北方の霊雪山の空が朝日で白んで来た頃、延々続いた宴もようやく収集を見せた。
「またいつでも遊びに来るがよい」
「ああ、そんときゃあ美味い酒でも土産に持ってきてやるよ」
朝日に照らされた雪山の麓で、見送りに出てきたつららの祖母の言葉にリクオはにやりと笑いながら言った
「ほお、楽しみにしておるぞ」
女の声はどこか楽しそうに期待に満ちた響きを含んでいた
「じゃあな」
世話になった、とリクオが宝船に乗ろうと踵を返そうとした時、つららの祖母が声をかけてきた
「リクオや・・・」
リクオの傍に一瞬で移動した女は耳元で何やらを囁くとリクオから離れた
「なっ・・・」
途端リクオがぎょっとしたように女を振り返る
「楽しみにしておるぞ」
女はそんなリクオの反応を心底楽しそうに見ながらにやりと目を細めて笑ってみせた
リクオは数秒口をぱくぱくさせて女を見ていたが、我に返るとばっと背を見せ「行くぞ」とぶっきらぼうに下僕の妖怪達に言うとスタスタと歩いて行ってしまった
そのすぐ後を慌ててつららが追いかける
その後姿を満足そうに見つめながらつららの祖母は微笑んでいた


「あの、リクオ様」
奴良家へ帰る宝船の中、つららは隣に立つリクオに声をかけた
すると、リクオから程なくして「なんだ?」と返事が返ってくる
つららは一瞬戸惑ったが意を決して尋ねてみた
「あの・・・先程お婆様はいったい何を言ってきたのですか?」
「・・・・・・・」
つららの質問にリクオは口をへの字にし手の平で顔を覆って黙り込んでしまった


何か変な事を言われたのかしら?


つららはいよいよもって不安になった
あの祖母の事だ、リクオ様にまた何か失礼な事を言ったに違いない
そう思ったつららは不安になり、ちらっとリクオを盗み見た


!?


しかしつららの不安を他所に、リクオは顔を覆った手の平の中で一人百面相をしていた
仏頂面をしていたかと思えば突然にやけ、はっと我に返ったかと思えば何やら顔色が赤くなったり青くなったりしている
普段では見られない夜の姿のリクオの百面相に、つららはいよいよもって訳が分からないと首を傾げた
そんなつららを横目にリクオは内心舌打ちしていた


言えるかよ・・・・


先程つららの祖母が耳打ちしてきた言葉を思い出しながら小さく溜息を吐いた


あそこであれは反則だぜ


やっと帰れると気の抜けた時に落とされた爆弾に、リクオはまんまと引っかかってしまった
あれから顔がにやけたり引き攣ったりでどうしようもない


たく・・・まだ何も無い段階でどうしろって言うんだよ?


爆弾を寄越した雪女の長に向けて悪態を吐く
そして、ちらりと隣に立つ女を見下ろしながらリクオは深い溜息を零したのであった







「よろしいのですか?」
一の側近である妙齢の雪女が何か言いたげな表情で長である女を見上げた
「よい」
長である女は短く言い放つ
「しかし・・・」
尚も食い下がろうとする側近に長は静かに言った
「あれが幸せならよいのじゃ、あの男なら大丈夫じゃ」
長は側近を見下ろしながら妖艶に微笑んだ
その笑みをうっとりとした表情で見ていた側近は
「お館様がそうおっしゃるなら私どもはそれに従いましょう」
と恭しく頭を垂れると側近はもう何も言わなかった
そんな忠実な側近に朗らかな笑みを寄越すと長である女は言った
「それにな、妾はつららにこうも言ったのじゃ」
女は空を見上げると実に楽しそうに言葉を続けた
「雪女の業を全うするまで帰って来るなとな」
「は?」
長の言葉に側近は目を丸くした
雪女の業、それはもちろん口吸いであり
しかもその相手はもちろん・・・・
「し、しかし・・・」
「なに、あの男なら大丈夫じゃ」
側近である女は慌てて長である女に言うが、長は自信たっぷりに即答するばかりであった
「雪女を妻に娶ろうなどと、その位の覚悟が無くては勤まらぬからのう」


確かにそうではあるが・・・・


側近の女は長の言葉に同意はすれど、その意図を計れず首を傾げた
我らが主は一体どうなされるおつもりなのかと
愛孫であるつらら様の幸せを一番にお考えの主が、事もあろうに愛孫が心を寄せる相手に口吸いを勧めるなど、常軌を逸した言動に側近は意味がわからないと首を傾げた
そんな側近の不安を他所に、「はてさてこれからどうなるか楽しみじゃ」と言いながら長である女は楽しそうに空の彼方で見えなくなっていく宝船を見上げながら笑った



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