く雪女一族の話にリクオは興味津々といった顔で話を聞いていた
「ですから私の手も、明日には元に戻っているそうです」
「そうか、なら良かった」
そう言って、包帯に巻かれた指を見せながらにこりと笑うつららに、リクオも安堵の息を吐く
しかしその直ぐ後にリクオは何やら考え込む素振りをした
「まあでも・・・・」
「？」
ぽつりと呟く主につららはどうしたのかと、じっと見つめる
その視線を受けながらリクオは顔をつららへと向けると、真っ直ぐな瞳でこう言ってきた
「もし、傷が残ってもその時は俺が貰ってやるから安心しろ」
と・・・・
「！！」
驚いたのはもちろんつららの方で
「へ？」とか「ふぇ？」とか、見るからに驚き慌てながらリクオの腕の中で叫びだす
「な、なななな何を言ってるんですか〜〜！？」
次の瞬間真っ赤になってつららはそう叫んできた
「何って、お前を嫁に貰ってやるって言ってるんだよ」
つららのその反応にくくっと喉の奥で笑いながらリクオは楽しそうにそう言ってくる
「そ、そそそそういう冗談は止めて下さい！！」
つららは全身を真っ赤に染めぷしゅーっと湯気を上げながら暴れだした
「あ、こら！」
ばたばたと両手足を暴れさせ、リクオの腕から逃れようとする
リクオもそうはさせまいと腕に力を込める
「止めろって、落ちるぞ！」
思い切り腕を突っ張りリクオの胸から離れた
そう思った瞬間、体が軽くなった
「げっ！」
背後から焦りを含んだ主の声が聞こえる
そして
ひゅるるるるるるるるる〜〜〜〜
つららは真っ逆さまに落ちていった
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ！！」
「おい〜〜〜〜〜〜〜！！！」
慌てたのは二人同時
真っ青になったのも二人同時
一人は近づいてくる地面に悲鳴を上げ
もう一人はもの凄いスピードで遠ざかっていく女に悲鳴を上げ
良い雰囲気が一転
最悪の展開になった
「蛇！」
リクオは足元の蛇に急いで声をかける
蛇も緊急事態に飛ぶスピードを上げた
ひゅるんと音を立てて蛇が直滑降する
ドサッ
「ふぅ〜〜〜〜〜〜〜〜」
地面に落ちる寸前、リクオはつららをキャッチした
「お前は〜〜〜〜！」
「す、すみません〜〜〜〜〜」
どきどきと恐怖と驚きと安堵で激しく鳴る心の臓の音を聞きながら、リクオは米神に青筋を浮かべる
つららも同じように煩く鳴る心臓の音を聞きながら「申し訳ありません〜」とリクオの腕の中で平謝りするのであった
そしてリクオは腕の中で必死に謝り続ける側近に聞こえないように嘆息する
こいつにゃまだこの話は早かったようだな、と・・・・・
空気は澄み、月明かりの弱い晩
夜空には満点の星が瞬く二人きりの夜
絶好のこの機会に、愛しい側近を腕に抱きながら残念そうに溜息を吐く男が一人
そして
「まだまだじゃのう・・・・」
遠く離れた奴良家の一室で、事の一部始終を覗き鏡で見守っていた女もまた、盛大な溜息を吐いていたのであった
［戻る］ ［長編トップ］ ［次へ］